第28話 弱い自分にさよならを
会場は二階であるにも関わらず、シェリアに連れて行かれた先は五階。
シェリアは、ある一室のチャイムを押した。
「この部屋に、主催者がいるわ」
「え……」
主催者なのに、どうして会場にいないのだろう? ホテルの個室に主催者がいるなんておかしくない?
シェリアと部屋に入るのは危険だと、本能が警告音を鳴らす。なによりも、ここにいることをヴェサリスは知らない。なにかあっても助けに来てくれない。
わたしは後ずさった。
「一緒に来た人がいますので、その人と挨拶に伺います!」
「いいから。遠慮しないで」
逃げようとしたわたしの手を、シェリアが掴んだ。部屋の中にいる者がドアを開け、わたしは無理矢理に部屋の中に押し込まれた。
わたしは部屋の中に放り出され、転倒した。
「痛っ!!」
「この女が泥棒猫? 随分と可愛いじゃん」
ねっとりとした男の声が降ってくる。
ズキズキと痛む膝にしかめっ面をしながら上半身を起こすと、部屋の中にいたのは、二十代後半ぐらいの強面の男二人。
ドアを開けた男は逞しい上腕にタトューを入れており、もう一人の男は部屋の奥にあるデスクに腰をかけてガムを噛んでいる。
「……この人たちが、主催者……?」
呆気に取られて尋ねると、男二人は腹を抱えて爆笑した。
「俺たちが主催者だってよぉ!!」
「シェリア! 本当にこの天然ちゃんが、王子を盗んだわけぇ?」
「そうよ。こうやってとぼけたふりをして、相手を油断させるのが得意なの。厚かましいったらないわ」
シェリアは部屋の鍵とチェーンをかけた。ガチャリという金属音が響き、わたしは悟った。
シェリアは最初からわたしを騙すつもりで、ここに連れて来たのだ——。
シェリアは腕組みをすると、ドアに寄りかかった。黒いドレスのスリットから長い脚がのぞく。
「アルオニアと劇場デートをしていたの、あなたなんですってね。辛気臭くて地味でとろい貧乏庶民のくせに、どうやってアルオニアに取り入ったの? 貧乏アピールをして、情けをかけてもらったわけ?」
「そういうわけでは……」
「アルオニアの執事と、パーティーに来ているわよね? 使用人に取り入って、アルオニアと親しくなったってわけね。貧相な顔している割に、随分と賢いこと」
「違いますっ!!」
どうやって逃げたらいいのか視線をさまよわせるが、ドアは一つしかない。そのドアの前にはシェリアがいる。
部屋の奥には窓があるが、ここは五階だ。窓を開けて助けを求めれば……と考えたが、逞しい体つきの男二人を振り切って、窓に辿り着くのは困難だ。
絶望感に襲われる。
デスクに座っている男が、ガムの音をくちゃくちゃとさせながら笑った。
「シェリアは性格がきついからな。エルニシア王室のプリンセスになったら、向こうの国民に嫌われそうだな」
「うるさいわよっ! 私は名のある貴族なのよ!! 高貴な血が私には流れている。私のほうがアルオニアの恋人に相応しいわっ! 生まれも育ちも悪いこの女が、エルニシア王室のプリンセスになんてなれるわけない。あんたなんて、一生トイレ掃除をしていたらいいのよっ!!」
シェリアを刺激しないよう控えめに答えていたのに、ガムを噛んでいる男の不用意な発言によって、シェリアは怒りを爆発させてしまった。
シェリアはドアに寄りかかっていた体を起こすと、イラついた手で金髪をかきあげた。
「私の後に続いて、言いなさい。……学のない惨めな貧乏人が、調子に乗ってすみませんでした。アルオニアを諦めます。もう二度と近寄りません。消えます。さようなら。……暗記したら、帰らせてあげるわ」
「言うだけでいいわけぇ?」
「まさか。これは練習よ。アルオニアの前で言ってもらうわ」
タトゥーの入った男とシェリアのやり取りに、疑問が沸く。
——アルオニア王子を諦める? どうして、シェリアに決められないといけないのだろう?
アルオニア王子と過ごした夢のような時間に感謝している。調子に乗ってすみませんでしたなんて、謝罪したくない。
恋人の契約が切れるそのときまで、わたしは、彼の恋人でいたい。
諦めたくない。消えたくない。
大学のトイレで、シェリアとその友人にいじめられたとき。おとなしく従えば早く解放してもらえると思って、言いたいことを全部飲み込んで、耐えた。
解放された後に味わったのは、自分を嫌いだという惨めな気持ち。自分の弱さも嫌いだけれど、弱い心を責める卑屈な自分も嫌だった。
自分に自信が持てない。自分を好きになれないと、グレースに話したことがある。グレースはこう答えた。
「自分の人生の責任は、自分にしかとれません。理不尽なことがあったとしても、思考、感情、言葉、眼差し、態度、行動。これらは自分で選んでいる。なにを思うか、なにを言うかで、物事は変わっていく。アルオニアのパートナーとして認められたいのなら、相手にも、自分の感情にも振り回されてはいけません。どんなときでも、常に一歩先の未来を見据えて冷静に行動なさい。決して、泣いたり感情を高ぶらせたりしないこと。それがアルオニアの隣に立つことが許される人間の行いです。自分の人生を他人に渡すのではなく、自分で責任をとる覚悟ができたとき、あなたは自分を誇りに思うことができるでしょう」
思考に耽っていた頭上に、シェリアの高圧的な声が降ってくる。
「黙り込んでどうしたの? 頭が悪いから、私の言ったことが覚えられない?」
「違います」
わたしは立ち上がると、深く息を吐き出し、シェリアを見据えた。
「シェリアさんに嫌な思いをさせてしまったこと、謝ります。けれど、調子に乗ったわけではありません。貧乏を利用したわけでもありません。誤解を解かせてください」
「はぁ? 貧乏庶民の話なんて聞きたくないわ! 私と対等に話をしようだなんて、生意気よっ!!」
激昂したシェリアが手を振り上げた。
パシンっ!!
鋭い音とともに、左頬に熱い痛みが走る。
タトューを上腕に入れた男が胸ポケットから何かを取り出し、シェリアに放って投げた。
「手こずってんじゃん。いいモノを貸してやるよ!」
シェリアは手の内に収まったモノを見つめ、唇の端を綺麗に上げた。
「あなたたちに渡す前に、私が手を下したほうがいいわね。身分をわかっていない、馬鹿な女にはお仕置きが必要だわ」
シェリアは折り畳んであるモノを広げた。部屋の照明に当たって、ナイフが鈍く光る。
男がシェリアに渡したモノは、折り畳みナイフだった。
恐怖が全身を駆け抜け、二、三歩後ずさる。喉が引き攣って、声が出ない。
「綺麗におめかしをしたんですものね。せっかくだから、その顔に傷をつけてあげる。それから、ここにいる男たちと思う存分に遊んだらいいわ」
「……な、なんで……」
「私、言ったはずよ。私の視界に汚いものを入れたくないと。あなたが存在すること自体、目障りなの」
ドアの前にいるシェリアを押し退けて、逃げようとした。だがシェリアに髪を引っ張られ、ドアに辿り着けない。争っている間にタトゥーを入れた男がやってきて、私を羽交い締めにした。
「やめてくださいっ!!」
「なんの取り柄もない馬鹿な女のくせに、悪巧みをして、アルオニアの使用人に近づきました。シェリア様に迷惑をかけてすみませんでした。アルオニアに二度と近づきません。彼を好きじゃありません。……そう言ったら、ナイフをしまってあげてもいいわ」
「……ここから、出してくれるのですか?」
シェリアは私の背後にいる男を見た。羽交い締めにしている男が喉奥でククッと笑った。
「そうね。考えてあげてもいいわ」
「……嘘ですよね」
どのみち不幸な結末になるのなら、嘘をつきたくない。泣き喚く姿を、シェリアに見せたくない。弱い自分とさよならしたい。
わたしは真正面からシェリアを見つめ、凛と言い放った。
「わたしは、アルオニア様が好きです。釣り合わないとわかっていても、それでも、好きになったことを後悔はしていません!!」
「あんたねぇっ!!」
部屋のチャイムが鳴った。
誰かが、わたしがシェリアと歩いているのを見て、ヴェサリスに教えてくれたのでは……と、一縷の望みにかけた。
けれどチェーンのかかったドアの向こうに見えた顔は、シェリアの友人、ガーネットだった。
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