第26話 王子様とのダンス

 わたしは家に帰らず、清掃の仕事も休んで、日夜レッスンと勉強に励んでいる。

 ジュニーとトビンも屋敷に泊っていて、王子から勉強を教わったり、マッコンエルと遊んだりしている。二人は目をキラキラさせながら、「わたしたちも勉強を頑張るから、お姉ちゃんも頑張ってね!」と応援してくれる。

 オルランジェがわたしの好物をシェフに伝えてくれて、食事は毎回わたしの好きなものが出る。

 みんなが応援してくれるおかげで、大変でも、充実した毎日を過ごしている。

 


 ◆◆◆



 レッスンが始まって十日後。別れは突然やってきた。

 グレースと庭を散歩していると、いきなり「今日の午後、エルニシアに帰ります」と告げられた。

 

「えっ! 今日ですか⁉︎ どうして……」


 王子のパートナーとして、見込みがないと判断されたのではないか。

 そんな悪い考えが頭をよぎる。

 グレースの指が、わたしの額をちょんと突いた。厳しいグレース先生の突拍子もない行動に、驚く。

 グレースの厳しい目つきがほんの少し和らいでいて、目尻に優しい皺ができている。


「あなたは、どうやったら自分に自信がもてるようになるのでしょう? 私が帰るのを、アルオニアの隣に立つ女性に相応しくないと判断されたからと思っているのではありませんか?」

「当たりです……」

「私は仕事を山ほど抱えていて、これ以上職場を離れていては、皆に迷惑をかける。ですから、帰らざるをえないのです」


 グレースはわたしに向き合うと、威厳の中にも愛情深さをたたえた口調で話した。


「あなたは自分を責めるのが好きなようですが、褒められるものではありません。自分が可哀想ではありませんか? あなたはあなたなりに、一生懸命に生きている。心を中庸に保ちなさい。風のように自由にいるのです。ある一つの側面だけで判断せず、物事を多面的に見るのです」

「多面的……?」

「あなたは物覚えがいいわけではないし、不器用。緊張しやすいし、鈍いところもある。けれど、それがあなたのすべてではない。何度も繰り返せば、緊張せずに冷静に動けるようになるし、理解できたものは忘れない記憶力の良さもある。そしてなにより、根が素直。あなたは伸びる子です」

「先生……」


 初めて、先生に褒められた。嬉しくて、頬を涙が伝う。


「先生のおかげです。教えてくださって、ありがとうございましたっ!!」

「私はいなくなりますが、毎日勉強を続けるように。ヴェサリスに逐一報告をするよう頼んでいます。少しでも怠けたら叱ってあげますから、覚悟なさい」

「はい! もっともっと頑張ります! 努力を続けます!!」

「今度会うときは、エルニシア語で話しましょう」


 グレースは手を差しだした。握手をすると、グレースの手が見た目よりも柔らかくて温かいことに驚く。

 物事は多面的。グレース先生は怖いけれど、毅然とした態度は美しく、博識で、揺るぎのない信念をもっている。尊敬できる女性。


「わたし、グレース先生のようになりたいです。先生はわたしの目標です」

「あなたが私のようになったら、アルオニアは困ってしまいます。あなたはあなたのままで、リルエ・ルイーニのままでいいのです」


 先生がわたしの名前を呼んでくれた。嬉しくて大泣きするわたしに、叱咤が飛ぶ。


「人前で涙を見せるべきではありません。引っ込めなさい!」

「は、はいっ!」

「吃らない!」

「はいっ!!」


 わたしは泣き顔で見送り、グレースは晴れやかな顔で帰っていった。



 ◆◆◆



 わたしは努力を続けた。

 頻繁に鏡を見ては姿勢を正し、笑顔の練習をする。各国の歴史や宗教を勉強し、厳格な文法が曲者のエルニシア語を学び、自分を責めないよう言い聞かせる。

 けれど、ダンスは独学ではできない。ヴェサリスは日中ダンスレッスンしてくれるけれど、夜は付き合ってくれない。


「わたくしは、六十五歳です。申し訳ありませんが、夜は体を休めたいのです。そうでないと、翌日の業務に支障がでます。代わりに、マッコンエルにパートナーになってくれるよう頼んであげましょう」

「マッコンエルさんも、ダンスができるのですか⁉︎」


 ヴェサリスは、お茶目顔でウインクをした。

 ダンスホールにある鏡で動きをチェックしていると、出入り口の扉が開いた。

 

「リルエ、お待たせ」


 入ってきたのは、アルオニア王子だった。


「えっ! どうして……」

「ヴェサリスからの伝言。驚いて、目が覚めましたか? だそうだ。眠かったの?」


 時刻は、夜九時。決して遅い時間ではないけれど、疲労が溜まって、何度かあくびをしていた。こっそりあくびをしたつもりが、ヴェサリスに見られていたらしい。


「全然!! まったく眠くないです!!」

「そう? なら、ダンスしよう」


 王子と二人きりで過ごすのは、三週間ぶり。疲れが一気に吹き飛んで、胸がそわそわと踊る。

 王子は音楽をかけた。


「お姫様、お手をどうぞ」


 王子のすらりとした美しい手に、指先を乗せる。

 ゆったりとした音楽に乗り、ステップを踏む。右に左に、前方に後ろに。

 アルオニア王子のリードは完璧だった。わたしは身を委ね、王子を感じ、音楽を感じ、身体を感じ、呼吸を感じ、自分の内にある情熱のままに、軽やかに跳ねる。

 ターンを三回繰り返したのち、王子の手が腰に回され、わたしは足をピタリと止めた。

 王子のアメジスト色の瞳がわたしを捉え、わたしも王子を見つめ返す。


 音楽が止んだ。

 満足のいくダンスができたことに、歓喜の笑みがこぼれる。


「すごいっ!! すごいです! こんなに楽しく踊れたの初めて! アルオニア様はダンスがお上手ですね!」

「リルエこそ、とても上手で驚いた。ここまでくるのは相当にしんどかったんじゃない?」

「大丈夫です。わたし、体力には自信があるんです。この感覚を忘れないために、もう一回踊りましょう!」


 音楽をかけに行こうとするわたしの手首を、王子が掴んだ。


「無理はよくない! 倒れるんじゃないかと心配なんだ。今日はこれで終わろう」

「でも、時間がないんです。グレース先生が言っていました。わたしの振る舞いがアルオニア様の評判に繋がるって。恥をかかせたくないんです。後悔しないためにも、今できることを精一杯にやりたいんです!」

「リルエ……僕のために、そこまでして……」


 わたしは冗談を言うときのような明るさで、笑ってみせる。


「わたしがダンスで派手に転んだら、困るのはアルオニア様ですよ! わたしは社交会に出ないからいいですけれど、アルオニア様は今後も社交会に出るのでしょう? 恥ずかしい思いをしないためにも、あと十回は踊りましょう!」

「あははっ! 十回ね。いいよ」


 王子の表情が緩む。笑うと目がなくなる彼の笑顔を愛おしく思いながら、わたしは音楽をかけた。

 アルオニア王子とのダンスは楽しくて、彼といられる時間がとても幸せで、この時間がずっと続けばいいのに……と願ってしまった。






 



 

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