第2章
第5話 暗闇の大迷宮
俺は立ち尽くしていた。
“黒”一色で埋め尽くされたこの空間で――
魔法陣の光は転移されたその一瞬だけ周囲を強く照らし出すが、そこで目にしたものは決して心に安堵をもたらすような光景ではなかった。
足元には岩と石ころで覆われた地面が広がっており、天井はおろか、壁さえ見えない……
ほんの束の間あたりを照らした強い光は、消え去った後により深い闇を呼び寄せる――
俺は“漆黒”に囲まれた一瞬の静寂の後、忘れていた呼吸を再開させる。
――すると突如、強烈な頭痛と
「うぐっ――がはっ……!!!」
フラフラと数歩進んだ所で膝から崩れ落ち、控室で取った軽食と胃液を吐き散らす。
呼吸も苦しく、息をする度に眩暈と吐き気が猛烈にこみ上げてくる――
あまりの苦しさに思わず転げまわっていると、突然――
体を支える地面がなくなった。
直後、右肩から腰に掛けて衝撃が走り、そのままゴロゴロと斜面を転がっていく。
どのくらい転げ落ちたのだろうか……やっと止まったのも束の間、今度は打ちつけた場所から激痛が押し寄せる。
あまりの痛みに声を上げた瞬間、肺に入った空気が追い打ちを掛けるように更なる頭痛と吐き気を連れてくるのだった。
これは……毒か!?
くそっ……俺の馬鹿野郎、さっきあいつが言ってたじゃないか……!
とにかく…… ここで息を吸ったらまずい……!
息も絶え絶えになりながらも、すぐさま左腕の袖で口と鼻を塞ぎ、右手は手あたり次第に服のポケットを探る。
何か、何かないのか! ハンカチでも布切れでもいい――!
必死に動かす右手が上着のポケットへと入った時、指先に固い感触が伝わってくる。
ひんやりとした固いリング状のもの――指輪だ!
あの時信征が入れたのは、控室で見たあの指輪だったのか……!
勇者の所持品であれば、もしかしたら――
遠のく意識の中、指先の感触を頼りに右手人差し指をリングに押し入れる。
右手をポケットから出すと指輪が淡い光を発し、ほんの一瞬――周囲の闇を払うかのように光が球状に広がった。
少し、呼吸が楽になった気がする……
勇者の持ち物に何らかの浄化効果があることを祈りつつ、右手も口と鼻の前に持ってきて両手で覆う。すると読みが当たったのか、頭痛と吐き気は残るものの何とか我慢できるレベルに落ち着いてきた。
少しずつ周囲の様子に意識をやることができるようになり、俺は息を潜めながら耳を澄ます。
――どこかから吹き込んでくる風の音、湧き水だろうか……水滴の落ちる音がする。
そして……これはあまり感じたくなかったが、何やら無数の生物らしき“気配”を感じとる。
相変わらず視界は黒で染まっており、視覚的な情報は一切ない。
そんな中で、何かの“気配”だけがはっきりと感じられる……
――そういえば、城で見た鑑定画面に〈気配感知〉というスキルがあったが、これがそうなのか……?
音とか匂いといった五感的なものではなく“気配”としか表現できない感覚……
日本にいた時には感じたことのない感覚だ。
気配のある方向は分かるが、大きさも重量感も分からない。
得体のしれない現象に加え、この視界ゼロの状況に全身に鳥肌が立ち寒気がしてくる。
これは、恐怖か……?
どうしたらいいんだ、こんな――
思考が再びぐるぐると彷徨いはじめたその時、突然“空気”が変わった。
重苦しく
気配は数十メートルくらい先にあるが、明らかに巨大な“存在感”を伴っている点で先程までとは全く違う。
ゴクリと唾を飲み込み漆黒の虚空を見つめていると、頭の中に“声”が響いてくる――
[ 何だ、貴様……〈気配感知〉を持っていたのか ]
声!? 人間……いや違う……!
もっと“ヤバい奴”だと直感が警鐘を鳴らしている。
[ 我の存在に気づいた所でもう遅い。このまま死ぬがいい ]
この“声”は、ただでさえ痛みと毒によるダメージでギリギリのところを、ガンガン響いて更に脳みそのリソースを圧迫してくる。
だがそんなことに構っていられない。とにかく離れなくては……!
俺は指輪を顔に押し当てるようにしながら暗闇の中をがむしゃらに走り出した。
[ ……無駄なことを ]
だめだ――相手は正確にこちらの動きと居場所をとらえている……!
それでもここで足を止めるわけにはいかないため、俺は必死に足を前に前に進めていく。
[ これで一体何人目だ……こうして“棄てられて”きたのは ]
壁や岩にぶつかるかもしれない――そんな“理性”を振り払いながら
肘と顎を打った挙句、俺はもはや自分がどちらに向かって走っていたのかも分からなくなってしまった。口の中に鉄のような血の味が広がっていく――
そこへ今度は巨大な“何か”が羽で空気を叩くような音が響いた。
まずい――!!!
俺は痛みで悲鳴を上げる体からありったけの力を絞り出し、横に飛び跳ねる。
その直後に岩盤が弾け飛んだかのような轟音が響き、左脚に激痛が走る――
「ぁあああああああ!!!」
目で確認ができないが、左の太ももから下をやられてしまった……!
限界を迎えた脳に極大の痛みまで加わり、俺の心は完全に折れてしまった。
[ 諦めろ……抗っても苦痛が続くだけだ。稀に面白き者が来ることもあるが、貴様は特に見どころもない……これで終わりにしてやろう ]
――もう駄目か。
ついに脳が白旗をあげ、痛みや苦しみの感覚を遮断したようだ。
何だかとても……静かな気分だ……
あいつらには世話になったな……こんな俺と10年以上もいい友でいてくれた。
本当だったらあの居酒屋を出てもう一軒くらいどこかの店に入っていたはずなのに、訳も分からず隕石に殺され、この世界に連れて来られた。
勝手に呼び寄せておいて――
闇の刻印だか何だか知らないが、こんな場所に飛ばされて、こんな苦しい目にあっている……! 何で、何で俺がこんな目に遭わなければならないんだ……?
俺がいったい何をしたっていうんだ……!
静かになったはずの空間が、再びざわつき始める――
このまま終わりたくない、終わるわけにはいかないんだ……!
あの“野郎”だけは絶対に許せない……!
脳裏に王の顔が浮かび、あの時の燃えるような感情が込み上げてくる。
「絶対に、絶対に俺がこんな――」
その言葉を言いかけた時――
ブツっという紐が切れたような音と共に、俺の意識は途切れてしまった。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
――これは……夢か?
ゆっくりと目を開けると、体が真っ暗な闇の中に浮かんでいるではないか。
それとも……あの世ってやつなのか?
勘弁してくれ……死んでからも真っ暗なんて笑えない話だ。
自嘲気味に口元に笑みを浮かべたその瞬間――
自身の胸に見たことのない文様が浮かび上がり、強烈な光を発し始める。
今度は一体何なんだ!? この光は……!?
激しい光をまき散らしながら渦を巻いてほとばしる“何か”を、なす術もないまま眺めていると……再びブツっという音と共に視界が暗転する――
全身の痛みで意識が戻ったことを知る。
――自分が咆哮を上げていたのに気づいたのは数瞬遅れてからだった。
胸のあたりが焼けるように熱く、内側から業火が吹き上がるような感覚だ……もはや叫ぶ以外の行動ができない程の極限の苦しみが全身を駆け巡る――
[ これは……しまった! ]
“声”の主が狼狽すると同時に辺りを激しい閃光が包み、隕石で殺された時の“あの感覚”が走馬灯のように蘇る――
白閃に包まれた俺の意識は、再びそこで途切れたのだった。
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