第9話 レムリカ
レドンの村は山奥深くにある孤立した集落だ。
険しい峠道を歩き、幾つもの山を越えて、ようやく人がそれなりにいる街へと辿り着くことができる。
(……これからどうしよう。なんにしても仕事を探さないとだけど。いつまでも野宿は嫌だからなぁ……)
ここ数日は山の中で野宿だった。日によって洞窟だったり、木の
だからといって、文明的な生活を捨てて野に生きる覚悟など私にはなかった。人間らしい生活がしたい。美味しい料理をお腹いっぱい食べて、面白い本を読んで、ふかふかの寝台で眠る。当たり前だった日常が今はひどく遠い。それゆえに求めてやまないのだ。
何度目かの夜を過ごして、山道を歩き続けた明くる日の朝。開けた土地に人の営みが集う街の姿が見えてきた。
「街だ……。やっと辿り着いた!」
レドンの村を出てから初めて感じる人々の気配。たまらず私は街に向かって走り出した。ここはたぶん、レドンの村から一番近い街だ。村の大人達もたまに行商で訪れていた。ここなら術士として私が働ける場所もあるはず。
意気揚々と街に足を踏み入れた私は、街の中心部に向かうにつれて増える人並みに浮かれていたが、ふと妙なことに気が付く。街を行く人々が誰も彼も私を見ているような気がしたのだ。周囲の人に目を向けるとどちらを向いても人の視線とぶつかり合う。目があった人は気まずそうに顔を背け、私を避けるようにその場を立ち去ったり、あるいは近くの町民同士でひそひそと会話を交わしたりしている。
似たような光景を私は最近も見たことがあった。レドンの村に、フレイドル一派が突然訪れたとき。そのときの村人達の様子と同じだ。招かれざる客の訪問に対して、遠巻きに警戒する人達の視線。あまりにも田舎者に過ぎる格好で目立ったか、それとも数日間の野宿生活で汚れた服装だったか、そう思って自分の体へ視線を落として再認識した。
一見して華奢に見える体に、不釣り合いなほど大きな岩の腕。これだけで人々が私の素性を不審に思うには十分な理由となろう。
(……あまり目立たないように、手早く仕事を見つけてしまおう。術士なら魔導技術連盟から仕事の
自然と頭に思い浮かんだ魔導技術連盟。まずはこの街の支部を探そうとして、私は足を止めた。
連盟に、私が行ってもいいのだろうか?
この街の魔導技術連盟といえば一級術士メディシアスのお膝元である。当然、彼女の息がかかった職員や術士達がいることだろう。レドンの村でメディシアスは私を見逃してくれたが、果たして彼女は私の存在を本当に許しているのだろうか? あの時は村の子供達を庇って追ってこなかったが、その後で私の処分を考えた手配を連盟に働きかけていてもおかしくない。
いや、今はまだそこまでの手配はかけられていないかもしれない。しかし、連盟にゴーレム
連盟とは無関係なところで路銀を稼いで、なるべく早く遠くへ行った方が無難だ。
そう思って日雇いの力仕事などで雇ってくれそうなところを探したのだが、どこに行ってもいい顔をされなかった。
「ああん? 嬢ちゃんみたいな痩せっぽちが力仕事を? ダメだ、ダメだ、他をあたりな!」
明らかに私の腕からは目を逸らして対応する人もいれば……。
「いくら日雇いだからってな、素性の怪しい奴を雇うことはできねえ。第一、その腕はなんだ? 下手に仕事場で揉め事を起こされちゃたまらん。帰りな!」
私の素性や見た目から信用が得られなかったり……。
「あんた、どこの研究施設から逃げ出してきたんだい? その両足の枷、奴隷の拘束具かなんかじゃないのかね? ふひひっ! まあ、そんな見た目だ。言えない事情とかもあるんだろう? 格安だが素性を問わない仕事を紹介できないこともないよ? あんたにその気があるならねぇ? ひひひっ!」
かなり目が逝ってしまっていて、どう考えても真っ当な仕事を紹介してくれそうもないモグリの呪術士とか……。裏も表も術士関係は鬼門のようだった。
結局、力仕事ができますと言っても、見るからに怪しい私は信用ができないとどこの仕事場でも断られてしまった。人相の悪い者や下手な犯罪者などを雇っていたりすると、信用問題になることもあるそうだ。今の私の姿は真っ当な人間ではないし、一見して奴隷の足枷や首輪のような魔導具の装飾も目立ってしまっている。八方塞がりの状況に私はすっかり途方に暮れていた。
もうすぐ日も暮れる。今日は野宿になるのも仕方ないだろう。ただ、明日からの為にも何か仕事は見つけておきたかった。素性を問わず、それなりにまともな仕事を斡旋してくれる場所はないものか。
人目につきにくい裏路地の影でしゃがみ込み、表通りを行く人の流れをぼんやりと観察する。
ずっと同じ場所で通りを眺めていると、一般的な街の人間に混ざって派手な格好をした人達が行き来していることに気が付く。街中では過剰と思われるような武装をした人々だ。人種も
それにしても武装した人間が何故、この平和そうな街に多くいるのだろうか。彼らはこの街のどこへ何をしに行っているのか。私は何となく直感で可能性を感じた。思い立ったらすぐに裏路地を出て、通りを流れる人の群れから武装した人達を見つけ出し、彼らが向かう先を私も目指した。ほどなくして、彼らのように武装した人達が例外なくある建物に入っていくのを突き止めることができた。
「冒険者
魔導技術連盟とはまた違った組合組織。荒くれもの、ならず者達の集まりと世間では言われている。術士ではない傭兵や便利屋が主に登録して仕事の斡旋を受けている組織だ。連盟ほど世界的に連携の取れた組織ではなく、村や街の単位規模でそれぞれの地域ごとにまとまって活動をする場合がほとんどらしい。その分だけ自由度は高く、訳ありの人間に対しても寛容に受け入れていると聞く。
わずかな希望にすがって、私は冒険者ギルドの門戸を叩いた。
私が建物の中に入ると大勢の視線が一斉に集中した。驚きの表情、警戒する目、値踏みする視線、好意的なものは一切ない。古い木造の建物を私が一歩進む度に床が
ここでも私は異端なのか。しかし、もはやここしか私が働けそうな場所はない。覚悟を決めて受付らしき場所まで歩みを進める。私の緊張が伝わってしまっているのか、周囲も、そして受付にいる職員と思しき女性も表情が硬い。どうか頼むから私の方へ意識を集中するのはやめてほしい。皆そんなに暇なのか? 自分の仕事に戻って、私のことなど無視してくれればいいのに。野次馬共め。
受付の前に立った。どう声をかけていいかわからず
「いらっしゃいませ。初めての方ですね。冒険者ギルドにどのようなご用件ですか?」
「あ……え、と……。仕事を、探していて」
ここ数日、人と全く話をしていなかったため、久しぶりに口を開いてみたら力ない
「お仕事、ですか? それでしたら冒険者登録を済ませた後に、あちらの依頼掲示板から御自身ができると判断した仕事を選んで受付に申請してください」
「あ、あの……。私でも、仕事を受けていいんですか?」
「……? ええ、そうですね。当ギルドで仕事を受けるのに、人種や年齢などは特に考慮されません。犯罪者とかでもなければ問題ありませんよ」
一瞬、犯罪者という言葉にどきりとしてしまうが、私自身は真っ当に生きてきたと自負している。あからさまに指名手配されているようなこともないのだし、ここは堂々としていていいはずだ。
「それじゃあ、登録をお願いします」
「わかりました。登録用紙を準備しますので、少々お待ちください」
一瞬の動揺を見せた私に、受付嬢は若干の疑いを持ったようだが今ここで言及するつもりはないらしい。あるいは、登録で個人的な情報を引き出してから、犯罪者名簿などと照会するのかもしれない。落ち着け、仮にそうだとしても私が慌てる必要はない。
「お待たせしました。こちらの用紙に必要事項をご記入ください」
「は、はい!」
威勢よく返事して受付にある羽ペンを掴もうとしたら、巨大な岩の腕をぶつけて机の角を削ったうえ、握った羽ペンを勢い余ってボキリとへし折ってしまった。
「きゃっ!?」
「ご、ごめんなさい!!」
受付嬢の短い悲鳴に、周囲にいた冒険者達が瞬時に反応した。ざざっと腰に下げた武器に手をかけ、いつでも飛び掛かれる態勢を取る。私の周囲で様子を
その事実を認識した途端に私は血の気が引いた。ここの人達を敵に回してしまったら他にもう行き場がない。
「ち……違うんです。ちょっと、慌てただけで……本当に……」
「え、ええ! わかっていますよ! 大丈夫です。少し驚いただけですので。替えのペンもありますから、気にしないでください」
受付嬢がすぐに大きな声で返事をする。彼女の「気にしないでください」の一言で、冒険者ギルド内の殺気立った空気が霧散した。
色々と考えが甘かった。私が冒険者ギルドに入ってきたときから、何かあれば爆発しかねない一触即発の事態になっていたのだ。
受付嬢から羽ペンを受け取った私は、登録用紙に必要事項を書こうとして慎重に羽ペンを摘まむ。ぶるぶると手が震えた。先ほどの恐ろしい光景が何度も脳裏をよぎって、登録用紙に書くべき内容が頭の中でまとまらない。あのまま他の冒険者達と戦闘になっていたらどうなったことか。村を理不尽に襲ったフレイドル一派を相手にするのとは話が違う。下手な抵抗をして怪我人でも出してしまえば私は本当にお尋ね者になってしまう。では無抵抗でいればいいかというとそれも正解とは言い難い。果たして異形の姿をした私を相手に、冒険者の彼らが手加減などしてくれるものか。
細く柔らかい羽ペンは岩の手には握っている感触が全くなく、文字を書こうにもペン先の抵抗が感じられずに力加減がわからない。ペン先を押し潰しそうになってしまい、私は一旦ペンを浮かせた。その様子を見ていた受付嬢から助け舟が出される。
「あの、もし文字を書くのが苦手でしたら代筆も可能ですよ? 冒険者の中には文字を書けない方も多くいらっしゃいますので、珍しいことではありませんから」
「お願い……します……」
私は素直に羽ペンを受付嬢に渡した。
不甲斐なくて、情けなくて、悔しくて涙が出てきた。
受付嬢は、文字をかけない冒険者もいるから、と言ってくれたが、それがなおさら悔しかった。村ではおばば様の次くらいに博識で、読み書きも人並み以上にできたのに。今の私には子供でも書けるような単語一つ満足に書くことができなかった。
受付嬢の質問に淡々と答えながら、登録用紙を埋めていく。
「それでは、お名前を教えて頂けますか?」
「名前――」
不意に問われた私の名前。
名前なんて考えるまでもなく、私には一つしかない。迷うことなんてなかった。
だけど、メディシアスに偽物であると言われた私が、その名前を使ってもいいのだろうか?
一瞬、言葉に詰まった。自らの名前を口にすることが
私は、私であるはずだ。他の誰でもない。世界のすべての人が私を偽物だと言っても、私が私自身であるという強い意思は本物のはずだ。
「私は――」
生きていく。私は私として生きていく。
だから決意をもって、こう答えた。
「私の名前は、レムリカです」
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