第3話 魂狩られる気にでもなったかにゃ?

時空の穴を抜け、次第に意識と視界がはっきりしてくる。生温い風に乗って独特な匂いが香ってきた。燻る炎のような、若々しい緑のような、それでいて古い土のような、湿気を帯びた海風のような。どこかで嗅いだことがある気もするし、初めて嗅ぐ匂いな気もする。

風に揺れる赤と青の彼岸花。往来する人影はないのに何故か沢山の気配を感じる不思議で幻想的な場所。

アルドはこの場所に見覚えがあった。


「…ここは…煉獄界じゃないか」


現世で命を失った魂たちが集う場所。そして四大精霊たちの幻象が住まう場所でもある。生きた人間が簡単に出入り出来る場所ではないのだが、アルドは縁あって何度かこの場所を訪れたことがあった。


「そうか、あれは時空の穴じゃなく煉獄界の入口だったのか。でも何でこんな所に…そういえばあの猫は?」


きょろきょろと周囲を見渡す。此処に生身の状態で来るということは例え猫であってもありえないことだ。ひょっとしてあの猫は既に死んでいる魂だけの存在だったんじゃ…?と一瞬思ったけれど、あの女性にも見えていたということは間違いなく現世に生きている生身の猫ということになる。

すると


「あれー?アルドじゃん!」


後ろから底抜けに明るい声が飛び込んできた。

聞き覚えのある声に振り返るとそこには仲間の姿があった。


「イルルゥ!何でこんな所に…!」

「何でってここあたしの職場だし~アルドこそこんなトコで何してんの?」

「俺は猫を追いかけて…あっ!そうか、イルルゥなら…!」

「?」


魂を在るべき場所に還すことを生業にしているイルルゥなら此処へ来た猫や死んでしまった女性の恋人について何か知っているかもしれない。そう思ったアルドは事の経緯をイルルゥに説明した。


「ふぅ~ん、なるほどなるほど。その猫のことは知らないけと、アルドはその女の人を何とかしてあげたいってこと?」


珍しく真面目に話を聞いていたイルルゥはそう言って首を捻った。


「ああ。俺が勝手にやってることだけど」

「あはは、アルドらしいね。気持ちは分かるけどね、無理だよ」

「えっ」


イルルゥはけらけらと笑った後、一言でスッパリ言い切った。


「魂だけの状態ってものすごく不安定で危ないんだよ。死んですぐは自我を持ってる魂が多いけど、時間が経つと現世との繋がりがなくなって自分が誰だったのかも忘れちゃうの。いつ消えてもおかしくないし、魂を食べるのが好きな奴らもいるから危ないんだよ。まぁそうさせない為にあたしたちがいるんだけど」

「そうなのか…」

「それに!毎日何百って魂が此処に来るのにその男の人の魂が見分けられるわけないじゃん!」

「た、確かに…」


イルルゥの言っていることは正論だ。

イルルゥのように魂や死霊と関わりのある仲間も他にいるけれど、恐らく皆同じことを言うだろう。


「何騒いでるにゃ、イルルゥ」


背後から声がして振り返ると、大きな鎌を咥えた猫がこちらに向かって歩いてくる。白い尻尾にイルルゥの足と同じ模様の青い模様が入った一度見たら忘れられない風貌の猫だ。


「あ、先輩!」


イルルゥが「先輩」と呼ぶこの白猫は言葉通りイルルゥの仕事の先輩だ。イルルゥが人間など二足歩行動物の魂を回収する一方で、この白猫は四足歩行動物の魂専門らしい。魂も種族によって担当が違うと知った時は驚いたけれど、何度か煉獄界に足を運ぶうちに慣れてしまった。


「にゃんだお前また来たのかにゃ?魂狩られる気にでもなったにゃ?」

「いや…それはしばらく遠慮したいんだけど…」

「先輩聞いてーアルドが現世で死んだ男の人の魂を探してるんだって」


たじろぐアルドを押しのけてイルルゥが会話に割り込んでくる。イルルゥはアルドが話した内容を半分以上端折って先輩に説明した。


「ふぅーん…また面倒なことに首突っ込んでるのにゃ」


先輩はそう言って溜息をつく。猫だから表情が分からないけど、多分呆れたような顔をしているのだと思う。


「残念だけどイルルゥの言う通り探すのは無理にゃ。此処に一体どのくらいの魂がいると思ってるにゃ?それに魂だけになった存在が現世の人間と接触することは本来タブーなのにゃ!」

「…そう、だよな…ごめん」


やっぱりダメか、とアルドは肩を落とす。

すると先輩は鎌を咥え直し、綺麗な尻尾をぴょこぴょこさせてそっぽを向いた。


「…でもまぁ、此処にいる魂たちに勝手に話を聞いて回る分には?私たちの管轄外っていうか?そこはお前の自由だけどにゃ?」


先輩はそう言ってちらちらとアルドを見る。

暗に「好きにしろ」と言ってくれているらしい。


「…!ありがとう!」

「先輩優しい~!」

「イルルゥも油売ってないで仕事に戻るのにゃ。いいにゃ?お前も私も、誰にも会ってないし何も聞いてないのにゃ」

「はぁ~い」


釘を刺されてイルルゥは気の抜けた返事をしてにこにこと笑う。


「イルルゥもありがとう。頑張って話を聞いてみるよ」

「どーいたしまして!見つかるといいね!」


イルルゥと先輩を見送り、アルドは「さて」と周囲を見渡す。煉獄界は今いるエリアから大きく四つに分かれていて、それぞれが四大精霊の磐座に繋がっている。磐座の近くで魂たちを見かけたことはないから、恐らく話を聞けるとすればこのエリア内だろう。


「片っ端から話を聞いていこう!」


アルドは気合を入れ直し、煉獄界の魂たちに話を聞いて回ることにした。

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