猫の運ぶ生命
蔦 あけび
第1話 力づくで追い払うわよ!!
水の都 アクトゥール
古代ミグレイナ大陸の真ん中にある湖に浮かぶ町。周囲をぐるりと湖に囲われたこの町はパルシファル宮殿やその対岸に位置するラトルを船で行き来する商人の通り道だ。
町の至る所に荷物を積んだ船が停められていて、漁に出る漁師や行商人たちで賑わっている。
アクトゥールに常駐する兵士から魔物討伐の依頼を受けていたアルドは、ケルリの道で依頼を済ませた後報告のために町へ戻ってきていた。
「…さて、と。報告も終わったし…腹ごしらえでもしようかな」
水の都と言われるだけあって、アクトゥールは綺麗な水と新鮮な魚で作られる料理が絶品だ。宮殿やラトルからわざわざ食べに来る客も多いのだという。
早速酒場へ向かおうとアルドが歩き出すと、離れた場所から女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「…だから!ついて来ないでって言ってるでしょ!?」
アルドは驚いて振り返る。
声の主と思しき女性が民家の出入口に向かって物凄い剣幕で何か叫んでいるのが見えた。
「…な、何だ…?」
「近づかないでって何度言ったら分かるの!?」
女性の周囲に人影はない。しかし女性は変わらず無人の出入口に向かって怒鳴っている。
「な、なぁアンタ一体何が…ん?」
女性に声をかけようとして、民家の入口で蠢く生物に気づいた。黒と白の毛玉。ひょろりと伸びた長い尻尾。特徴的な三角の耳。
アルドははぁ、と溜息を漏らす。
「なんだ…猫か」
女性が怒鳴りつけていたのは一匹の猫だった。ヴァルヲより一回り小さいくらいだろうか。看板の影に隠れていた猫はひょっこり顔を出して道に出てくる。同時に女性はびくりと肩を強ばらせた。
「…言っても分からないなら」
女性は後ずさりしながらそう言って徐ろに足元の小石を右手に取った。
「力づくで追い払うわよ!!」
そしてその手を猫に向かって振りかぶる。
それを見たアルドは慌てて猫の前に飛び出した。
「いやいやいや!やりすぎだろ!!」
猫に夢中で一部始終を見ていたアルドには全く気づいていなかったらしく、女性は右腕を振りかぶったまま硬直してしまった。猫は困ったように鳴きながらアルドの後ろに隠れている。
「猫が苦手なのは分かるけど石なんか投げたらダメだ!怖がってるだろ!」
逆に怒鳴られて我に返ったのか、女性は振りかぶっていた右腕を下ろして握っていた小石を手放した。アルドは自分の後ろにいた猫を振り返る。
「お前も、猫が苦手な人を追いかけちゃ駄目だ」
しゃがんでそう窘めると、言葉の意味が分かっているのか猫は「なぁん」と返事をするように鳴いてアルドたちに背を向けて行ってしまった。
「……ごめんなさい…私、頭に血が登ってて…」
猫が立ち去ったのを確認した女性ははぁ、と息を吐いて近づいてくる。
「びっくりしたよ。この町も猫が多いけど、ああいう風に追っ払ってる人は初めて見たから。よっぽど猫が苦手なんだな」
アルドも立ち上がって女性の言葉に答える。
女性は随分と疲れて見えた。
「…苦手…そうね…」
「俺も小さい時近所のデカい犬に追いかけられて怖い思いをしたことがあるから気持ちは分かるよ。苦手なものはしょうがないよな」
「……………」
女性は暗い表情で俯く。
「…騒いでしまってごめんなさい。私もう行くわね。止めてくれてありがとう」
女性はそう言って軽く頭を下げ、街の東側へ歩いて行った。アルドはその姿を見送って首を捻る。
「…大丈夫かな。凄い切迫した感じだったけど」
犬が苦手な人がいるように、猫が苦手な人も当然いるだろう。しかし彼女からは苦手という感情の他に恐怖や強い憎悪を感じるものがあった。
「……………」
うぅん、としばらく考えたが、自分の中でやることは既に決まっていた。苦手意識を克服させることは出来なくても、話を聞いてあげることは出来るだろう。
「ティレン湖道に向かったってことは…ラトルの人かな。少し気になるし、追いかけてみよう」
***
「確かにこっちに来たと思ったんだけど…あの人どこに行ったんだろう?」
アクトゥールを抜けてティレン湖道にやって来たアルドは立ち止まって周囲をぐるりと見渡してみる。
アクトゥールからラトルへ向かうには必ずこの道を通らなくてはいけない。あの女性もこの道を通ったはずなのだが、周囲に彼女の姿は見えなかった。
もう少し先の方まで行ってみようと再び歩き出した瞬間
「きゃあぁっ!」
遠くで女性の悲鳴が聞こえた。
アルドが声の聞こえた方へ駆け出すと、岩場で座り込む女性の後ろ姿が見える。女性の前方には二匹のシーラスが立ち塞がっていた。
「大変だ…!」
腰の剣に手をかけながら走る速度を上げる。
シーラスは尾びれをバタつかせ、大きな口を開けて女性に詰め寄る。
「ひっ…!」
「やめろ!!」
走ってきたアルドは完全に腰を抜かしてしまった女性と魔物の間に割って入った。
「無闇に戦いたくない。退いてくれ」
いつでも剣を抜けるよう構えた状態で魔物に声をかける。このまま退いてくれれば、と期待したが、その期待は魔物たちの唸り声に一蹴された。振り下ろされた大きな帯びれを剣で弾き、アルドもやむ無く戦闘態勢に入る。
「くそっ…やるしかないか!」
***
戦闘によって負傷した二匹のシーラスは悔しそうな唸り声を上げて後退する。手加減したつもりだったが、相手の戦意を削ぐには十分だったようだ。アルドは剣を構えて警戒したままシーラスを睨み付けた。
「退くんだ!また怪我するぞ!」
アルドがそう言うとシーラスたちは顔を見合わせるようにして名残惜しそうにその場を去っていった。周囲に気配がなくなったことを確認して、アルドはようやく剣を鞘に戻す。
「…ふぅ。とりあえず間に合ってよかった。怪我はないか?」
そして後ろで座り込んでいる女性を振り返った。
「…貴方は…さっきの……」
「なんか気になって追いかけて来たんだ。この辺りは魔物も多いし…ラトルに行くなら送って行くよ」
アルドは女性に手を貸して立たせてやるとそう申し出た。普段は温厚な魔物が多い場所だが、最近は活発化した大きな魔物の目撃例があり、アルドにも度々討伐の依頼が入ってきていた。武器を持った商人ならまだしも女性が一人で通るにはまだ危険な場所だ。
「………ありがとう。お願いするわ」
女性は少し躊躇って迷った後、頷いてアルドの申し出を受けた。
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