第152話 ラピストリを超えるもの③

 黒い球体は、ホースで水を掛けられた線香花火のように、光の柱の中で瞬く間に消失した。

 空に浮かぶ雲も全て消し飛び、見渡す限り快晴の空が広がる。


 初級魔法マジックミサイル。

 最も弱い攻撃魔法でこの威力。この世界の何もかもを壊してしまうような力だ。改めて自分の恐ろしさを痛感した。


「な……なんだと……? 今のが……マジックミサイルだと……?」


 エイブラムの無事な姿が目に入った。

 俺の魔法は、エイブラムの横をかすめただけで、奴の命を奪うことはなかった。


 これだけ危険なエイブラム相手にも関わらず、俺は胸につかえるものがあった。

 亜神となったエイブラムは、勇者や魔王でも止めることはできないだろう。だからそれを出来る俺が、この場でエイブラムを葬るべきかもしれない。


 そう頭で分かっていても、俺に殺める権利なんてないのではないかと思えた。

 例えエイブラムが悪だとしても、この世界の一部である奴を、俺が滅ぼすのは間違っているのだ。


 いや、それだけではなく、ここで奴を殺さずにいることは、俺がこの世界で存在しても構わない証明になる気がした。

 だから自分の為にも、黒い球体だけ消すことを選んだ。


「エイブラム。俺は、お前が何をしようと何度でも止めるぞ」


「は……ははっ……、なんだ……今の力は……。いったい……この世界に何が現れたというのだ…………」


 エイブラムは小さく呟きながら、ゆっくりと降りてきた。


「今度こそ、降参ってことでいいんだな?」


 俺は目の前に降り、両膝をついたエイブラムに言った。


「……」


 表情は完全に戦意を失っている。

 こちらの問いかけに答える様子もない。

 さすがに観念したと見える。


「なら、今度こそ終了だ。ラピストリの魔法が結局呪いっていうなら、きっとこれで」


 俺はエイブラムにスキル『破呪』を使用した。

 確信があったわけではないが、俺のスキルは何でもかんでも理不尽に出来ているので、何とかなる気がした。


 すぐさまガラスの割れるような音と共に、エイブラムの身体をまと禍々まがまがしい力が消え去った。

 身体から抜けていったというより、その場で壊れて消滅した感じだ。


「……」


 元の姿に戻ったエイブラムは、何の反応も示さない。


「お前はこれから、今までの罪を償う必要がある。さあ立つんだ。シェミンガム王たちの元へ戻るぞ」


「……」


 聞こえているのかいないのか、ピクリとも動かない。

 試しに腕を引いてみると、身体にまったく力が入っていないようだ。


 おいおい、こいつ自分で立って歩かないつもりか?

 ここまできて世話のやける奴だな……。


 足を持ち引きずって行ってやりたいところだが、流石にそうはいかない。


「仕方ないか」


 俺はエイブラムの身体を掴んで肩に乗せた。

 体温は感じるので、死んではいない。


「自分で歩かないっていうなら、このままかついで行くがいいか?」


「……」


「そうか……」


 本当に理解しているのだろうか。

 この恥ずかしい体勢のまま、シェミンガム王や騎士オリヴァーがいる場所まで行くということなのだが。


 エイブラムの顔を覗き込むと、眼を開けたまま表情の変化はない。


 俺だって恥ずかしい。しかし他に手もないので、単なる荷物だと思って運ぶしかない。

 俺は意を決して、来た階段をくだって行った。




「おっ! おっさん、終わったのか、お帰り!」


 皆がゴーレムと戦っていた広間へ戻ると、ジャスティンが俺に気付き手を上げた。

 あれほどいたエイブラムの放ったゴーレムは全て消え、全員床に座り談笑しているようだった。


「ゲオっち! さすがだね、お疲れさま!」


 ジャスティンの横に座っているエルキュールも、そのままこちらに手を上げた。

 それにならうように、メイベル、マテウス、アラン、ヴィンス、ディルク、マリーもこちらへ挨拶を送ってくる。


 なんだ、この和やかな雰囲気。


 ジャスティンやエルキュールたちだけでなく、両王国の騎士や戦士たちも、皆笑顔で楽しそうにしている。

 飲食こそしてないが、祝勝会に紛れ込んだかのような錯覚を起こした。


「皆さん楽しそうですが、何かあったんですか?」


「何を言ってんだよ、ゲオっち。神殿内に来てから色々あったけど、何とか無事に危機を乗り越えたんだ。彼もメイベルちゃんに回復してもらって元気を取り戻したし、そりゃあ勝利を皆で祝いたくなるさ!」


 エルキュールが立ち上がりながら、アルアダ王国第三王子を指した。


「なるほど……」


 まあ確かにその通りなんだけど……。


 俺は担いでいるエイブラムを横目に、つい先ほどまで山の頂上で起きていた世界の危機を思い浮かべていた。

 エイブラムは勇者マリーから奪った生命力を使い亜神と化し、かなり際どい状況だったはず。


 俺がエイブラムを捕まえられなかったら、どうする――――


「おっさん! なに深刻な顔してんだ? まだ何か起こるとでも思ってるのか?」


 ジャスティンの声で俺は思考が止まると、


「いえ、そういう意味では……」

 と答える。


「なら、そんな顔すんなよ! 皆が心配するじゃねえか!」


「はい、すみません……」


 絶対に俺の表情を読み取っているのは少数派なのだが、これ以上は何も言わないことにした。


「ゲオ殿。ご苦労だったの」


 シェミンガム国王が、オリヴァーたち騎士数名を引き連れて近づいてきた。


「もう抵抗する気はないようです」


 俺はそう言いながらエイブラムを国王たちの前に降ろした。

 寝かせるのは無礼な気がしたので、うまく膝で立つよう置いた。


「ふむ、これがエイブラムか。先ほども、わしらの知らないエイブラムじゃったが、これはこれで……」


 シェミンガム国王は自国の宮廷魔導士だった男の顔を見ながら、少し楽しそうに髭を触った。


「陛下。今のうちに拘束しておきましょう。腐っても世界最高と言われた魔導士です」


 騎士オリヴァーが紐を持ち前へ出た。


「おお、そうじゃな。こやつには聞くことが山ほどあるが、魔王から出された条件もあることだ。逃がすわけにも、死なすわけにもいかんの」


「はっ」

 騎士オリヴァーは国王の同意と同時に、前へ出てエイブラムを縛りあげた。


「……」


「エイブラム……」

 なんの反応も示さないエイブラムを見て、騎士オリヴァーは寂しそうな表情で彼の名を呟いた。


 その様子を見ていたシェミンガム国王が、騎士オリヴァーの肩を軽く叩くと、


「ゲオ殿。今回の首謀者を魔王の前へ連れていくという条件もあるが、いったんは我が王国へ連れ帰る。こやつの身柄は少し待ってもらえるかの」


 と、こちらへ向いた。

 俺は一瞬戸惑うが、近くで聞いていた魔族のディルクがうなずいているのが見えた。


「分かりました。エイブラムはシェミンガム王国の人間です。期限があったわけでもありませんし、魔王も事情を理解していただけると思います」


「すまんの」


 シェミンガム国王は俺の腕をポンポンと叩くと、騎士たちに合図しエイブラムを連れて去っていった。


「ゲオっち。これでやっとひと段落だね。あとは魔族との戦争を回避できれば、すべて一件落着だ。ボクらも戻って一息つこう!」


 そばに立っていたエルキュールが笑顔を向けてきた。

 俺と正反対の完璧に整った顔立ち。男の俺でもときめくような輝きだ。


「そうですね、ここはもうウンザリです。戻りましょう!」


 彼の言う通り、やっと望んでいた平穏に辿り着ける気がする。

 長い間、ずっとがむしゃらに走ってきた感覚だけど、もうすぐだ――――。


 俺は、長い戦いの果てに望んでいた平穏を手に入れ、心の中で解き放たれたような喜びを感じた。

 定期試験が終わり、休息が訪れる学生のように、達成感と解放感に包まれながら、胸をなで下ろした。

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