04.拠点を探索しましょう(2)

 花実の少し前を歩いていた烏羽が不意に足を止める。小さな部屋の前――どこか見覚えのある戸の前だった。

 ところで、ここまで歩いて来たからこそ分かったが、拠点――社と呼ばれているようだ――はあまりにもボロボロ過ぎる。長年使われていなかったようで埃は積もっているし、床板も脆くなっている場所が多々あった。危険過ぎる。

 尤も、ログアウトすれば自室なので社がボロかろうとあまり関係はなかったりするのだが。


「本当にお話しませんねぇ、召喚士殿。こう、もっとげぇまぁという奴はお喋りなのでは? まあ、知りませんけれど。ええ」


 ――どこ情報それ? 偏見が凄いな……。

 心中でだけ言葉を返しながらも、反応するべきなのか迷う。ここで人間を相手にするように話し掛けたとして、スルーされたらとても恥ずかしい。所詮はデータである訳だし。

 肩を竦めて小さく溜息を吐いた烏羽は目の前に鎮座する小ぶりの戸を指さした。チュートリアルを再会する。


「ここが貴方様のお部屋です。どうぞ、中を改められては?」


 中を覗いてみて悟る。これはログインした時の、最初にいた部屋だ。何もなく、埃被ってはいるが比較的片付いている様子。随分小さい部屋だと思ったが、プレイヤーの部屋だったのか。そんなにゲームの中に長居する気は無いのだけれど。

 自室について考えを巡らせていると、烏羽が囁くように歌うように、絶妙に背筋に鳥肌が立つような猫なで声を不意に発した。


「ところで、これは私からの助言になるのですが……。ええ、どうやらこの部屋、鍵さえ掛けていれば誰も入れない構造になっている、唯一の部屋だそうで。ええ、まあ、それだけなのですが」


 ちら、と整ったご尊顔を見上げる。意地の悪い笑みを浮かべているこの男が、発した『助言』という単語は大嘘だ。何に対して、どういう意図を持ち、真実は何なのかは不明瞭だが覚えておいた方が良い豆知識なのかもしれない。

 それに――鍵を掛けていれば誰も入れないという事は、鍵が掛かっていなければ入れるという事実を内包している。果たしてそこまで気が回るのかまでは保証しかねるが、覚えている間は出来る限り部屋に施錠をしようと誓った。このゲームは未知数な点がまだまだ多い。鍵の掛け忘れで良く無いイベントが発生する、というトリガーがあれば事だ。


「気は済みましたか? ならば、次へ参りましょう。そうですね、ええ、厨など」


 言いながら烏羽が踵を返す、置いて行かれないように花実もまた、その大きな背を追った。

 まず最初に通過したのは大広間だった。大きな旅館などに備え付けられている宴会場のようなものである。


「見れば分かるとは思いますが、広間ですね。ええ。とはいえ、現状は私達だけしか社にいないので不要でしょう。次に行きますよ」


 興味がなかったのか、投げやりにそう説明した彼は広間を突っ切って奥の部屋へと入る。そこは先程話をしていた厨房だった。大人数が作業する事を想定してか、一般家庭のそれではなく飲食店の厨房などを連想させる造りになっている。

 やはり興味なさそうにそれを一瞥した烏羽は淡々と説明した。彼は気を引く物と引かない物に対して非常にドライだ。


「見ての通りです。私は食事に関して拘りも無ければ、する必要も無いので現状不要でしょう。食事という無駄な行為を好む神使を召喚した場合には掃除するよう命じてみては? ええ、私は掃除など雑事は致しませんけれど」


 ――同寮から嫌われてそうだなあ、烏羽。

 漠然とそう思った。フレンドリーと見せ掛けて取っ付きにく過ぎる。さっきまで楽しげだと思ったら、急にテンションが急下降。現実なら関わり合いになりたくない手合いだ。

 などと思っていたらこの男を最高に体現したであろう台詞を不意に吐き出す。


「あ、何だか飽きてしまいました。もういいですか。面倒なので、ええ。気掛かりがあれば随時尋ねて下さい。気が向いたらお答えしましょう。ちゅーとりあるなぞ、面倒なのでもう二度とやりたくありませんな!」

「……」

「あとは……ええ、そうだ。そういえば! まだ面白い事が残っていたのを失念しておりました! ええ、ええ。そうです、そろそろ――」


 つい一瞬前まで気怠そうにしていた烏羽が不意に目を輝かせる。テンションはジェットコースターか? 子供のように無邪気な目をした彼は、そのまま口を閉ざした。機嫌が下がったのではない。何かを心待ちにしているという気配が伝わってくる。


 カタン、とどこからか小さな物音がした。この社には多分プレイヤーと初期神使しかいないはずだ。


「貴方様にはやって頂かなくてはならない事があります。ええ勿論――げぇむの話ですとも」


 嘘だ。今の言葉は全て嘘。

 それに嫌な怖気を覚えている間に、烏羽は歩を進める。厨房を出て、大広間の方へと。置いて行かれては堪らないと、花実はそれを追いかけた。


 果たして、物音の正体はすぐに判明する。

 濃紺色をしたコールタール状の物質がいつの間にか大広間に溢れ、誰も居ない寂しいその部屋を不法占拠していたのだ。完全に出入り口を塞がれており、厨から大広間へ入る事さえ困難だ。

 その物質の質量と言えば、部屋に水が満ち満ちているのと同じような物である。これに飲み込まれたらまさに一巻の終わりだろうな、と確かにそう思った。


「気持ち悪……」

「おや! おやおや、久方ぶりにお話が出来たようで何よりです。さて、しかしどうしましょうかね。これは。ねえ? 召喚士殿」


 コールタール状の物質は僅かに揺らめいている。自分の力で動いているのだろうか? 謎だ。

 それを見上げていると烏羽が薄い笑みを張り付けたまま、話を続ける。あまりにも落ち着いた態度だ。


「これが、貴方様の戦うモノでございます。我々は汚泥、とだけ呼んでおりますが。いやはや、知能の欠片も無さそうな物体で! ええ、そう。奴等の浸食は実に凄まじいものです。圧倒的な物量、勢いを以て次から次に都市を、町を、村を食い尽くして行きましたとも! ええ、ええ、実に圧巻の光景でしたよ」

「……」

「今や召喚に応じていない神使も、奴等の腹の中……。眠っている間にパックリと食らわれてしまって、本当に情けない事ですねぇ、ええ。ああ、召喚士殿! こんな哀れな我々をどうか、どうか、お救い下さい! フフフッ……」

「……」


 ――え? この人、自分の世界を救う気はないの?

 あまりにも楽しげにそう言うので、当たり前と言えば当たり前の結論に辿り着いてしまった。全く危機感もなければ、自分の世界を救うという気概もない。このゲームに出てくる神使は全員、こういうスタンスなのだろうか。いやまさか。

 芝居がかった動作で泣き真似をする烏羽を胡乱げな目で見つめる。全身で嘘をアピールしてくる存在なんて、これまで相手にした事がなくて困惑に震えそうだ。

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