40.たまに降りかかる不運(2)

 ――視線。

 背後から隠す気のないそれを感じ、烏羽は一瞬だけ動きを止めた。今度は何者が現れたのか、と薄ら笑みさえ浮かべながら振り返る。悪意のある悪戯めいたそれは、配下の黒神使ではないだろうし青の性質とも異なる。当然、召喚士は悪意と無縁なのでこういう業とらしい挙動は不可能だ。


「――これは……」

「烏羽が2人……!?」


 先程まで猩々緋が消えた辺りを調べていた白群が困惑の声を上げる。

 一方で烏羽自身はと言うと、冷静に腹立つ自分のにやけ顔を視界に収めていた。何ら意外な事ではないし、何が起きているのかも完全に理解しているからだ。


「神使が2……。外れを引きましたか。はあ、ええ、何とも面倒臭い。召喚士を知りませんか? 捜しているのですが」


 自分と同じ顔をしたそいつが呟き、わざとらしい大きな溜息を零す。

 そうして、自分と問答をしても仕方がないと気付いたのだろう。鞘に収まっていた太刀を抜き放つ。途端、未だに困惑した顔だった白群もまた臨戦態勢に入った。

 しかし悪いが、自分が相手だ。武器の有る無しはかなり大きな差である。

 ――白群を囮に、さっさと撤退した方が良いか。

 白群がどうなろうと知った事ではないし、その間に召喚士を拾って社にまで撤退するのが利口というものだ。白群は替えが効くが、人間はそうではない。


 行動方針を決め、白群を嗾けてさっさと逃げようと決めた訳だがそう上手くはいかなかった。


「――どこへ行くのですか?」


 見られている。

 白群を飛び越えてこちらを監視している。


 ぐったりと首を横に振った烏羽は、仕方なく術式を紡ぎ始めた。真正面からは戦わず、頃合いを見て退かなければならない。


 ***


 などと上手く行くはずもなく。

 白群は既に消滅し、烏羽自身も撤退には致命的である足の負傷を背負っている状態だ。


 今までの経緯を思い返しては溜息を吐く。

 ――これは詰んだか……。

 自分だけどころか、社ごと終わりの可能性も高い。濡羽にさえ対抗出来なさそうな面子だ。召喚士は門で撤退が可能ではあるが、そんなものを呼び出している暇は恐らくないだろうし。

 この異常事態だけでも伝えれば、何とか撤退できないものだろうか。鉢合わせれば瞬時に殺害されるであろう事は想像に難くない。


 と、不意に複数名の足音が耳朶を打った。

 烏羽の背後から駆けてくるような音で、対峙している自分自身も廊下の先へと視線をやっている。


「ええ……? 正気か……?」


 角を曲がって現れたのは件の召喚士だ。

 大きく手を振っている。烏羽以外の面子に加え、薄花が同行している様子だがこの程度の人選では焼け石に水でしかない。

 探す手間が省けた、ともう一人の烏羽は笑みを深めている。召喚士の意図が読めず表情を伺うも、烏羽が2体いるという事実に驚いている様子はない。むしろ、知っていてここまで駆けてきた――


「烏羽! 助けに来たよ!」

「いや馬鹿か?」


 思わず素が口から零れ出たが、緊急事態なので誰もそれを拾わなかった。

 召喚士は嘘を吐くのが下手であるし、あの必死さからして本当にそのつもりでやって来たのだろう。というか、この局面で嘘を吐く理由はないだろうし。

 ここで何が起こっているのか分かって来たのであろう彼女は眉根を寄せて心配そうな顔をしている。


 そんな彼女の姿を見て、もう1人の烏羽が大仰に口を開いた。捜す手間が省けたからか、心なしかご機嫌そうに見える――だけで、きっとそれも大嘘なのだろうが。


「ようこそ! ええ、捜しておりましたよ。召喚士。自らやって来て下さるとは、ありがたい――」

「撤退戦だあああ! お願い、フレンドに借りたつよつよ月白!」

「は?」


 烏羽2体分の声が綺麗に重なった、刹那。

 召喚士が持っていた端末の画面が異様に明るい光を放つ。そうして、漂うあの苛立つ精錬とした空気。目の前に突如出現する、澄ましていながらも気難しい面白味のまるでないあの女の姿。

 いくら別個体であろうと、性格に大きな差はない。

 故に烏羽は両名共、全く同じ顔――苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ、その後盛大に険のある顔へと変わった。


 既に歓迎されていない事を悟っているであろう、月白はやはりそのすまし顔で小さく溜息を吐く。聞き分けのない子供にうんざりしているようでもあり、それでいて面倒そうなそんな挙動だ。


「――状況は把握している。まさか、お前を手助けするような日が来るとはな……」

「奥の方にいる烏羽の足止めをお願いします!」

「承知した。黒桐殿は、早急にご撤退を。私の稼働には時間制限がある」

「凄い具体的な指示……」


 短く息を吐いた月白の手の内に大振りの槍が出現する。

 それを構え一瞬だけ目を閉じて呼吸を整えた彼女が、その穂先を敵対者へと向けた。


「――烏羽、こっち! 社に戻ろう」

「ちょ、主サン!? 危ないから、前に出ないで欲しいッス!」


 薄群青の言葉を無視した召喚士が、怪我人を連れて行く標準的な処置――肩を貸すという実に誰でも思い付きそうな介助に移行した。


「……いえ、普通に歩く事はできますので」

「大丈夫そ? なんか血みどろだけど……」


 近づいて来た事により、怪我の程度が彼女にも分かったのだろう。左足を指さし、青い顔をしている。どんな世の中で生活をしていれば、この程度の怪我で気分を悪くするのがとんと見当がつかない。


 やや足を引きずりながらも、大して役に立っていない召喚士をむしろ烏羽が引き摺りながら、現地を離れる。


「私の事は良いので。ええ、門を呼び出して貰えますか」

「そうだった!」


 召喚士はポチポチと端末を指で突いている。

 それにしても、それなりに要領がよかった。月白ありきの逃走劇ではあったものの、事前に打ち合わせをしていたであろう事は明白。

 という事は、ここに勝てない相手である都守がいると分かっていてわざわざ足を向けたという訳だ。


「みんな、撤退!」


 門が呼び出された。

 自身の悪運を他人事のように感心しながら、門を通る直前。不意に烏羽は振り返った。月白と対峙するもう一人の自分は大分苛立っているようだ。面白いはずなのに、面白くない光景である。

 最後、門を通った瞬間、月白がどこかへと帰るのを見てようやく烏羽は戻って来た社に視線を戻した。

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