第5話 暮れなずむ赤い空

 ――嫌な予感がする。

 私は森での作業を早々に切り上げ、村への帰路を急いでいた。

 山道を駆け降りる足がもつれて何度も転びそうになったが、足を止めることはなかった。今日は作業の開始が遅かったため、途中で切り上げてきたにも関わらず日は傾き始めている。日が暮れてしまえば走って山道を下ることはできない。


 村の遠景が見える頃には、西日が空を赤く染めていた。

 しかし、その暮れゆく光景には違和感がある。私の足元に伸びる影は夕暮れにしてはやけに短く、沈む夕日とは真逆の方角にある空が赤く染まっていた。いつもなら村の方から山向こうに沈む夕日を眺めているところ、どうして山から下りてくる私の目の前に夕焼け空が広がっているのだろう。


 森の中を走りながら、ふと木材の焦げる臭いを鼻に嗅ぎ取った。

 どこかで山火事だろうか? 普段なら不吉極まりない想像も、今はそうであって欲しいと願ってしまう。

 燃えているのはどこなのか。森を突っ切って、鬱蒼うっそうとした茂みを飛び出したとき、村へと続く道の先に赤々と燃え上がる火柱が幾つも目に入った。

 村の家々が勢いよく火を吹き出して燃えていた。

「燃えてる!? どうして――」


 口にしてみて馬鹿げた疑問だと思い直す。元凶は容易に思い至ることができた。あの男だ。炎熱術士フレイドルの仕業しわざに違いない。

 昨日まで何事もなかった平和な村が突然、こんな激しい炎に包まれるような事態など他に原因があろうはずもない。どうしてそんなことになったのか過程はわからないが、彼らとおばば様の話し合いが最悪の形で決裂したのだ。


「おばば様! おばば様はっ!?」

 燃え盛る村のあちこちで、逃げ惑う人や建物の火を消そうとする姿が見受けられた。消火活動にあたる村人の様子から、火が付いてまだそれほど時間は経っていないように見えた。それだというのにこの火勢は異常である。明らかに人為的な炎の呪術によって火が付けられたとみるべきだろう。

 この混乱の中で一人一人に事情を聞いて回る余裕はない。困っている顔見知りの村人達に声をかけて、すぐにでも何か手伝ってやりたかったが今はおばば様の安否が一番心配だ。このような事態になっておばば様が黙っているはずはない。フレイドル達と真っ先に衝突しているはずなのだ。


 吹き上がる炎の中をくぐり、村長宅まで最短距離で走り抜ける。

「おばば様っ!?」

 村長宅へ着いた時、庭先に見慣れた衣服を着た人物がうずくまっていた。亀のように、地面に小さく丸まっていたのは間違いようもなくおばば様だった。近づいてみれば全身が焼け焦げていて、その体は既に固くなっていた。完全に手遅れだった。

「そんな……おばば様が……おばば様が死んじゃった……?」


 今この村において、混乱を鎮められる唯一の人物であるおばば様が既に死んでいた。私自身もまた動揺で混乱し、悲しみよりも先に焦りが心を支配していた。

 どうしよう。どうすればいい? 指導者が突然亡くなり、火の手に包まれた村はいまだ混乱の渦中にある。私は村の外へ出かけていて何が起こっているのか状況もよく理解できていない。いったいどうすれば――。


「おや? ようやく戻ってきたのですね。村の代表となるべく育てられた後継者……レムリカさん、でしたか?」

 ぞわり、と背筋が凍り付いた。周辺は炎が燃え盛り、肌がひりつくほど熱いというのに、臓腑ぞうふの芯まで冷え切るような悪寒を感じる不吉な声。

「貴女をね、待っていたのですよ」

 焼け焦げたおばば様に寄り添う私を囲むように、いつの間にか炎熱術士フレイドルとその一派が姿を現していた。

「まったく鈍くさい娘だ! フレイドル様を長々とお待たせするとは、師弟そろって失礼極まりない!」

 小男のフロガスが村へやってきたときとなんら変わらぬ口調でおばば様と私をののしる。焼け焦げたおばば様。それを目の前にして、平時と変わらぬ態度で振る舞うというのか。


「あなた達がやったんですか? おばば様や村を焼いて……」

「ええ。そうですよ。どうあっても協力頂けないとのことでしたので、少しでも情報を知っている方から、詳しく話をお聞かせ願おうと思いまして」

「これが話し合いの結果だと言うんですか?」

「ふん! 馬鹿な田舎者共め。フレイドル様の問いにただ正直に答えれば済んだものを。村長はまともに答えようとせんし、他の者はまるでものを知らん愚民ときた」


 どうにか無理やり心を落ち着けて辺りを見回すと、おばば様以外にも四、五人の焼けた遺体が地面に横たわっているのに気がついた。落ち着けた心が再び怒りの感情でいっぱいになった。その内の二人は見覚えがあったのだ。一人は鍛冶屋の親方。筋肉質の大柄な体躯たいくは他に思い当たる人がいない。そして、もう一人はこれと言って特徴のない地味な服装をした大人の男性。ここしばらく、おばば様の元で生活していたから顔を合わせることも少なかったが、それでもすぐに誰かわかった。わからないはずがなかった。


「お父さんまで――」

 私の様子を心配になって見に来たのか、あるいは鍛冶屋の親方と一緒におばば様への加勢で来たのか。どちらにせよ父はフレイドル達の手によって焼き殺された。既に私の心は怒りを通り越して、冷たい憎悪をフレイドル一派に抱き始めていた。


 もはやこれ以上の経緯を問う意味もない。

「許さない……。あなた達っ!!」

 怒りと憎しみを込めてフレイドルを睨み据える。憎悪を向けられた当のフレイドルは表情一つ変えず涼しい顔のまま。

「フロガス君。彼女から聞き出してください。『輝く巨兵』についての情報を」

「御意にございます。フレイドル様のお手をわずらわせることなく、このフロガスがお役目を果たしましょう」

 芝居がかった二人のやり取りが腹立たしい。まるで自分達が崇高な行いをしているかのような態度である。フレイドルの命令を受けたフロガスが前へ出て、取り巻きの術士達に指示を出す。

「よいかみなのもの! そこな小娘を捕縛せよ! 殺さぬ程度であれば痛めつけても構わん。捕まえるついでに、情報を吐きやすくなるようしつけてやるのだ……」

 ねっとりと下品な笑みを浮かべたフロガスの指示に従い、フレイドル一派の術士達が私に向かって無造作に包囲を狭めてくる。


 ――いくら何でも舐めすぎでしょう。

 たかが小娘一人と侮ったその隙があだとなろう。この人でなし共に容赦ようしゃはいらない。


 両腕と左足、そして両手首と両足首の魔導具に刻まれた魔導回路へ、怒りと共に脳の奥深くから絞り出した魔導因子を一気に流し込む。魔導回路が強く橙色の光を放ち、この世の理を捻じ曲げる魔力が溢れ出す。

(――我が思念によりかたち作るもの。大地をもととし、原初の人を模倣せよ――)

 魔導回路が活性化して、術式発動に十分な魔力が満ちたところで意識制御に移る。創造するのは原初の人間、その模倣たる魔導人形。

『生まれ出でよ!! 原初の人類アダム!!』


 地面に手を触れて『原初の人類アダム』の名を唱えると、魔導回路に満ちていた橙色の光が手の平を伝わって土へとみ込んでいく。

 橙色の光は土と混じり合い、粘土をこねくり回すようにして人の形を作り上げていく。体格は鍛冶屋の親方と同じくらい。土で出来た人形が二本の足で大地に立った。

土人形クレイゴーレムだと!?」

「この娘、呪術士か!」

 無警戒に距離を詰めていたフレイドル一派の術士達が、私の創り出した土人形クレイゴーレムを見て浮足立つ。


「ええい! 一々、その程度のものでうろたえるな! 土人形なぞ攻勢術式で吹き飛ばしてしまえばよい!」

 その場で意外にも冷静だったのはフロガスだった。普段からの高慢さは肝の太さでもあるのか、足を止めた術士達を叱咤しったして攻撃態勢に入らせる。

 ――だけど、もう遅い。ここまで距離が近ければ――。

 私は土人形に簡潔な命令を告げた。

「アダム! この場にいる、私以外の人間を、倒せ!!」

 命令は単純かつ明確であるほど魔導人形の動きに無駄がなくなり、性能を最大限に引き出すことができる。土人形は命令を受けて即座に二本の足で走り出した。数歩で、すぐ間近にいた敵の術士を殴り飛ばし、そのまま駆け抜けながら次々に術士達をなぎ倒していく。


「この土人形、動きが速いぞ!!」

「並みの人間と変わらないだと!?」

 土人形クレイゴーレムというのは本来、動きが鈍重なものである。普通は足もなく、胴体を引きずるようにして動き回るものが大半だ。だが、私の土人形クレイゴーレム原初の人類アダムは例外なのだ。土人形の重量と人間のような俊敏性と柔軟性を持ち合わせた特別製の魔導人形。ここまで距離を詰めた状態なら、迎撃の術式を撃たれる前に懐へ飛び込んで殴り倒すことができる。


「なーにをしとるかぁ!! 炎弾でも石弾でもいい! さっさと撃ち込まんか!!  土人形だけに気を取られず、術士の娘も押さえ込むのだ!」

 怒鳴り散らすフロガスの声。私にとっては実に嫌な指示を飛ばしてくれる。案の定、術士の幾らかは私の方へ向かってきたし、アダムへ向けて散発的とはいえ攻勢術式が撃ち込まれ始めた。


炎弾イグニス・ブレット!!』

石弾ストォヌ・ブレット!!』

 飛び来る『炎弾』は着弾の爆発力でアダムの表面を剥ぎ取り、『石弾』は高速の運動量でもって土の体を抉っていく。


空弾エア・ブレット!!』

水弾アクア・ブレット!!』

 こちらは私に向けて放たれた術式だ。基本的な共有呪術シャレ・マギカの一種だが、何の防御もなく直撃すれば転倒は免れない威力である。


 私は二房の長い髪の毛を振り乱しながら、転がるように大きく横に跳んで攻撃をかわす。足腰は山での労働で鍛えられている。誘導効果もないような低水準の攻勢術式なら、発動の瞬間を見てからでも回避可能である。『空弾』が私の飛び退いた後を通過していき、標的を外して地面に当たった『水弾』の飛沫が背中にかかった。

「小娘がちょこまかと!!」

 悪態を吐きながらこちらへ向けてもう一度『空弾』を撃とうとしている男に、私は至近距離から攻勢術式を撃ち込む。

石弾ストォヌ・ブレット!!』

 錐状に尖った岩の弾丸が男の腹を刺し貫いた。

 この『石弾』はただ丸い石を飛ばすだけの共有呪術を、私なりに改良を加えて威力を増した術だ。至近距離からでは避けることもできず、男の術士は腹に受けた『石弾』の威力で吹き飛び、地面に倒れて転がっていった。ここまで殺傷力の高い術式を使ったのは初めてだった。人を殺すつもりで攻撃したのも。

 だけど、こいつらがしたことを思えば罪悪感は湧かなかった。本当に憎いものを前にしたとき、私にだって殺意というものは生まれるのだ。


「ぬぅううっ……不甲斐ふがいない! たかが小娘一人に手こずりおって! 手を止めるな! 追い立てよ! 術式など選ぶ必要もない! 数を撃て、数を!!」

 外野からフロガスが怒鳴り散らしている。思うように私を捕らえることができず、部下へただ八つ当たりしているようにも見えるが、フロガスの叱咤で動揺していた術士達が再び態勢を立て直して私に狙いを定める。ただ騒がしいだけの小男と侮っていたが、なかなかいやらしいことをしてくれる。


空弾エア・ブレット!!』

空弾エア・ブレット!!』

空弾エア・ブレット!!』


 同時に三人から『空弾』の術式が放たれる。避けられない。だが、それならば防ぐまで。

石壁ストォヌ・ムルム!!』

 地面から垂直に生えだした三枚の石壁が私の前方と左右を囲う。石壁の高さは腰の辺り程度の高さしかないが、屈んで壁の内側に隠れれば飛来する『空弾』から完全に身を守ることができた。術士達の意識が私へと集中している間に、背後へと回り込んでいた土人形クレイゴーレム原初の人類アダムが三人の術士達に強烈な殴打をくらわせる。

 私自身はたった一人しか敵を倒していないが、これでいい。私は防御に専念して、敵に隙があるときだけ的確な反撃をする。そうして私が敵の注意を引き付けている間に、本命の土人形が敵を減らしていく。武闘術士でない私にできる最も確実な戦闘方法であった。


「土人形一体に振り回されるでないわ! 術者を倒してしまえばそれで終わりだ! 薄い石壁など『炎弾』であぶれば熱に耐えられず飛び出してくるであろうが!」

 ――フロガス。本当に、嫌な奴だ。これでいつまでも石壁の影には隠れていられなくなった。

炎弾イグニス・ブレット!!』

 術士の一人が『炎弾』を撃ってくる。続けて他の術士達も『炎弾』を撃つ気配を見せている。

 フロガスの命令からその行動を察していた私は、すかさず土人形に命令を下す。

「アダム! 私を、攻撃から、守れ!!」


 続けて放たれた二発の『炎弾』。これをアダムは、私と敵術士達との間に土の体とは思えないほど俊敏な動きで割り込み、両腕を広げて受け止めた。土の体に炎弾はさしたる効果を与えず、多少の爆発力で表層の土を削り、焦げ目を付けただけに終わる。私に至っては全くの無傷だ。

 その不様な結果を見て、フロガスが顔を真っ赤にしながら怒鳴る。

「かーっ!! 小癪な! ええい、もうよい! このフロガスが直々に叩きのめしてくれるわ!」

 業を煮やしたフロガスが戦闘に加わってきた。本気なのだろうか? この小男、口だけではないのか。


 だんっ! と手近にあった樹木に拳を叩き付け、何やら念じるように意識を集中したフロガスが声を張り上げ呪詛を吐き出す。

(――我が傀儡かいらいとなりて、我が敵を打ち倒せ――)

樹木兵じゅもくへい!!』

 みしみし、とフロガスが触れていた樹木がきしみながら形を変えて一体の樹木人形ツリーゴーレムを創り出す。頭はそのまま樹木の葉が茂ったままの状態だが、木の根が地面から抜け出し無数の足となって体を支え、太い枝が人の腕を模して振り上げられる。


「行けぃっ! 我が下僕よ! そこの小生意気な娘を取り押さえるのだ! 邪魔するものは叩き潰せぇ!!」

 傀儡術士くぐつじゅつしフロガスの創り出した樹木兵が、命令に呼応するように大きく枝葉を揺らして襲い掛かってきた。

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