第37話 運命はある日突然に(アルオニア王子目線)

 新年を迎えた日の朝。

 僕は別荘の庭に出て、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 降り積もった雪に朝日が当たって、結晶のようにチカチカと雪が光っている。


 誰もまだ踏んでいない、まっさらな雪。

 僕は少しひねくれたところがあって、まっさらな雪に単純に感動すればいいのに、どうせ人間がすぐに踏んでグジュグジュに汚れてしまうんだろう。なんて諦めの気分に浸る。


 僕は大国エルニシアの王子で、血筋にも容姿にも学歴にも恵まれており、人々は僕のことを「完璧王子」だなんて呼ぶ。

 外側は完璧に見えるかもしれない。けれど内側、つまり心の中は空虚だった。がらんとした空間が広がっていて、なにをしても虚しかった。

 人生を楽しむことができず、本気で人を好きになることもなく、退屈な日々を過ごしていた。


 リルエに出会うまでは——。


 リルエは僕とは正反対で、血筋や学歴に恵まれていなかった。容姿は悪くなかったものの、地味で顔色が悪かった。

 

「なりふり構っていられません。お金が必要なんです!」


 川に落ちてずぶ濡れになりながら、言い切ったリルエの顔は必死で、(この人は僕とは違う世界に住んでいる人だ)と思った。

 それはお金の有無もあるけれど、それよりも、がむしゃらに生きている感じが僕とは違っていて、そこに興味を引かれた。少し、羨ましくもあった。

 こんなことをリルエに言うと、「あのときはお金がなくて本当に大変だったんですから! 羨ましいことなんてないです!」と返されそうなので、言わないけれど。

 

 その後。恋人役の仕事を頼んだわけだが、ヴェサリスが協力的だったことに驚いた。

 叱られると思ってはいなかったが、小言を言われると思っていた。

 そのことを話すと、ヴェサリスは意外とでもいうように、目を見開いた。


「アルオニア様は人にも物にも執着がなく、どこか投げやりな感じで過ごされておりました。リルエさんに興味を持ったのは、良い傾向だと思ったのです。おもちゃで遊ぶような感覚で恋人役を提案したのなら苦情を申しましたが、そうではないようでしたので」


 さすがは有能な執事。お見通しだったらしい。




「んしょ、と! はぁ、足長すぎ!!」


 物思いに耽っていると、リルエが一生懸命にこちらに向かって歩いてくる。雪を歩くのに慣れていないのかと見ていたら、そうではなかった。

 律儀に、僕の足跡の上を歩いてくる。


「足の長さが違うんだから、無理しなくていいのに。大股になって、大変そうだ」


 危なっかしい様子に、転ばないといいが……なんて思っていたら、さすがはリルエ。期待を裏切らない。

 見事に尻もちをついてくれた。


「きゃっ!! イタタ……」


 手を差し出すと、リルエは恥ずかしそうにしながら僕の手を掴んで、起きあがった。


「なんでわざわざ、僕の足跡の上を歩いたわけ?」

「誰も歩いていない、まっさらな雪を残しておきたかったんです」

「なんのために?」

「ジュニーとトビンと一緒に、雪に寝転がって人型を作るためです」


 なにそれ? そういう発想、逆さにしたって僕からは出てこないぞ。

 まっさらな雪を見て思うことは、人それぞれ。

 リルエが楽しいことを考える人で良かった。


「新年おめでとう」

「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「よろしくするのは、今年だけでいいの?」

「あっ! ダメです。来年もよろしくお願いします!!」

「それはつまり、再来年はよろしくしなくていいっていうこと?」

「もお、意地悪! ずっとずっと、ずぅーっと、よろしくお願いします!!」

「わかった。一生、大切にする」


 僕は楽しいことを考えられる人間ではなかった。それなのに、リルエといると楽しいことをしたくなる。


「戻ろうか」

「はい」

「リルエのことだから、また転びそうだ」

「転びません」

「いや、転ぶね」

「大丈夫ですっ!」

「本当に? 押しても転ばない?」

「え? いや……押されたら、転びます」

「だろう? だから、こうしよう。愛しいお姫様、屋敷にお運び致します」


 僕は意地悪く笑うと、リルエをお姫様抱っこした。


「きゃあーーっ!!」


 真っ赤に染まったリルエの顔に、はらはらと雪が舞い降りた。

 降り積もる雪は、僕らの足跡を消してしまうだろう。

 けれど、リルエの顔に落ちる雪は体温で溶けてしまって、僕の視界からリルエを消すことはしない。

 この先、僕の視界にはずっとリルエがいるのだろう。それはとても幸せなことだ。



 リルエと初めて言葉を交わした日。

 川の流れを見ながら、運命に逆らうことはできないのだと諦めていた。

 他人の望む人生を送るしかない。好きなようには生きられない。そのように思って、人生に絶望していた。


 けれど運命は、とびっきりの出会いを用意してくれた。

 川に身投げするとリルエが勘違いしたのが発端ではあったけれど……。

 あの日、僕の人生とリルエの人生が交わったのだ。

 

 運命は偶然を装って、赤い糸の先にある女性を連れてきてくれた——。

 

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