第6話 メアリー侯爵夫人
その問題の侯爵夫人、メアリーは跪く使用人を冷たく見下ろしていた。
「明後日までに用意しなさい」
人数が揃わないとの報告に、イライラとしてしまう。この肌はまだ理想とするきめの細やかさに到達していないというのに、この使用人は何をのんびりとしているのか。
「そう仰られましても、十五から十九の娘はもうこの近くにおらず、遠くから連れて来る必要があるのです」
使用人、侯爵家に仕えて長い五十の男は、夫人を怒らせないよう、しかし無理だと解ってもらいたい一心で跪き続ける。
「一人や二人ならばそれ以下の娘でもいいわ。そうね、あなたのところの孫でもよくってよ。量はあまり取れないでしょうけど、ないよりマシだもの」
しかし、夫人はそんな使用人を冷たく見下ろし、あろうことか孫を差し出せと言ってくる。
この悪魔め。
使用人は思わず吐き出しそうになった言葉をぐっと飲み込み
「孫だけはご勘弁を」
頭を床に擦り付け、孫の命乞いをするしかなかった。
「じゃあ、さっさと人数を集めてちょうだい。子どもが交ざるようならば、集める量を多くしてちょうだい。ああ、年増は駄目よ。若くて出来る限り生娘であることが、私の肌を若々しく保つ秘訣なんだから」
夫人は孫を諦めてくれたようだが、それでも、無茶苦茶なことを言い続ける。
そんなことをしたって、肌が若返るわけじゃないのに。旦那の女遊びが止むわけでもないのに。
理不尽な要求に使用人はいい加減にしてくれと怒鳴りたくなる。しかし、言えば最後。最愛の孫がこの女の毒牙に掛かってしまう。
「すぐにご用意します」
ああ、この地獄を終わらせるにはどうすればいいのか。神は救い給いてくれないのか。
男は虚ろな目をしたまま、夫人の前を辞去したのだった。
そして三日後。近隣の町や村に出向き、誘拐強盗と、決して侯爵家に仕える使用人にあるまじき所業を仲間と繰り返し、何とか夫人を満足させる人数を集めることに成功した。
部屋の外にまで漏れ聞こえるすすり泣く声に、使用人は気が狂いそうだった。そしてこれから始まる悲鳴の重なりを思い、陰鬱な気分になる。
「どうして、こんなことに」
侯爵夫人が妙に若さと美しさに拘り始めたのは、侯爵がタウンハウス、フォグランド中央都市のフォグリーにある別邸に女を囲っていることが解ったためだ。
侯爵は発覚後すぐに夫人に謝罪し、女を追い出したのだが、すぐに別の女が囲われた。まさにいたちごっこ。しかもその不倫相手の女たちの誰もが自分よりも若く、瑞々しい肌を持つ娘たちであったことから、夫人は自分が若返れば夫の心を取り戻せるはずと思うようになった。
「ああ、神よ」
使用人が思わずそう呟いた時、カツカツと革靴が奏でる足音が聞こえた。
まさか、旦那様が戻ってきたのか。ここ数年は別邸にいて、夫人と顔を合わさないようにしているのに。
そう期待した使用人だが、目の前には見たことのない、しかも美しい男がいてびっくりした。その纏う服から考えて貴族だ。しかし、今日こんな日に客人がいるはずがない。
今からおぞましい宴が繰り広げられようとしている、外に知られれば醜聞にしかならないこの日に。
「あっ、あの」
「メアリー夫人はこちらですね」
使用人に、貴族は優雅に問うてくる。その貴族の後ろには執事までいた。この二人はもちろん、メフィストとサルガだ。
「お、奥様は」
何とか止めねば。
そう思っている暇もなく、後ろで悲鳴があがった。メフィストは軽やかな足取りでそちらに向う。
「や、止めろ!」
使用人は思わず叫んだが、メフィストは容赦なく悲鳴の聞こえたドアを開けた。そして、そこで行われている光景を見てくすりと笑う。
「な、なに」
まさに一人目の生娘の腹を割き、生き血のシャワーを浴びていた夫人は驚く。娘たちは皆、天井から吊され、下に置かれたバスタブに血を抜き取られるのを待つ状態にされていた。
「助けて」
「お願い」
闖入者に向けて、そんな天井に吊された女たちが叫ぶ。
「な、何を」
「決定的な証拠が必要とはいえ、今回は救いを求める声が多すぎますね。まあ、いいでしょう。貴婦人の魂なんていう、滅多に食べられないデザートのようなものを食べられるんですから」
メフィストはにやっと笑うと、生き血を浴びながら震える夫人に近づいた。そして、有無を言わせずに口づける。
その瞬間、メアリーの意識は完全に途切れたのだった。
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