47.アタッカーの不在(4)

「主サン!」


 一番に反応して、屋根の上から飛び降り、花実の元へ戻ってきたのは薄群青だった。その小柄な身体とフットワークを活かして、かなりの速度でとんぼ返りしてくる。


「あばばば、あ、ありがとう!」

「落ち着いて下さい。慌て過ぎでしょ、3人も神使がいるんだから放置したりはしないッスわ」


 冷静過ぎる程に冷静な薄群青はそう言って、花実の腕を引く。


「いや、戦わないの!?」

「汚泥の処置には術が一番有効なんスけど、俺はそれ苦手なんで。取り敢えず主サンを逃がしに、ここまで戻って来たんでしょ」

「ご、ごめん」


 汚泥が動く。それは身体の一部を思い切り伸ばし、鋭いキリを形成。さっきの白菫ではないが、そのようなイメージを以てこちらを刺し貫こうと動く。


「うわ、あぶな!」


 慌てたようにそう言った薄群青に強く腕を引かれる。花実の身体は自身より小柄な薄群青の後ろに庇われる形で引き寄せられた。

 伸びて来たキリのそれを、薄群青が片手で払いのける。

 鋭利な先端は薄群青の腕を抉り、鮮血がしぶく。勢いよく飛び散ったそれは、後ろで呆然と事の成り行きを見ていた花実の頬に僅かに付着した。


「……え」


 ぬるりとした感触。まるで本当に粘性のある液体が頬に付着したかのような、リアルな感覚だった。思わずそれを、指の先で拭う。やはり、あまりにもリアルな限りなく現実に近い感触だ。


 しかし、プレイヤーが思わぬ事態に硬直している間にも時間は進み続ける。

 薄群青で汚泥の群れを処理できないと察した紫黒が、固まってウネウネしている汚泥の真下に術式を作成。一拍の間を置いて、術式から生じた濁流が汚泥を半分だけ呑み込んだ。

 水に流される形で、術式が命中した分の汚泥が消滅。残った半分を、屋根から下りてしまった白菫が、似たような術式で対処。汚泥そのものはいなくなった。


「どきな! アタシの近くに居られると、邪魔なのよ」


 強い言葉。

 濡羽が花実の方を向いていた紫黒に黒い染料が塗られた右手を向ける。手の平サイズの術式が瞬時に起動し、結構な勢いで紫黒を突き飛ばした。

 吹き飛ばされた紫黒が屋根から転がり落ち、奇しくも濡羽の周りに神使がいない状態になる。


「主サン、伏せて下さい!」


 薄群青が花実と濡羽の間、射線に割り込む。白菫が屋根の上へと上る為に助走を付け、屋根から落とされた紫黒が呻きながら身体を起こす――

 そして濡羽は既に弾が込められている銃口を、プレイヤーへと向けていた。


「――!! なに!?」


 ビービー、と不安を煽るようなアラートが花実のポケットの中から響く。ポケットの中にあるのは、ゲーム内で支給された端末だけだし、それが鳴っているのだろう。このクソ忙しい時に何事だ、と思考がそちらへ少しだけ持って行かれて――ふと、気付く。


 音がない。風がない。

 全てのものを一時停止したような感覚の中、花実は恐る恐るポケットから視線を外し、周囲を見回す。

 それはやはり一時停止だった。自分以外の誰もがその場から動かず、固定されたかのように動かない。


 そんな止まった時間の中、ポケットの端末だけが不安を煽るような音を発していた。このアラートのせいで、こんなバグみたいな世界になってしまったのだろう。

 急にイベントを挟むのは止めて欲しい、切実にそう思いつつ端末を取り出した。


「――チュートリアルか!」


 端末には『フレンドから借りた神使の使い方について』、というすっかり忘れていたシステムのチュートリアルが描かれていた。そうだ、黄都に入る前、確かにフレンドから神使を借りるというチュートリアルがあった。


『フレンド神使の使用時には、端末ホーム画面にある左上のボタンをタップしてください。一つのストーリーにつき、一度しか使用できません。

 今回はチュートリアルだったので進行を止めましたが、本来こういったオプションはございません。ご注意下さい』


 一度限りの危機回避だったようだ。つまり、自己判断で次からはフレンド神使を喚ばなければならないという事である。忘れないようにしなければ。プレイヤーが介入できる、数少ない機能だ。

 そして同時に、このチュートリアル終了後に自分がやるべき事も理解する。そう、フレンド神使機能の使用だ。


 呼吸を整え、チュートリアル終了をタップ。

 自分自身は止まった時の中で動けていたのだが、停止する前の状態に戻っている。不正は許さないという事か。

 なので、正常な時の流れに戻った直後、花実はすぐさまポケットに手を突っ込み、端末を取り出した。迷わず左上のフレンド神使ボタンをタップする。


「え? えっ!? ちょ、そういう説明は聞いてない!」


 瞬間、端末の画面が、術式に切り替わる。術式――というか、画面が輝きだしたせいで花実を含めた誰もが驚いてその動きを止めた。これではまるで、ガチャ演出である。そこから流用している可能性が高い。

 やがて目眩ましにも使えそうな光が収まる。


 薄群青と花実は密着していたので、その前に立ち塞がったのは長身の女性だった。白銀と形容してもいい眩しい程の白い長髪を編み込み、手には長槍を装備。限りなく無表情で整った顔立ちをしている。

 花実が借りた神使は白星1の月白。烏羽の対神にして、話題にするだけで嫌がられる存在。

 そんな彼女の厳格そうな態度や顔立ちを見て、一つだけ納得した事がある。

 ――烏羽と性格は全く合わないんだろうなあ。この堅物そうというか、とても真面目そうな感じが。

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