魔/法医学者と火傷の遺体
魔法医学研究室。
この名称だけ聞けば誰しも魔法による医学を連想するだろう。
勿論、このような分野はかねてから研究されているのだが、うちの研究室の場合は区切りが間違っている。正しくは魔/法医学研究室だ。
魔法の発生以降、これによる犯罪は増加の一途を辿っており、次第に手口も巧妙化してきている。法的には魔法による犯罪は厳罰が規されると決まっているが、痕跡の残りにくい魔法では、そもそも証拠の確保や判断が難しい。
そして更に質の悪いことに、最近は魔法犯罪に見せかけた通常の犯罪も増加の一途を辿っていた。
以上の理由から、特に殺人事件に関して法医学的な観点から魔法犯罪を特定することが急務となり、飛び級などで悪目立ちしていた俺に白羽の矢が立ったという訳だ。
とはいえ、俺の本心としては大学教授という立場を利用して自分の研究を進めているだけであり、本業は研究者を自称しているのだが……。
何はともあれ、二十歳にして教授、法医、研究者という三足の草鞋を入手してしまったために、現在は極めて多忙な日々を送っている。
そうして、今、研究室で軽く書類を確認した後、城田を記録として連れて解剖室の中に入った。
研究時間の確保のために助手兼記録を雇うか迷っていた頃、彼女がこの研究室に来たことで、教育を条件にその作業を任せることにしたのだ。実質的な英才教育の成果か、最近では並の助手や記録係よりもいい動きをするようになってきている。
……決して無料の労働力とか考えていない、たぶん……。
「カメラ持ったか?」
「はい!」
「服装は大丈夫か?」
「はい!」
「めんどくさいな」
「は……って、何同意を求めてるんですか! もっと誠意を持って取り組んでください!」
うん。やっぱり、並の助手よりもしっかりしていそうだ。
最近、うちの研究室に出入りしているもう一人の学生が脳裏に浮かび、ため息が漏れる。
「さて、行きますか」
重たい自動ドアが開き中に入ると、部屋の中央に袋に包まれた遺体があり、その周囲には引継ぎの警官が立っていた。比較的若い刑事で、よく顔を合わせるのだが未だに名前は憶えていない。
互いに軽く挨拶して情報共有が始まった。
「今回の事件は山間部で発見された50歳男性の死体です。全身重度の火傷が見られています。死亡推定時刻は目撃証言などから昨晩と思われます」
「山間部で火傷ね。周囲に火災は?」
「幸い、周囲がやや焦げている程度でした」
限定的な火は魔法関連事件、通称MAIにありがちな特徴だ。
それから被害者についての情報など聞いたが、持ち物から個人特定の調査中で、大して役立つ情報は無かったので適当に聞き流した。
なんなら、記録という職務のせいか、城田の方が真剣に聞いていたまである。
情報提供が終ると、次の事件へと去って行った警官たちを見送って、解剖室には俺と城田の二人とご遺体のみとなった。
死体袋を開けると焼けただれた肌で顔のパーツも怪しい、非常口のような態勢をした遺体が現れる。
城田も大分慣れてきたのか、前みたいに吐かなくなった。
「黙祷」
この言葉を期に部屋の空気が変わった。
開く前に、まず死体を観察する。
焼損死体は個々ではそこまで珍しくないため、城田が見るのも何度目かになる。
教育も兼ねてさっそく、俺は尋ねた。
「まず、違和感のあるところは?」
「肌が焼けただれ、浮腫らしきものもありますが、黒焦げではないという点ですか?」
「そうだな。ある程度の火災に巻き込まれるともっと真っ黒になる。他には?」
「他……ですか?」
そう言って、悩んでいるが、これで悩むようなら、まだ勉強が足りていないな。
「体勢はどうなってる?」
「非常口の人みたいな……あっ、闘士型姿勢でないです!」
「正解だ。焼肉だと分かりやすいが、筋肉は熱されると縮む。そして、人体は伸筋より屈筋、つまり、伸ばす筋肉よりも曲げる筋肉の方が多いことから、基本的な焼損死体は腕やひじを曲げた格闘家のような姿勢、即ち闘士型姿勢になる。これがないことが何を意味しているかというと?」
「……筋肉まで火が行っていないということですか?」
「その通り。ついでに全身均等に燃焼してる点から考えても、全身の重度の熱傷による全身炎症から脱水、その結果のショックが直接的な死因だろうな」
俺が淡々と告げると、城田のマスクがもごもごと動く。
「先生、こういうときだけカッコいいのに……」
「何か言ったか?」
「日頃からちゃんとして下さい! って言ったんです」
「なんで唐突に怒られるんだ……。記録よろしくな」
怒りのせいか、頬をやや赤らめながらも淡々と写真を撮り、記録する城田。
それから少しして、一通り記録を確認してから、改めて死体に向き直る。
中を失礼します。
そう心に念じてメスを手に取った。
新品の替刃が綺麗に喉元を切り開く。
気管支まで進むとじっと眺めている少女に問いかける。
「焼損死体、気管支を開いてまず気になるのは?」
「煤などの生活反応の有無です」
「生活反応とは?」
「人体の生理的な反応で死後にも残る物です」
「まあ、大体そんなもんだ。仮に生きていた状態で火災に巻き込まれた場合、呼吸をするから煤が気管支に入ってくる。つまり、生きたまま火事に巻き込まれた場合、呼吸をしているので肺に煤が残るが、死んでから放火された場合は煤が気管支までは入り込まない」
そう説明しながらやや不格好に膨らんだ黒ずんだ肺と焼けた後の残る薄っすらと黒い気管支を見せて再度問題。
「この所見はどうみる?」
「肺は……汚れていて、気管支も黒っぽい。生活反応あり……ですか? でもそれだと姿勢の初見と一致しないような気も……」
思考の海で遭難しかけているので、助け舟、というよりも答えを言ってしまう。
「確かに色々と考えられるが、これは煤じゃない。まあ、これは数を見ないと分からんだろうがな」
「先生も三つしか変わらないじゃないですか」
「俺は直近の二年間で死ぬほど医学教育を詰め込まれたんだよ」
まったく、思い出したくもない地獄のような日々だった。特例的に医師国家試験の受験資格をもらう代わりに、ひたすら勉強付けの日々。なんなら半年で臨床現場を見たり、大量の死体を見せられたりと、学校全体を挙げての一大プロジェクトレベルだった。その際にひたすらお世話になったので、もうどの教授にも頭が上がらない。
ちなみに特例だから生きている人を診てはいけない、とお偉いさんから散々念を押されているが……まあ、研究できればいいので、大して意味のない話だ。
完全に過去の愚痴に思考が持って行かれていたせいで、ぼんやりしていたが、思い出したように顔、特に口に手を掛ける。
見やすい様にやや強引に口を広げると、やや黄ばんだ歯が露わになった。
「これは……?」
「さっきの黒いのはタバコだ。今時珍しいが、歯の色が変わる程度にはヘビースモーカーだったんだろうな」
「なるほど。勉強になります」
そう言いながらも、城田はしっかりと記録の仕事として写真撮影を行っている。
実にできた学生だと感心しながらも胸部に戻って肺の初見を確認する。
「そう言えば血液検査は」
「もう出してありますよ」
「流石だな」
「褒めても何も出ませんってば///」
「バイト料くらいなら出すが?」
「いえ、結構です!」
全く、これだけ働かせているのだからそろそろ多少の賃金くらい払わせていただきたい……と思う一方で大人の汚い打算が入っているのも否定できないのがもし分けない所だ。後で飯くらいは奢ってやろう。
そんな思考の片手間で腸管を開く。
胃、小腸、大腸に至るまで、均一に焼けた後があった。
……なるほどな。
「先生、これは……?」
「ちょっと長くなるから後でな」
その後、解剖は滞りなく終わり、残りは整形の先生に丸な……引きついだのだった。
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