勇者の目覚め

春野訪花

勇者の目覚め

 さわさわと風が吹いている。

 柵に寄りかかって空を見上げていた。雲が地上に影を落としながら流れていく。

 たたたっと地面を蹴る音が聞こえてきて、柵から飛び降りた。草の間、踏みしめられて出来た道の先、人影が見えた。

 ワンピースの下にズボンと、すり減って少しくたびれた靴。長い髪の毛は纏められているがボサボサだ。走ったせいか、家の手伝いをしたせいか、そもそも不器用だからなのか……たぶん全部だ。駆け寄ってきたそいつ……ルーニーは、オレのそばで立ち止まると息も絶え絶えに、

「ルド……遅、れて……ごめん……っ、はぁ……」

 と言った。

 オレは空を見上げて、太陽の位置を確認した。一時間遅刻だ。

「ごめん……っ」

「大丈夫」

 ルーニーの家は子どもが多い。その中で、彼女は唯一の年長者だ。だからいつも家の手伝いをさせられている――というとルーニーは自分から手伝ってるんだよ、というけど。

 オレはズボンのポケットから真っ白で、真新しいハンカチを取り出した。花の刺繍が施された、可愛らしいデザインだ。昨日母が買ってきたものだ。なにか買ってくれるのはありがたいけど、いつも自分の好みの物を渡してくる。おかげでオレの持ち物の一部は女の子らしさがあるものばかりだ。

 オレはそのハンカチをルーニーに差し出した。すると彼女は素朴な笑みを浮かべる。

「ありがとう」

 呼吸も整ったようなので、オレは歩き出した。

 向かう先はすでに見えている。森だ。この村を囲う森で、勇者が眠っているのだと言う。だから「勇者の森」と安直的な名前がつけられていた。でも具体的にどこに眠っているのか分からない。オレはその勇者が眠る場所を探している。伝説のような、おとぎ話のような、勇者が魔王を倒したという話が本当なのかどうか……この目で見てみたいんだ。

 木々が鬱蒼と繁っている。木漏れ日が適度に差し込むその森は、人の手が加わっているのもあって綺麗だ。

「今日は少し奥の方へ行こうと思う。大丈夫か?」

 ルーニーに聞けば、楽しげに輝いた緑の瞳が頷いた。

 森に入ってすぐの場所は手入れもされているし、人が立ち入った形跡が残っている。だけど、ある程度の距離までくるとそこは徐々に薄暗く、じめじめとしたところに変わっていく。枯れた木が倒れていたり、苔むしていたり。枝葉が空を塞いでしまうのでさっきまでとは明るさが違う。

 オレが先を歩いて、後ろをルーニーがついてくる。足元に気を付けて、と時折促し、ゆっくり進むけど、おっちょこちょいな彼女は定期的に足を滑らせたり躓いたりするのでハラハラした。

 やがて昨日よりも前よりも、奥へとやってきた。するとルーニーが不意に足を止めた。

「? どうしたの?」

「水の匂いがする」

「水?」

 なにも感じない。でもルーニーは水に敏感なのは知っている。今までも何度も雨が降ることにいち早く気がついてくれたのだ。

「行ってみよう」

 ルーニーが頷いて、方向を指差した。さらに奥の方だ。

 陽が当たらないせいで足元がぬかるんでいる。ルーニーが転んでも手が差し出せるように隣を歩いた。ルーニーは転ばないように、真剣な面持ちで一歩一歩を踏みしめている。それでも何回か転びそうになるので、オレの反射神経が鍛えられるばかりだった。

 しばらく進むと水の音がしてきた。滝のようだ。遠くに金色の輝きが見える。

 ルーニーと顔を見合わせ、急ぎ足でそこへ向かった。

 視界が開ける。そこは湖だった。反対側には崖があり、そこから水が流れ落ちてきている。湖の水が……金色に輝いている。滝から流れ落ちている水は輝いていないので、水底になにかあるのかもしれない。

「すごい……!」

 ルーニーがその場で手を叩きながら跳び跳ねる。オレはそんな動きはしなかったけど、その気持ちがとてもよく分かった。

 輝く水なんて見たことがない。周囲を金色に照らすその光景は、今まで見たことがないほど美しかった。

 もしかしたら、ここが勇者が眠る場所なのかもしれない――!

「でも、どうやって見に行こう?」

 ルーニーがポツリと溢した。

 オレは泳げるけど、湖がどれだけ深いか予測がつかない。ルーニーは泳げるのかどうか聞いたことがないけど、どちらにしても危なっかしくって行かせられない。

 ルーニーがしゃがみこんで、水に手を浸けた。

「えっ……?」

 眼を見開いて、彼女が動きを止めた。

「ルーニー……?」

 その瞬間、金色の輝きが増す。眼を開けていられないほどの光に瞼を閉じた。

 ばしゃっと水が跳ねる音がして、輝きが収まる。恐る恐る眼を開けると、湖の中心に鞘に収まった剣が浮いていた。それは金色に輝きを放っている。その光景は幻想的で、夢を見ているような気分だった。

 ルーニーへと目を向けると、彼女は呆然とした顔で剣を見つめていた。オレは微動だにしないルーニーの肩を掴んだ。そこでぴくりと震えた彼女はオレへと顔を向けた。驚きすぎて、まだ目を丸くしたままだ。

 不意に剣が動いて、こちらへ向かってきた。それはルーニーの前で止まる。

「これ……」

 その剣は伝説やおとぎ話で出てきた勇者の剣と同じだった。ドラゴンの装飾も、青と赤の宝石も……。

「私……なの……?」

 ルーニーが独り言のように呟いた。

「どういう意味……?」

 ルーニーの眼差しが揺れる。

「私……勇者なんだって……」

「ルーニーが……!?」

 彼女が頷く。

 そんなまさか、そう思ったけど、剣は確かにルーニーの前で止まっている。手にとってもらえるのを待っているように見えた。オレは剣に向かって苦々しく口を開いた。

「……勇者なんて……今、必要ない」

 世界は平和だ。勇者が必要な、物語の中の殺伐をした世界とは違う。

「でもね……ルド……私見たの……。悪者たちが目覚めようとしてるって」

 ルーシーがオレの手を握ってくる。その手はとても力強かったけど……同時に震えてもいた。

 オレは剣を見やる。物言わずずっとそこに浮かんでいる。その存在感はすさまじいもので、剣を取れと強く言っている。無視して逃げ出す……そんなことを許さないような、威圧感があった。

「本当に……? 幻を見せられたんじゃないか……?」

「……分からない」

 ルーシーが力なく首を左右に振った。

 オレは剣に手を伸ばした。だけど剣がその手を避ける。どれだけ手を伸ばしても、触れることすらできなかった。

「……くそっ」

 目の前にある剣――それが、ルーシーの言葉の現実味をより一層引き立てている。そもそもルーシーの言葉を疑う、という選択肢はない。胸の奥にじわりと嫌な感覚が沸き上がってくる。

 ルーシーが今にも泣きそうな顔をして剣を見つめていた。だけど、ぐっと表情を引き締めた彼女は剣を手に取った。瞬間、金色の光がルーシーにまとわりついて消えた。

「……ごめん、ルーシー」

 大変なことになってしまった。ただ興味があっただけなのに。

 剣を両手で抱き締めるように抱えたルーシーは、肩をすくめて笑った。

「大丈夫。きっとなんとかなるよ」

 だけど、その体は震えが止まらない――。家の手伝いとか大変なこと、なんでもやるような子だ。悪い出来事を見せられて、きっと放っておけないと思ったんだろう。

 オレはぎゅっと拳を握りしめた。

「オレが絶対、ルーシーを守る」

 彼女の緑色の瞳が見開かれる。

 オレは剣へと手を伸ばした。触れた瞬間、ばちっと弾かれる。手に痺れが走ったけど、構わず剣を掴んだ。

「この剣にも認めさせてやる。オレの方が勇者にふさわしいって。だから――」

 オレは不敵に笑って見せた。

「ルーシーはなにも心配するな」

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勇者の目覚め 春野訪花 @harunohouka

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