第34話 リルエとガラスの靴(後編)

 今から五年前。母親が死んで間もなく、リルエの父親は若くて美しい妻を娶りました。

 新しい妻を溺愛する父親に、リルエは悲しみを覚えました。



 愛は永遠ではない。愛は現実を乗り越えることができない。

 マッコンエル王子もアルオニア騎士も求愛してくれたが、自分の惨めな境遇を知ったら、簡単に気持ちが冷めてしまうだろう。

 リルエはそう思って、首を横に振りました。


「靴はいりません。裸足で帰ります」


 追いすがろうとする二人に、リルエは毅然とした態度で突き放しました。


「わたしは愛を信じていません。どんなに耳ざわりの良い言葉を聞かされても、心を動かすことはありません。さようなら。国の平和をお祈りしております」


 リルエは素足のまま家に帰りました。

 夜空を見上げたリルエは涙を流しました。幸せな夢を自らの手で壊した。幸福にはなれない身の上なのだと、打ちひしがれたのでした。



 ✢✢✢



 舞踏会から一ヶ月後。

 市場で食料を買っていると、声をかけられました。アルオニア騎士です。

 彼は息を切らせています。リルエを見つけて、急いで走ってきたのでしょう。


「ずっと探していた。リルエのことをどうしても忘れることができないんだ!」

「どうしてわたしの名前を……」


 名前を教えなかったはずなのに……。

 アルオニアはバツが悪そうに、頬を掻きました。


「ドレスが変わったのは、魔法が切れたからじゃないかと思ってね。それで国中の魔法使いをあたった。そしたら、オルランジェという魔女に出会った。君のことを教えてくれたよ」


 オルランジェは口の軽い魔法使いのようです。

 困惑するリルエを、アルオニアは真摯な目で見つめます。


「つきまとって申し訳ない。不快に思う気持ちは分かる。だが、僕の話を聞いてほしい。僕は……リルエへの想いを絶ち切ることができずにいる。一年ほど前に、この市場で君を見た。転んだ子供に向けた優しい微笑みに、心を鷲掴みにされた。君が僕に笑いかけてくれたなら、どんなに幸せだろうと願わずにはいられなかった。君に嫌われるのが怖くて、声をかけることができなかった……」


 堅物で有名なアルオニア騎士の、愛の告白。彼がハンカチーフの包みを広げると、ガラスの靴の片方があらわれました。


「舞踏会で君を見かけて、運命が背中を押してくれたのだと思った。未練がましい男だという自覚はある。だが、諦めたくないんだ。遠くから見ているだけでは、嫌なんだ。僕の隣にいてくれないか?」


 継母と姉二人にいじめられる毎日。継ぎはぎだらけの服を着て、髪は灰で汚れている。

 こんな貧しい姿をした自分に惹かれた男性がいる――。

 そのことがリルエには嬉しくて、涙を浮かべました。

 

 ガラスの靴を受け取ります。

 右足に履きましたが、もう片方がありません。

 アルオニア騎士は憮然とした顔をしました。


「マッコンエル王子にリルエの靴を返すよう説得を試みたが、断られた。思い出として、とっておきたいそうだ。執着心が強くて困る」

「あなたも執着心が強いのではないですか?」

「まあ、それは……。魅力的な君が悪い」


 アルオニアは気まずそうに頬をかくと、リルエをお姫様抱っこしました。


「わっ!」

「ガラスの靴が片方だけでは歩きにくいだろう。僕が君の足となって、歩いてあげる」

「皆が見てます! 裸足で歩きますから!」

「君の足が汚れるのを黙って見てろと? 却下する」


 凍てつく氷の騎士が、貧しいなりをした女性をお姫様抱っこしている。

 驚く人々の声で、市場は騒然となりました。注目の的になったリルエの顔は真っ赤っか。


「市場を一周してもいいかい? リルエは僕のものだと知らしめたい」

「ダメですダメですっ! 下ろしてくださーい!」


 リルエが騒いでも、アルオニアは楽しそうな笑い声をあげるばかりで下ろしてくれません。

 羞恥心に染まったリルエは、アルオニアの胸元のシャツをぎゅっと握りしめました。プルプルと震えるその姿が小動物のようで愛らしく、アルオニアは市場を一周こそしなかったものの、遠回りをして帰ったのでした。



 アルオニアの屋敷に連れて行かれたリルエは、美しいドレスを渡されました。

 

「家族に紹介したい。申し訳ないが、今の服では……」 

「このドレスをお借りしてもいいのですか?」

「姉のドレスで悪いのだが……。着替えを手伝おう」

「結構です!」

「リルエは愛を信じていないのだろう? 耳ざわりの良い言葉を聞いても、心を動かないと言ったね。それなら、態度で示すしかないだろう。違う?」


 アルオニアはそう言うと、リルエを抱きしめ、キスをしたのでした。


 その後。リルエとアルオニアは結婚式で変わらぬ愛を誓い、末長く幸せに暮らしたということです。



 ✦✦Happy End✦✦



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