37.薄花からのお願い(2)

 瑠璃の元へとひた走る。

 そう大した距離ではないはずなのに、廊下が無限に続くかのようなもどかしさだ。


「足音……」


 自分の物ではない足音に気付き、視線だけで背後を見やる。

 先程まで浅葱が相手をしていたはずの烏羽が、既に追いかけてきていた。流石の武闘派神使。浅葱では足止めすらままならない。

 同僚がどうなったのかは一度考える事を辞めた。碌な目には遭っていないだろうし、それを考えれば考える程に気が滅入る。


 しかし、この騒動は瑠璃の耳にも届いていたらしい。

 彼女の私室手前で、弾かれたように戸が開け放たれる。中から都守その人が飛び出してきた。


「瑠璃様!」

「薄花……!? この騒ぎは何事かしら」


 背後に烏羽が迫っている。一刻の猶予もなく、端的に必要事項だけを主へと伝えた。


「烏羽が裏切り、我々に奇襲を仕掛けています」

「それは――」


 どういう事? という瑠璃の問いは、言の葉にはならなかった。

 刹那、背後に迫っていた烏羽の愛刀が煌めき、薄花へと襲い掛かる。それを間一髪で回避したものの、左腕を負傷した。あまりの躊躇いの無さに瞠目する。最早それは、味方への接し方ではない。


「案内していただいて――ええ、ありがとうございます。薄色にしては手際が良いではありませんか。ええ、褒めているのです」


 邪悪な笑みを浮かべる烏羽は、先日召喚士と会話をしていた個体とは別物であるかのようだ。けれど、方々からの評判を聞くにこちらが正しい彼の姿なのだろう。主の前では猫被っているという事だ。


 その様を苦々しい顔で見守っていた瑠璃が、同じ都守の烏羽へと言葉を投げ掛ける。


「――貴方、どういうつもり? 主神はともかく、懇意にしていたはずの召喚士様をも裏切って……どうしたいのか、とんと見当がつかないわ」


 はは、と当の烏羽は乾いた笑い声を漏らす。

 心底馬鹿にしたかのような響きで、聞いているだけで不快な気分になってくるようだ。


「何を仰っているのかさっぱり分かりませぬ。ええ、私に主などおりませんよ。それより、貴方達が主と仰ぐ主神はどうしているのですか? この一大事に何の指示も無いようですが……。ふふ、可笑しいとは本当に思わないので?」

「――何か考えがおありでしょう。わたくし達がとやかく言う事ではないわ」

「ほう。頭はお花畑ですか? 有事の際にいない最高権力者など、塵にも等しい廃棄物ではありませんか。ええ、彼の者は神の名に相応しくないと、この烏羽は判断します」


 すう、と瑠璃が呆れたように溜息を吐き、そして息を吸った。

 烏羽の言葉に首を横に振る。


「愚かな……。仮に主神が機能を停止していたとして、それでどうするの? まさか、別の神使が神に取って代わろうとでも言うのかしら。勘違いも甚だしい。我々は所詮、主神の創作物。自然発生した神と比べるまでもないわ。我々はただ、母の意志を遂行するのみだもの」


 模範的な回答に烏羽は笑みを浮かべている。相手を馬鹿にするような、神経を逆なでするかのような笑みだ。


「それを思考停止と言わずして、何と言うのですか。ええ、我々は既に後釜を見つけております。何の役にも立たない主神など排し、新しい秩序を作る装置を」

「新しい神を、神から作られた塵芥が選定すると? 片腹痛いわね。自らの立場をもっと客観的に理解するべきだわ。わたくし達は神の手駒。それ以上でも、それ以下でもなく。それらはわたくし達の領分を越えた行為だと理解なさい」


 震える程に剣呑な空気が場を支配する。

 笑顔の烏羽からは目視できない威圧感が放たれ、それを受けた瑠璃からもまた意見を受け入れないという頑なな意思が漂っている。


 睨み合う事、数秒。

 沈黙を破ったのは瑠璃だった。


「――薄花。召喚士様に、この事を伝えなさい。烏羽がこうなった以上、希望である彼女だけは逃がさなければならないわ」

「瑠璃様……。でも、相手は烏羽――」

「そうね。この戦力では烏羽を討伐するのは厳しい。奴と渡り合えるのは月白くらいだもの。けれど、わたくしにも足止めくらいならば可能よ。だから、今のうちに召喚士様を社へ帰すの。いい?」


 それは実質の敗北宣言だった。

 同じ都守と言えど、その個体によって戦闘に対する適性が異なる。戦う為に生み出されたような月白・烏羽に、調和をよしとする瑠璃が敵う通りはない。


 そうであるが故に、薄花は瑠璃の命令に従った。

 例え2対1であったとしても烏羽を討ち取るには足りないからだ。であれば、何も知らない可能性がある主神代理の召喚士を逃がそうとするのは自明の理。何も間違ってはいないし、それが最善ですらある。


「瑠璃様、承知いたしました。必ず、召喚士様に現状をお伝えします……!!」


 後ろ髪を引かれる思いで瑠璃に背を向ける。

 争う物音を背に、再び薄花は走り出した。少しでも状況を悪化させない為に。或いは召喚士の言葉で烏羽を止められるかもしれない、という淡い希望を胸に。

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