第2話 ついて来いって言ってるのか?
火の町・ラトル
「よし、何事もなくラトルに着けたな」
あの後は魔獣に出くわすこともなく、女性を無事ラトルに送り届けることが出来た。活火山ヴァシュー山岳の麓に位置するラトルはアクトゥールに比べて気温が高く、乾燥している。その土地柄焼き物や鋳造が盛んで、アルドの生きる時代や遥か未来にもその工芸品の価値が伝わっている歴史ある町だ。
「ありがとう。本当に何てお礼を言っていいか…」
「気にしなくていいよ。それより、さっきの猫のことなんだけど…」
アルドの言葉を聞いた女性の表情が強ばった。
「余計なお世話かもしれないけど、何か理由があるなら話してみてくれないか?もしかしたら力になれるかもしれないし…」
「…………」
女性は俯いて黙り込んでしまった。
しばらく考えた後、覚悟を決めたようにふぅ、と深呼吸をして顔を上げる。
「…前はね、好きだったのよ。猫」
そして口を開いた。
「実家で飼っていたこともあったし、ラトルに住むようになってからも猫が多くて素敵な町だなって思ったわ」
「それがどうして…」
アルドが尋ねると、女性は下唇をきゅっと噛み締めた後再び顔を伏せてしまった。
「……結婚するはずだった人が、猫を助けて魔物に殺されたの」
その言葉を聞いたアルドは目を剥いた。
女性は俯いたまま話を続ける。
「アクトゥールで買い物をした後、いつも通りティレン湖道を通ってラトルへ戻ろうとしたら猫が魔物に襲われているのを見つけて…」
女性はそう言って町の入口から遠くに見えるティレン湖道を振り返った。その横顔は当時のことを思い出すように遠い目をしている。
『私、宮殿に行って兵士を呼んでくるわ!』
『ダメだそれじゃ間に合わない!』
『でも…!』
逃げられずに震えている猫に魔物が襲いかかろうとした時、彼が猫の前に飛び出したの。
…一瞬何が起こったのか分からなかった。
気づいたら血まみれの彼が倒れていて、猫の鳴き声だけが聞こえていた。
「…幸い町の近くだったからすぐに宮殿から兵士が来てくれて私は助かったけど、助けが来た時にはもう彼は…」
「……………」
彼女の話を聞きながらアルドも表情を歪めた。目の前で恋人を殺された女性の心境を想像すると何も言えず、奥歯を噛み締めることしか出来ない。
「その後色んな人から言われたわ。「猫の為に魔物の前に飛び出すなんてなかなか出来ることじゃない」「彼はとても勇敢な男だった」って」
「でも…そんなこと私にはどうでもいい」
女性はそこで初めて語気を強めて眉根を寄せた。
「時間が経つほどに思うの。「どうして猫なんか助けたの」「放っておけばよかったのに」「魔物がウロついてるあんな場所にいた猫が悪いんじゃない」「あの人が死ぬことはなかったのに」って」
「……それは…」
アルドが言いかけると女性は首を振る。
「…分かってる。自分でも最低だと思うわ。彼のおかげで助かった命があるのに」
女性はそう言って肩を落とし、宿屋の軒先で眠っている猫を見た。
「でも猫を見るとどうしても嫌な感情を思い出してしまって…だから、自分から猫に近づくのはやめるようにしたの。貴方が止めてくれなかったらあのまま石をぶつけていたかもしれない。止めてくれて…本当にありがとう」
「……いや」
アルドは首を振って一言答えるのがやっとだった。何を言っても彼女の心の傷を癒すことは出来ないのだと思うと歯がゆいし、居た堪らない。
「…俺のほうこそごめん。言いづらいことを言わせちゃって…」
「気にしないで。久々に人に話したら少しスッキリしたわ」
女性はそう言って苦笑する。
ぎこちない笑顔が痛々しかった。
「…じゃあ私行くわね。今日は本当にありがとう」
「いいよ。これからもティレン湖道を通る時は気をつけてくれよ」
町の雑踏に紛れていく彼女を見送り、アルドははぁ、と浅く溜息をついた。
「……何とかしてやりたいけど…どうしようもないよな」
結局自分に出来たのは本当に話を聞いてやることだけだった。アクトゥールに戻ろうと踵を返すと、町の入口に先程の猫がちょこんと座っていた。
「あれ?お前…またあの人を追いかけて来たのか?」
アルドが近づくと猫は返事をするように「にゃあん」とひと鳴きする。すると猫が咥えていた草のようなものがぽとりと地面に落ちた。
「ん?何だこれ…」
アルドは猫が落とした草を拾う。どこにでも生えていそうな雑草だ。猫が好んで食べるという猫草というやつだろうか?
すると猫は落とした草にはもう興味がないらしく、アルドに背を向けてティレン湖道へと歩き出した。
「…ついて来いって言ってるのか?」
真意は分からないが、まるでアルドを待つように数歩歩いては振り返ってアルドがついてきているのを確認しているように見える。アルドは猫を追ってティレン湖道に引き返した。
猫は行き止まりになっている岩場の傍で立ち止まり、アルドを振り返る。
「どうした?ここに何か……え!?」
二つの岩場の間に突如横雷が走り、周囲の景色が歪み始めた。アルドが幾度となく目にしてきた光景だ。
「時空の穴!?何でこんな所に…あっ」
当然発生した時空の穴に驚いていると、目の前にいた猫が何の躊躇もなく穴の中に飛び込んで行ってしまった。
「入ってっちゃったぞ!?」
予兆なく発生した時空の穴の行き先は分からないことが多い。アルドの生きる現代か未来か、はたまたそのどちらでもない曖昧な存在の次元に飛ばされてしまう可能性もある。しかしアルドの中で答えは既に決まっていた。
「…追うしかないか…!」
意を決して時空の穴の中に飛び込む。
あの猫は一体自分を何処へ連れて行きたがっていたのか。行き着いた先で何かが分かれば良いのだが。
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