第11話 オペラ座へ
ベルフェゴールという大物の悪魔が関わっている。それだけでも慎重を要することだが、さらに問題があった。
「かなり人気のようですね。そのプリマドンナ」
「みたいだな」
そう、問題のプリマドンナが本当に人気者であるという点だ。悪魔が憑いているのか確認するのも難しいし、何より魂を狩るのも一筋縄ではいかない。いきなり死んだら大騒ぎになることだろう。
普段は遠慮なく狩りを行うメフィストも、さすがに波紋が大きくなる場合は躊躇してしまう。おかげで普段のようにあちこち覗き見て終わりとすることが出来なかった。
「ともかく、彼女の舞台を見てみるか」
というわけで、一先ず偵察として舞台を見に行くこととなった。が、今やうなぎ登りに人気者のオペラのチケットを取るのは容易ではない。特に社交界でも噂になっているものだから、貴族たちもこぞって見に来ている。
「メフィスト様が観に行ったというだけで、彼女の人気はさらに上がりそうですね」
観劇は一種の社交場でもある。貴族たちは舞台よりも来ている人たちに注目する。サルガはそれだけで騒ぎになりそうだと溜め息を吐いた。
「だな。まったく、人間とは面倒なものだとこういう時に思うよ。今度はもう少し見た目を差し引くべきかな」
メフィストが自分の頬を撫でながら言うと
「ご冗談を」
サルガが割と本気の目で止めろと止めてくる。悪魔として、美醜には拘るべきと考えているのだ。メフィストは肩を竦めるしかない。とはいえ、人間を騙すのに綺麗な顔というのは、非情に有用だ。
「もちろん冗談だよ。さて、非情に面倒だが、次の公演先のオペラ座は、俺と顔見知りのグレイル伯爵が出資しているところだ。何とかなるだろう」
「解りました」
何をするにも面倒な案件。しかもリリスが目の敵にする案件。色々と気になることだらけだが無視するわけにもいかない。乗り気ではないが、こうしてメフィストは問題のプリマドンナの舞台を見物しに出掛けることになるのだった。
「これはレスター伯爵。ようこそお越しくださいました」
さて、観劇当日。劇場に行くとチケットを頼んだグレイル伯爵だけでなく、劇場支配人まで出迎えてくれた。
「いえいえ。こちらこそ、人気の舞台をいきなり見たいと我が儘を言ってしまい、すみません」
「なんの。伯爵様がいらっしゃったとなれば、プリマドンナ、アンリの意気も上がりましょう。麗しの君と、前々よりお慕いしておりましたからな」
「おやおや。プリマドンナの魅力には負けてしまいますよ」
メフィストはそう言って肩を竦めるが、ここまで和やかに会話した結果、ひょっとしたら公演の後に直接会う機会があるかもなと思った。
しかし、予想以上に自分が出向いたことが注目されている。やはり、悪魔として魂を狩るのは容易ではないだろう。メフィストはルシファーのご機嫌伺いも相俟って、すでに嫌な気分になっている。
「さて、こちらに。二階に良い席をご用意しました」
「ありがとう」
しかし、支配人とグレイル伯爵には笑顔を向け、何とか切り抜けるのだった。
二階のボックス席に落ち着いたメフィストは、横に控えるサルガとアガリに目で合図を送り、劇場の中の様子を探らせた。彼らはすぐに気配を消すと、それぞれが力の使いやすい場所へと向った。
「さて、何が出るやら」
本当にプリマドンナのアンリにはベルフェゴールが憑いているのだろうか。劇場の中に入っても、自分と部下二人以外の悪魔の気配は感じない。しかし、劇場という特殊な場だからか、色々なモノが見える。
「ふうむ」
「レスター伯爵。ご一緒してもよろしいでしょうか」
と、そこにチケットを取ってくれたグレイルがやって来た。こうして同席するだろうことは最初から想定していたので
「どうぞ」
とにこやかに迎え入れる。
「おや、執事の方は」
サルガは一緒にやって来ていたので、グレイルも目撃していたのだ。それなのに今、メフィストが一人でいるから不思議に思ったらしい。
「あいつは車で待つと言っていました。私の邪魔をしたくないとね」
「おやおや。気遣いの出来る執事殿ですな」
「普通ですよ」
執事くらいならば同席することもあるが、多くの使用人たちは劇場の外で待っている。ということで、今サルガがいないことも不自然とは取られなかった。
「楽しみですね」
メフィストは舞台に目を向けて笑ってみせる。
「歌声は折り紙付きですよ。とはいえ、この一年で急に実力を付けた子でしてね。それまでパッとしなかっただけに、どうしたのだろうと、そこは噂になっています」
「ほう」
それは悪魔と取り引きをした可能性があるな。メフィストは気になりますねと頷く。
「ええ。中には劇場に住む怪人に習ったのではないか、なんて口さがない噂を流す者もいるほどです」
「怪人?」
困り顔で言うグレイルだが、メフィストにすれば意外なワードだ。思わず訊き返してしまう。
「ああ、レスター伯爵はご存じありませんでしたか。この国ではなく、海の向こうのフロアン王国の話ですけどね。とあるオペラ座の地下には怪人が住んでいるという、一種の怪談があるんです」
グレイルはそう言ってにやりと笑った。
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