第31話 失恋の痛み

 ローズリン女王陛下が帰ってから、わたしはアルオニア王子と二人で話した。


「グレース先生の正体を、どうして教えてくれなかったのですか?」

「口止めされていてね、すまなかった。両親が恋人候補をしつこく勧めてきて、それでつい、おばあさまに彼女がいるのだと言ってしまった。まさか、リルエを見極めるために来るとは思ってもいなかった。恋人役のせいで、君にはたくさんつらい思いをさせてしまって申し訳ない」


 王子の顔色が悪い。

 女王陛下がグレースに成りすましたことに不貞腐れる気持ちが少しあって、それが顔に出ているのかもしれない。王子を責める気なんて全然ないのに……。

 慌てて笑顔を作る。


「驚きましたけれど、でも大丈夫です」


 社交会の緊張やシェリアとの言い争い。グレースの正体。

 今日はいろんなことがあって、心身ともに疲れていた。だから頭がうまく回らなくて、大切なことを聞き流してしまったけれど……女王陛下の話を振り返ると、頬が熱くなる。

 女王は、こう言った。


 ——アルオニアから、可愛い恋人ができたとの報告が入りましてね。

 ——リルエと結婚できないのなら、一生独身でいるだなんて言うのです。

 ——アルオニアが、あなたじゃないと嫌だと言うのです。


 これらがアルオニア王子の本当の気持ちなら、すごく嬉しい。

 けれど王子の暗い顔を見ていると、嬉しい言葉の数々が、女性避けのために口にしただけなのでは……と勘繰ってしまう。

 王子は口を閉ざし、考えに耽っている。その考えが良くないものであるのは、沈んだ表情を見ればわかる。

 場の空気を変えたくて、わたしは明るい声を出した。


「今日はいろいろありましたけれど、でも、わたしみたいな下流階級の人間が、アルオニア様と一緒にいられるなんて、十分すぎるほどに幸せです」

「僕は……」


 続きの言葉を、待つ。

 本当の恋人になりたい——。そう言ってほしい。

 生まれて一度も外国に行ったことがないけれど、好きな人のためなら、エルニシア国に行ける。どんな困難が待っていようとも、乗り越えていきたい。


「僕は、君に……」

 

 王子はためらいを振り払うかのように頭を緩く横に振ると、重い口を開いた。


「君に、恋人役の仕事を頼んだことを後悔している。こんな出会い方、するべきじゃなかった……」

「どうして、そんなこと……」


 目の前が真っ暗になる。

 王子は、わたしと出会ったことを後悔している? それはつまり……恋人役以上の気持ちはないということ? わたしはアルオニア王子の恋人としても、将来の結婚相手としても、相応しくない?


「でも、わたしは……」


 口の中がカラカラに乾いて、うまく言葉が出てこない。


 ——それでもわたしは、アルオニア様が好きです。


 こぼれてしまいそうな想いを伝えたい。けれど、拒絶されるのが怖い。

 曖昧なままで終わらせたくて、わたしは明るく笑った。


「それでもわたしは、最後まで恋人役を頑張ります。よろしくお願いします!!」


 ふわっと涙が迫り上がり、足早に部屋から出る。

 部屋の扉が閉まる寸前、「くそっ!」という怒声と、壁を叩く音が聞こえた。



 ◆◆◆



 その日以降。わたしは屋敷に行かなかった。王子から何度か連絡が来たけれど、失恋のトドメを刺されるのが怖くて会いに行けなかった。

 最後まで恋人役を頑張ると言ったのに、わたしは嘘つきだ。


 そうして、卒業パーティーの日を迎えた。


「今日で、恋人役の仕事が終わり。苦い終わり方になっちゃった……」


 失恋の痛みは想像以上に苦しくて、あの日以来泣き暮らしていた。

 本気で人を好きになるのがこんなに苦しいものなら、もう一生誰も好きになりたくないと思うほどに、心が散れぢれに裂かれてしまった。


 卒業パーティーの準備をしている様を遠くに聞きながら、トイレ掃除に精を出す。すると突然オルランジェが現れた。


「リルエちゃん、探したわよぉ!! 清掃会社の人と話してね、退職したからね。そういうわけで、清掃の仕事は終わり!」

「退職? 誰がですか?」

「もぇ、おとぼけさんなんだから。リルエちゃんに決まっているじゃない!」

「ええっ⁉︎ なんでわたしが退職を?」


 オルランジェは、わたしの手からトイレブラシを取り上げた。


「そういえば、リルエちゃん。この二週間、屋敷に来なかったのはどうして? アル王子、リルエちゃんに嫌われたって落ち込んでいたわよ」

「違います。嫌われたのはわたしです!!」

「好かれているのに、どうやったらそんな思い込みができるの?」

「好かれている? だって……」


 失恋に至るまでのことを打ち明けると、オルランジェは両手を頬に当て、瞳を輝かせた。


「きゃあ〜! これぞまさしく、じれキュンね!! ボタンが掛け違うように、気持ちがすれ違ってしまったのね。恋の魔法使いオルランジェにお任せあれ!」


 はしゃぐオルランジェに手を取られて、空き教室に連れていかれる。そこにはメイドのジュリアがいて、化粧道具を広げていた。


「ダンスパーティーが始まるまで、あと十分。主役は遅れていくのが定番ではありますが、あまりにも遅いとダンスが終わってしまいます。二十五分で身支度を完了し、五分で会場に到着すれば、メインダンスに間に合います」

「さすがジュリア! 完璧な計算だわ。よぉ〜し、リルエちゃんをゴージャスに大変身させちゃうわよぉ!!」

「あの、いったいなにを……」

「時間が惜しいわ! このドレスを着てちょうだい!!」


 レースが幾重にも重なった、ボリュームのある紫色のドレスを着させられる。


「紫色って……アルオニア様の瞳の色じゃ……」

「正解っ!! さぁ、お化粧をするわよ。ジュリアは髪をお願い」


 オルランジェはわたしに化粧を施しながら、話してくれた。

 社交会があった日。ガーネットは王子の公務先に行き、「シェリアは男友達に頼んで、アルオニア様と別れるよう、リルエを脅す気でいる」と話したらしい。

 急いで来てみれば、わたしは男に羽交締めにされているし、シェリアはナイフを持っていた。男二人の自供で、性的乱暴を働く気だったことが明るみになった。


「アル王子は、言葉で脅すだけだと思っていたらしいの。けれど実際は、それ以上のことが行われようとしていた。アル王子は自分の認識の甘さと、ガーネットが教えてくれなかったら、取り返しのつかないことになっていたことに青ざめてね。それが、恋人役の仕事を頼んだことを後悔している、との言葉に繋がったのよ」

「そうだったんですか……。わたしが、言葉を受け取るのを間違えたから……」

「心配いらないわ。王子様は待っててくれているもの」


 オルランジェはわたしの肩を叩くと、鏡越しに目を合わせた。


「恋の魔法使いができることは、ここまで。パーティー会場には、自分の足で歩いていかないといけないわ。そして会場で王子様に会ったら、たとえ時間が来ても、手を離してはいけない。運良く靴が脱げるとも限らないし、その靴の持ち主を探しに来てくれる保証もない。今度こそ、王子様と向き合える?」

「はい……」

「きゃあ〜、泣いちゃダメぇー! 化粧が落ちちゃう!!」

「オルランジェさん、ありがとうございます。わたし、頑張ります!」


 わたしは涙をぐっと堪え、会場へと歩いていった。そして自分の手で、会場の扉を開けたのだった。


 


 


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