36.薄花からのお願い(1)
何とか濡羽を撃退。恐らくは白群に掛けられていた洗脳系の術も解けているはずだ。一つの難題が解決した事に胸を撫でおろす。
――が、勝利の余韻は長く続かなかった。
吹っ飛ばされて跡形もない戸があった所に、新たな神使が飛び込んできたのだ。彼女の事は当然知っている。この青藍宮で瑠璃に仕える神使の一人、薄花だ。
冷静な印象が最初からあった彼女だが、今はとても慌てた様子である。既にその手に細身の槍を持ち、臨戦態勢であると伺える。
「薄花? どうしたんだろ……」
警戒して花実を後ろに下がらせる紫黒は険しい顔だ。
そんなこちらの様子など意に介した様子もなく、薄花が叫ぶような声で懇願した。
「召喚士様! どうか瑠璃様を助けて欲しい!」
「えっ、何かあったの? そっちでも?」
いるであろう敵対神使の面々とは全て顔をあわせたはずだ。残りは烏羽と交戦していたので、逃げられていなければ瑠璃とは出会わないだろう。尤も、烏羽がどちらか一方を逃がしてしまったとしても同じく都守の瑠璃がどうこうするような問題には発展しなさそうだが。
考えていると薄花の瞳が胡乱げに室内を彷徨う。
「――召喚士様。烏羽はどうしたのかな?」
「烏羽は猩々緋や白群と戦闘中だよ」
「白群……?」
経緯を簡単に説明した。薄花は難しそうな顔をしており、何故か説明に不満げである。
「――という訳なんだけど、濡羽を撃破したから白群は解放されてるかも」
「主サン主サン、相手は烏羽サンですよ。討ち取られてる可能性があるッス、白群……」
「う、いやごめん! あの時は烏羽を置いてくるしかなくて」
薄群青の言葉で胸が痛くなる。彼と白群は対神であり、それを思うと遣る瀬無いとしか言いようがない。
しかし、やはり対神についてあまり深く追求しない薄群青はさらっと薄花に状況説明を促した。
「それで、そっちは何かあったんスかね」
「あ、ああ。実は――」
***
時は今から数十分前に遡る。
薄花は同僚である浅葱に、本日あった事を簡単に報告していた。とはいえ何か不審な出来事があったという訳ではなく、ただの単なる情報共有である。
「平和なのは良い事だが、この面子の中に刈安殿と白練を葬った何者かがいると思うとまるで安心できないね」
報告を受けて浅葱が悩まし気に溜息を吐く。そうだね、と薄花もまたその意見に追随した。
「特に召喚士様は人間だ。連日、眠れない夜を過ごしているだろう。ああそうだ、召喚士様は瑠璃様の部屋の近くに引っ越しさせたらどう? 瑠璃様もお強いのだから、その近くにいた方が安全じゃないかな」
「烏羽殿がどうするかにもよるから、実現できるかは分からないな。ついてくると仰せなら、瑠璃様が嫌がるだろう」
などと話をしていたせいだろうか。不意に聞き覚えのある声が耳朶を打つ。
「――おや? 私の話をしてどうされました。ええ、実に気になります。お聞かせ願えますか?」
ねっとりとした声音。ここ数日、何度も聞いた他所の都守の声に薄花はすぐに応じた。性格の不一致で仲良くは出来なさそうな相手ではあるが、腐っても都守であり召喚士の連れている神使だ。無下には扱えない。
「いいや? 貴方個人の話はしていないよ。全体の良し悪しの話さ」
「そうでしょうか? ええ、何か不満がおありでしたら進言しても構いませんよ。ええ、ええ。その後にどうなるのかまでは保証できかねますが」
うっそりと笑う烏羽を見る。
――違和感。
数日会って来た中で、違いがあるけれどそれの正体が分からない気持ちの悪さが薄花の思考を支配する。また、今までは召喚士の顔色を窺ってかそういった物言いは控えていたというのに、酷く攻撃的な発言だ。失言すれば、今すぐ首を飛ばされてもおかしくはない。
――首を……飛ばされる……。
思考が連鎖するように違和感の正体が弾き出される。
そうだ、よくよく見てみれば、目の前の烏羽は帯刀している。今までの彼は武装しておらず徒手空拳で手元に得物を持っていなかった。
何故唐突に? そう考えた時、敵の襲撃だと思い至った薄花は口を開いた――
「薄花!」
一閃。
声を掛けようとした薄花の首を撥ね飛ばす勢いで抜き放たれた、烏羽の刃が薄花その人ではなく、飛び込んで来た浅葱を襲う。
「――浅かったようですね。ええ、残念です」
冷笑を浮かべる烏羽はその手に鮮血滴る太刀を持っている。何が起きたのかは一目瞭然で、肩からわき腹にかけて傷を負った浅葱が小さく呻いて膝をついた。
「どういうつもりだ、烏羽!」
声を荒げて問う薄花に、渦中の人物は温度の無い笑みを手向ける。
「どうもこうもありませぬ。ええ、どういう事でしょうか? どのような事情であれば、ご納得いただけますか? ええ、この烏羽にご教示いただきたく……。ふふふ」
「こ、この裏切り者め。瑠璃様だけでなく、召喚士様さえ謀るか!」
答えは無かった。代わりに目の前の烏羽は緩く太刀を構え直す。
それまで黙って事の成り行きを見守っていた浅葱が、ゆっくりと立ち上がった。
「――薄花、瑠璃様にこの件を報告してくれ。僕は君を逃がす為の時間を稼ぐ」
「……!」
「目の前のこれがどういった存在なのかは分からないけれど、烏羽殿本人であれば都守だ。僕達が束になって掛かった所でまとめて消滅させられるだけだろう。だから、早く行って。報告を」
「――……分かった」
浅葱の言う事は正しい。
状況を理解した薄花は小さく返事をした。今出来る最善の策は、これ以上被害を広げない事。何も知らない瑠璃に烏羽の件を伝える事だ。
立ち上がって向かってくる姿勢を見せる浅葱を、烏羽が嗤う。
「逃げますか? ええ、それもよろしい。瑠璃如きに敗れたりはしません。ええ、ええ、どうぞお行きなさい。迎えに来て頂けると、手間が省けて大変よろしいですし、ね」
烏羽の嘲笑を背に、薄花は走り出した。
自分の身体能力の全ては烏羽に劣る。浅葱が足止めしてくれている内に出来るだけ走行距離を稼がなければならないのだ。
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