第12話 複雑な事件
「怪人、ですか」
メフィストはそれは一体何なのかと目を細める。
「はい。オペラ座の地下、もちろん怪談が最初に語られるようになったフロアン王国のオペラ座ですが、その地下には水が溜まるほどの大きな地下空洞がありましてね、そこに怪人が住み着いているというんですよ。そいつはオペラ座に住んでいるからか音楽の教養があり、気に入った娘が現われると、手解きをしてやるというんです」
面白いでしょと、グレイルが笑った。
「なるほど。それは愉快な怪人ですね」
メフィストも社交辞令として笑うと、内心では悪魔の可能性もあるなと考えていた。栄光を与える代わりに魂を要求する悪魔は多い。怪人もその一種と考えることが出来る。
「おっ、始まりますね」
と、そこで場内が薄暗くなった。そして幕が上がり、オペラが始まる。話題のプリマドンナの登場に、あちこちから拍手が湧き上がる。
「やはり、舞台に立つと一際輝いていますねえ」
先ほどまで少々批判的だったグレイルが、アンリに賞賛を送っている。それにメフィストはふむと頷き、舞台へと目を向けた。
確かに綺麗な顔立ちの娘だ。声も素晴らしい。しかし、問題の悪魔の気配はというと、舞台上だからか感じ取れなかった。
しかし、すぐに奇妙な点に気づいた。客の誰もがアンリをうっとりとした目で見ているのだ。横にいるグレイルも然り。まるで催眠術に掛かっているかのようだ。
アンリは確かに素晴らしいが、そこまでうっとりさせられるほどの実力を持っているわけではない。プルマドンナに選ばれるだけの実力はあるが、他の劇場に立つプリマドンナと比べて飛び抜けているかというと、そういうわけではない。
「ふむ」
そこでメフィストは視線を舞台から劇場全体へと向けた。すると、不思議なオーラを感じ取った。これは間違いなく悪魔が発するものだ。
「サルガ」
小さく呼ぶと、サルガが隠形したまますぐ傍に現われる。
「気配を感じ取っているか」
「はい。おそらく、あの娘に加担しているというベルフェゴールのものだと思います」
サルガがそう答えるので、なるほどねとメフィストは頷いた。つまり、ベルフェゴールの目的はあの娘そのものではなく、あの娘を利用して多くの人間を堕落させることか。
しかし、そこまで大規模なことをやる悪魔ではないし、何より人間嫌いで人間界になんて長く居たくないというタイプだ。それなのに、これほどまでのことをしているのは何故だろう。
「旦那様への当てつけでしょうか」
「その可能性もあるが・・・・・・もう少し探る必要がありそうだな。あのアンリの相手をした後に死んだ奴がいるか、調べてくれ」
「承知しました」
サルガはそこで姿を完全に消した。
その間も舞台は進み、巫女の立場でありながら恋してしまったという主人公を、アンリが切々と演じている。
「演目もまた、示唆的だな」
それを冷ややかに見ながら、メフィストは巫女ねと笑みを浮かべていた。
その日はアンリに会っていかないかという誘いを断り、メフィストは真っ直ぐにタウンハウスに戻っていた。すると、リリスが待っていましたとばかりに駆け寄ってくる。
「いかがでした?」
「ややこしそうだな。そして、ベルフェゴールが個人でやっているとは思えない」
「あら。では、邪悪な人間がいるのかしら」
「そうだな。そう考えるのがいいだろう」
メフィストはリリスの腰を抱き寄せつつ、誰か知っているのかいと耳元で訊ねる。
「それが解れば旦那様の手を煩わせていませんわ。私が感じ取ったのはベルフェゴールだけですもの。ただ、あのアンリって子が派手に遊んでくれるものだから、私がちょっと困るってだけ」
「なるほどね」
つまり、どこかで獲物を横取りされたというわけか。そして、リリスの誘惑を振り切ってアンリを選ぶとなると、ベルフェゴール並の力が必要なのは事実だ。
「人間嫌いの人間か」
「意外と多いですわよね」
「そうだな」
どうやらアンリを追っていてもベルフェゴールには辿り着けないらしい。アンリはいわばスケープゴートだ。メフィストは面白くなってきたなと、思わずにやりと笑っていた。
背後にいる、ベルフェゴールを呼び出した奴の魂はどんな味だろう。それを想像すると、思わず唇を舐めてしまう。
「あらあら。はしたないですわよ」
「すまない」
リリスに注意され、メフィストはそっとその手にキスをすると、自室へと戻っていた。
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