日差しの中、天変地異の前触れ

春野訪花

日差しの中、天変地異の前触れ

 少女が目を開けて真っ先に見たのは、木々と、その隙間から落ちてくる木漏れ日だった。小鳥のさえずりと風に揺すられた木々の音。投げ出した手足の、はだけた服の隙間から土の感触がしていた。

 少女は目を瞬かせた。目の前の光景はとてもとてもキラキラしていると思った。だけど、体が起こせなかった。少女はなぜだろう、とぼんやりと考えた。今日は変な臭いがするものは食べなかったし、叩かれた訳でもない。体が熱い訳でもない。不思議で仕方がなかった。原因が全く分からなかった。

 その時だ。草木を踏みしめる音が少女の頭上から響いた。少女は仰向けのまま、目だけを動かして音がする方を見た。きっと自分を殴りにきたのだろう、と思った。働いていないから。だけどどうだろう、そこにいたのは見知らぬ青年だった。少女はどんな相手だろうと一度見たら忘れない。物覚えの良さはオトナに認められていた長所だった。だが、そこにいたのは確かに見知らぬ青年だった。少女はぎこちなく首を傾げた。その青年を見たことがなかったから、だけではない。その青年がとても「綺麗」だったからだ。

 髪が炎のように赤い。瞳も。どちらも透き通るような透明感があり、日差しに照らされて輝いている。少女は宝石というものをこれほど間近で見たことがなかったが、同じような色合いをしているだろうと思った。顔立ちだけでなく、服装も今まで見たことがないようなものだった。見ただけで上等なものだとわかる。黒を基調に青のラインが入っている。知らない花が胸元のエンブレムとして刺繍されていた。

 青年は少女のそばにしゃがみこむ。

「大丈夫か?」

「……」

 少女は何も答えない。ただじっと青年の顔を見ていた。

 青年は眉根を寄せた。

「参ったな……」

 青年は辺りを見渡した。青年と少女以外、誰もいない。木々が茂り、穏やかに日差しが降り注いでいるばかりだ。

「ぁ……」

 少女がか細い声をあげ、青年へと手を伸ばした。青年はハッとしたように腰にさした剣へと手をかけた。泥だらけの指先が青年の頬にわずかに触れた。少女がぎこちなく笑う。その笑みは筋肉がひきつったようなもので、かろうじて……笑みだと分かるものだった。青年は剣から手を離し、頬にささやかに触れる手を握った。すると少女の笑みが苦痛に歪む。青年は少女の手のひらを見て顔をしかめた。その手のひらは傷だらけだった。治療ひとつされていない。切り傷や擦り傷、火傷……傷口には泥が入り込み、化膿しているものもあった。

「これは酷い……。さぞ痛かっただろう……」

 少女は首を傾げた。聞き馴染みのない言葉だった。言葉の意味は分かった。だが、それを口にしてくる意味が分からなかった。

 青年は少女の手をそっと下ろした。

「こんな子が……天変地異の前触れだなんて……」

 青年の声に苦味が混じった。少女の「天変地異」という言葉を知らなかった。ただ、なにか悪いものであるということは分かった。悪いもの――それを言われた時、少女は決まって苦痛を与えられた。

「ぁ……ぅ……」

 少女は必死に体を起こし、背を丸めた。頭を覆って庇った。怯え、震える姿に、青年は目を伏せた。そして少女へと優しい声色で語りかける。

「ごめんね。怖がらないで。僕は君を傷つけたりしないよ」

 細く、汚れ傷ついた腕の隙間から、少女の燃えるような赤い瞳が覗く。青年の瞳を見た。少女は初めて見た。「自分を気遣う者の瞳」をだ。敵意がないことをすぐに理解したが、初めての出来事に困惑した。

 青年はそんな少女を見て微笑んだ。

 風が吹いた。木々が揺れる。枝葉が擦れて、さぁ……っと音を立てた。風に煽られた少女の長い銀髪が乱れ、彼女の視界を遮った。顔を覆う髪をそのままにする少女に、青年は苦笑して髪の隙間に指を差し入れ、後ろへと払った。現れた赤い瞳がキョトンと見開かれている。

 青年は笑みを深めて、少女の体を抱き上げた。声もなく驚いた少女は慌てた様子で青年にしがみついた。

「おいで。傷の手当てをしよう」

 少女は青年を見上げた。日差しの中、キラキラと輝く笑顔は純粋で、そんな笑顔を少女は初めて見た。だけど、嫌な気持ちはしなかった。何もかも初めての感覚で混乱していたが、

「……ん」

 かろうじて、短く返事をして、頷いて見せた。

 青年は少女を連れて、国へと帰る。

 ――その国の名は「ヴィルベルム」。少女がいた「世界」とは別の……いわゆる異世界である。だが、少女はそのことをまだ知らない。当然青年も。天変地異の兆しは……すでに始まっていた。

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日差しの中、天変地異の前触れ 春野訪花 @harunohouka

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