第119話 踏み出す一歩

ふらつく足を無理やり動かしながら歩き続け、やっとの思いで処理場に戻って来たのは夕方になってからのことだった。


心臓の鼓動がいつまでもうるさく頭の中で鳴り続き、体中を冷や汗が流れていく。

師匠やイーリスの言葉が頭の中に入って来ず、そのまま壁にもたれ掛かる様にして座り込んでいると、いつの間にか意識を失ってしまった。


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――おい、起きろ悠賀



――何だ?

誰かが、俺を呼んでる……?


「おーい、大丈夫か悠賀、お前が飲み会で眠るなんて珍しいなあ」


「あ、ああ……悪い。いつの間にか寝てたみたいだ」


重いまぶたを無理やり押し上げ、声のする方向に視線を向けると、そこにはビールグラスを片手にこちらを見る信征と幸司がそこにいた。



「――何だ、お前らか」


久しぶりに見た親友たちの顔だったが、意に反して口をついて出たのは短く“つれない”言葉だった。


「ハハハ、何だ? さてはお前寝ぼけてるなあ?」


「ふっ、幸司はともかく、久しぶりにこっちに帰って来た俺に対して何だはないだろ、何だは」


「悪い悪い、何だか色々ありすぎて少し混乱してたみたいだ」


「色々……? 葬儀屋の仕事で何かあったのか?」


「……人の死に触れるのが……少し、しんどくなってきた」


「なんつーか、お前は昔からそういう所あるよなあ……人の気持ちに寄り添おうとし過ぎるというか、何というか」


「ある程度、仕事と割り切れるのが理想なんだろうけどな。――とは言え俺も医者として生きていく身だから、人の死は避けて通れないんだろうが……」


「割り切る、か……」


仕事だったらそういうこともできるのかもしれない。

だが、ダルクで経験したのは戦争だ……

街には多くの死が溢れかえり、悔しさや悲しみ、怒りが瘴気となって充満していた……

自分なりにベストを尽くしたつもりだったが、結局は理不尽に蹂躙されただけ。


――俺はどうしたら良かったんだろう。



「なあ、お前らがもし戦乱の時代に降り立った勇者だったら……その力を何に使う?」


「おいおい、何だその“お題”は! 中学の時によく3人でそれ系の話したなあ」


「俺なら……圧倒的な力を付けて、誰も戦争を起こそうなんて気を起こさせない存在になるな。平和になったら悠々自適の生活だ」


「信征らしい答えだなあ、俺だったら努力するのが嫌だから適当なタイミングで逃げて隠遁するかな」


「はははっ!幸司の方が“らしい”こと言ってるじゃないか!――まあ、そんなこと言って何だかんだで情にほだされてスイッチが入るんだろう?」


「だとしても俺は前には出ないぜ?信征や悠賀を徹底的にサポートする側に回るからヨロシク頼むわ!」



まるであの頃に戻ったかのような二人のやりとりを見ていると、何だか無性におかしくて思わず笑ってしまった。


「はは、お前ららしいな……!一見真逆だけど、ふたりとも目の前で死を見たくないという思いは共通してるように見える」


「そりゃあそうだろ悠賀、死を遠ざけたいのは人間の本能だぜ」


「幸司の言うことはもっともだ。――だけど、俺は死を避けているだけじゃ本当の強さは手に入らないと思う」



「本当の……強さ……?」


「人は大なり小なり他人と関わって生きていくだろ? 人と関わるってことは、これまた大小の差はあれど、お互い自分の証を相手に残すということだ。少なくとも俺はそう思っている」


そう言って信征はグラスに注がれたビールを一気に飲み干し、言葉を続ける。


「――人の死ってのはその最たるものじゃないか? 例え全く関わりのない相手だったとしても、目の前で毒草を食べて死んだ人間がいたら、それを見た者は絶対に毒草を食べない。その人の経験を通して学ぶからだ」


「おっ!信征先生がノってきたぞ!今日も勉強させてもらいますぜ!」


良いが回った幸司が信征をあおるが、それを意に介さない様子で話を続ける信征。


「関わりがあった者の死なら尚の事、だ。

――生前のその人の経験や知識、思想、生き方を見ているわけだろ?普段は意識しないかもしれないが、死を引き金にしてその人が生きた証に思いを馳せ……自分の糧にするんだ」


「決して無駄な死なんてないってことか……?」


「いや、“死を無駄にさせない”という、残された者の意思が大切なんだと思う。悲しみや辛さを乗り越え、死者の人生の一部をまとって一歩を踏み出す――そうして強さを手に入れていくんじゃないか?」



――きっとこれは夢だ。

信征や幸司の姿を借りて俺にとって都合のいいセリフを言わせているだけなのかもしれない。

だけど、親友たちの言葉に心のつかえが少し和らいだような気がする。



「ありがとうな、ふたりとも……もう一度、一歩を踏み出してみるよ」


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――遠くの方でパラパラと地面をたたく音がする。

鼻腔をくすぐるのは、向こうの世界でもよく嗅いだ……降り始めの雨の匂いだ。


ゆっくりと目を開け、ぼーっと窓の向こうに広がる曇り空を眺めていると、アイラが静かに声を掛けてくる。


「――起きたか……! 珍しく長く眠っていたな」


「そんなに寝てたのか……アイラには色々と迷惑を掛けてしまったな」


「なに、ユウガが無茶するのはいつものことだ! 迷惑だなんて思ってないさ。――ひと晩寝て少し顔色が良くなったみたいで安心したぞ」


「ああ、なぜか夢で親友たちに励まされたんだ。不思議な夢だった……」


「親友……勇者たちか? ふふ、今度会ったらしっかり礼を言っておかないとな」


「はは……そんなことしたら、寝ぼけてるのかとあいつらに笑われるじゃないか」



「冗談を笑えるくらいには回復したみたいだな。――さあ、師匠の所へ行って今後の身の振り方を話し合おう」



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俺とアイラは師匠たちの元へ行き、現在の状況を尋ねる。


「――とまあこのくらいだのう、婿どのが寝ている間に進展があったのは」


「そうですか、ではまだダルク郊外の戦争は続いているんですね……」


俺が寝ている間にキールさんから連絡があり、陸路で進んでいたロクステラの援軍が到着し戦況は拮抗――戦闘が長引く様相を呈しているとのことだ。


「ミモザ様が討たれてしまった以上、エール王国は事実上滅んだということだ。今はダルクで戦闘が続いているが、いずれ周辺の村や町が狙われる可能性もある……ここからどうするかは慎重に考えねばならんぞい」


「まずはステア村に行って事の次第を説明してくるってのはどうだい? あそこはダルクから近いし、アタシ達の故郷でもあるからねえ……」


「私も賛成だ。被害に遭う可能性が一番高いステア村には真っ先に避難勧告をした方がいい。――故郷を離れるか残って戦うかは村長たちの判断に任せることにはなるが……」


「多少強引にでも避難させるさ! アタシ達が言えばみんな分かってくれるはずだ」



「――では、まずはステア村へ行きましょう。今から行けば夕方までには到着できます……!」


「イーリス、これからまた長い距離を歩くことになるが、しっかり私たちに付いて来るんだぞ!」


「皆とはぐれないよう、しっかり付いていきます!」



そうして5人は周囲を警戒しつつ、ステア村を目指して歩き出すのであった。

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