第89話 龍の王

はは……これはダメだ。

生物としての“格”が違い過ぎる……


ほとばしる魔力も、生命力も、全て次元が違う。

魔力災害を起こしでもしない限り、傷一つ付けられる気がしない……


呼吸すら許されないような重くのしかかる圧力――全身の筋肉が、骨が軋むような凄まじい魔力を放つ龍を前にして、3人全員が片膝をついたまま、意識を失うまいと必死に歯を食いしばっている。


片膝をついて首を垂れるその様子は、まるで王にかしずく従者のようであった。

そんな従者よろしく、とにかく偽りなく質問に答えていく――それだけが生き延びるための唯一の手段だと直感的に悟った。


震える声を絞り出すようにして、自分たちがここで何をしていたのかを説明する。


「――こ、この火口に存在する、緋陽土と呼ばれる土を採集しておりました」



[ この地に存在する全ての物は神聖なるアノウス火山の一部である。その土を大量に持ち帰って何をするつもりだ? ]



「この土を使ってブドウを育て、ワインを作るためにこの土が必要だったのです……!」


[ ワインだと……? シルト家の者どもが毎年献上してくる葡萄酒のことか? ​]


その言葉を聞いたキールさんは、恐る恐る顔を上げて口を開く。


「わ、わたくしが、その葡萄酒の作り手でございます! より至高の味わいを追及すべく研究を重ねた結果、この緋陽土が最適だと発見したのです……どうか土を持ち帰ることをお許しください!」



[ 嘘は言っておらぬようだな……確かにここ最近献上される葡萄酒の味わいは、見違えるように向上している。だが、味の向上にその毒土が必要とは思えぬ……それは古くから呪詛の触媒として使われてきたものだぞ ​]


「光魔法で浄化することで、ブドウの生育に適した土になるのでございます!決して呪詛などに使わないと誓います……!」



[ ふむ、その言葉にも偽りはないようだ。――よかろう、かつての帝国の愚行が繰り返されてはならぬと思い自ら確認に来たが、杞憂であったようだな ​]




――助かった。

過去に帝国が何をしたか知らないが、余計なことをしてくれたお陰でこっちの寿命が年単位で縮んだ気がする。


とにかく最悪の事態は避けられてよかった――



[ 最後に一つ……貴様から同族の匂いがするのはどういうことだ? ]



鋭い視線がこちらに向けられ、再び全身が硬直するのを感じた。


どうすればいい!? 一体どうすれば――

返答を誤れば即、殺されてしまうだろう……一瞬で脳内を様々な考えが巡り、生き残るための最適解を導こうと必死に頭を働かせるが、出した答えは最初の時と同じ――“偽らない”ことだった。


横にキールさんがいるが、この際仕方ない。

短い期間だが一緒にいてこの人は信頼できると確信している。恐らく俺の話を聞いても悪いようにはしないだろう……



「全て……お話しします――」


そう言って龍王に召喚から大迷宮での黒龍の死の部分を包み隠さず説明した。


話を聞いている龍王は特に反応を示すわけでもなく、その表情からも全く感情を窺い知ることはできない。


[ ――なるほど、にわかには信じがたいが、嘘は言っていないようだな。いかに上位の龍族であっても魔力災害を至近距離で受ければひとたまりもあるまい…… ]


いくぶんか重苦しい空気が和らぎ、呼吸が楽になってくる――


[ お主が魔力災害を起こして生き残ったのは稀有な事象ではあるが、理由はどうあれ正面から龍族に打ち勝ったならば、その血肉を食らうのは自由だ。――お主の事情は承知した ]


キールさんが横で衝撃を隠しきれない様子でこちらを見ているが、後でフォローしておこう。

それよりも誤解が解けた今、あの時の疑問をぶつけずにはいられなかった。


「質問することをお許し下さい……あの時黒龍は龍族の始祖が残した言葉について話してくれました。〈原初の光〉の記憶を読み解き、光を呼び寄せ不思議な現象を起こしたと聞いています――」


[ なぜ黒龍がそのようなことをお主に――人間に話すのだ ]

龍王が話を遮る様に問いかけてくる。


「私もこの刻印の力を使って同じことができるからです ……!」


[ 馬鹿な!そのような事、始祖以外にできるはずが……いや、嘘は言っていないようだが…… ]


ここへきて初めて明らかな動揺の色が現れる龍王。


確か黒龍は、龍族は魔眼を持っていると言っていた。

この龍王は嘘を見破る類の魔眼を持っているのだろうか……普通なら一笑に付されるか、嘘だと判断されて逆鱗に触れてもおかしくないところだ。

今回に限って言えば、そんな俺の言葉を真剣に受け止めてくれるので、むしろ嘘を見破る力に助けられているのかもしれない。



「この力は分からないことが多すぎるのです。どんな些細なことでも構いません……始祖が残した情報を教えていただけませんか!」



[ ……始祖とその力に関する事は他言しないよう言われている。そもそもお主が黒龍から聞いた話自体、人間が知ってはならぬものだ ]


鋭い視線を向ける龍王――

やはり駄目か……他の二人もいるし、これ以上踏み込むのは危険だな。



[ ――が、一つだけ……確認しなければならぬことがある。歴代龍王から継承した記憶によれば、龍族を伴って始まりの地に来ることができた者には、一つ始祖からの言葉を伝えてよいと言われている。お主にはそれができるか? ]


「お、恐らくできると思います……そこへ連れていくには刻印に触れてもらう必要がありますが――」


正直こんな大きな存在を連れていくことができるか不安だが、このチャンスを逃してはいけないと直感が言っている気がする。



[ ――ふむ、“このまま”ではやりづらいな……仕方あるまい我が“合わせて”やるとしよう! ]


そう言い放つと、龍王の体が閃光に包まれる。


光が消えると、龍王の姿は消えていた。

――いや、圧倒的な存在が放つ気配はまだそこにある……!




「何を呆けておるのだ」


声のする方向を見ると、そこには一人の人間の男が立っていた。

炎のたてがみと見紛うばかりの紅い髪をしたその男は、先ほどと変わらぬ存在感と眼光を放っている。


「す、すみません。まさか人間に変身できるとは思わなくて……」


「始祖のいい伝えにある存在かも知れぬからこの姿を見せたのだ。――もし我を始まりの地に連れていくことができなければ……お主らの命はないと思え」


アイラたちの方を見ると、今の言葉云々の前にすでに龍王のプレッシャーによって限界が近くなっているようだった。

――あまり時間を掛けていられないな。


「全力を尽くします……! ――では、刻印に手を触れてもらえますか」


「ふむ、これでよいか?」


ひんやりとしたような、それでいて燃えたぎるような――圧倒的なエネルギーを湛えた右手が刻印に触れる。


静かに目を閉じ、龍王の存在をしっかりと感じつつ刻印を起動して意識を暗闇の彼方へ飛ばしていくと、ほどなくして“ともしび”の空間に到着する。


目を開け前方を確認すると、無事龍王も始まりの地へ来れたようだ。目を見開き、驚いたような顔で周囲を見回している――



「ふ……ふはははは!これは驚いた! 本当にこんな空間があろうとは!――間違いない、この光こそ原初の光だ!」


そう言って龍王は“ともしび”に手を伸ばす。


「待ってください!それに触ると膨大な情報が――!」


制止もむなしく伸ばした手に光が吸い込まれていき、龍王は一瞬硬直した後に膝をつく。


「――こ、これは……!本当に伝承の通りではないか……!」


「だ、大丈夫ですか……?」


「うむ、かなりの衝撃だったが耐えられぬことはない。脆弱な人間の姿をしていても我は龍王だぞ?」


流石に龍王だ……あの途轍もない情報の奔流を耐えきるなんて。


――ただ、今の龍王の姿を見て俺の中の仮説が確信に変わった。



「どうして始祖は――“人間”だったのに、この光の情報量に耐えられたのでしょうか……?」

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