最終章 真相
一 緑の老人
実験はちゃんとした実験室でやれと、結構しっかり怒られた。エテンは泣きながら師匠に抱えられていて、師匠は楽しそうに笑っている。
「何にせよ本棚が無事で良かった。書籍をだめにしていたらもっと怒られたと思うよ」
「ごめ、なさいっ」
「もういいって。支配人も君は悪くないって言ってただろう」
「だって」
「君だって、もうきちんと謝ったじゃないか」
師匠が鍵を出して、新しく用意してもらった部屋の扉を開けた。荷物は後から運んでもらえるらしく──エテンは「自分でやります」と言ったが断られてしまった──向こうの部屋とは違う色のソファに降ろされる。
「まだ泣き止まないのかい? 怒られていたのは私だろうに」
「だってぼくっ、僕のかいた、まほうじん。僕のせいで、師匠」
「はいはい、よしよし」
少しぞんざいに言った師匠が「夕食を頼もうか」と献立表を手に取った。そうして放っておかれると泣かずにはいられない気持ちが収まってきたが、もう少しだけ構われていたい気がして肩を震わせてみる。しかし師匠が面白がるように「ふふ」と笑ったのが聞こえたので、諦めて涙の止まった顔を上げる。
「師匠……」
「ん?」
「あの魔法陣……」
「うん」
「師匠の役に、立ちますか」
彼の息子のように振る舞えるのも、あと一週間と少しだ。月の塔へ行ったら、ちゃんと娘さんに返してあげないといけない。そうなっても、師匠は僕を見ていてくれるだろうか。「弟子の出来の良し悪しに興味ない」師匠に、戻ってしまわないだろうか。
「立つ」
師匠は頷いた。
「でも、それは君の発見を横取りしようというんじゃない。この研究は君の宝物として、君の名前で論文にするんだ」
「論文……」
そんなもの自分に書けるのだろうかと少し心配になったが、エテンにはそれよりも重要なことがあった。
「でも、僕の名前の論文は、僕のてがらになるんじゃないですか?」
「そうだね」
「じゃあ僕、いりません。発見は師匠にあげます」
師匠が問うようにこちらを見る。
「僕の見つけたものとか、考えとかは、全部師匠にあげます。僕はすごい魔術師になりたいけど……師匠が認めてくれるなら、僕はそれでいいから」
「そういう態度はあまり好きじゃないね」
師匠の視線が、声が、突然そっけなくなってエテンは硬直した。
「エテン。私は君を師として導くつもりだけれど、君が私に依存するのを許すつもりはないよ。弟子というのは師から学ぶものであって、師に搾取されるものではない。そして、そんな媚びた言葉で他者を繋ぎとめようとするな。健全な関係を崩して得るものは、君の求めるものの代替にはならない」
「……ご、ごめんなさい」
震える声で言うと、師匠はふっと伏し目がちに笑った。絶対に嫌われたと思ったが、そうでもないかもしれない。
「でも、じゃああれは……どうやって師匠の役に立つんですか?」
「素晴らしい発見というのは、存在するだけで他者の研究の助けになるものさ」
師匠が軽やかに笑いながら、夕食の献立に目を走らせる。と、真ん中あたりでふと目を止めて顔を上げた。
「エテン、夕食はサロンにするかい?」
「え?」
「そういえばレーイエが言っていた魔術排斥派の人間を、昨夜サロンで見かけたなと思って。『犯人探し』の方。聞き込みしてみようか」
「……危なくないんですか?」
魔術師と魔術師の弟子がいきなり話しかけても大丈夫なものなのだろうか。エテンが心配していると、師匠は頷いた。
「大丈夫。温厚派だと言われている人だし、私の方が強い」
「強いって、戦う気ですか?」
そんなばかなと思ったが、何気ない言い方がちょっとかっこよかったので、エテンはそれ以上追及しないことにした。一応楽器を背負ってから階段を降りてサロンへ向かう。まだ夕食にはもう少しありそうな時間だったが、扉の向こうからは綺麗な楽器の音が聞こえてきた。
「何の音ですか?」
「ピアノ。こっちの言葉ではピラカっていう、この街よりもう少し西の方で作られている楽器」
「これがピアノの音」
宝石の雨粒が降るような綺麗な音だ。弾いてみたい! と思ってサロンへ飛び込むと、机の天板につっかえ棒をして持ち上げたような不思議な形の楽器の前には、見覚えのある緑のローブのおじいさんが座っていた。
「あ、あの人……」
「あの人が聞き込み相手だよ。知り合いだったのかい?」
「いえ。僕達が玄関のところで滑って転んだ時、笑ってた夫婦の旦那さんの方だなと思って」
「……そういえばそんなことあったね。バエンと話してる時に吹き出してたのもあの人だ」
楽しそうな人だなと思っていたが、彼が魔術師を嫌う派閥の人だと知ってしまうと、それが本当に「感じのいい」笑いなのか疑わしくなってくる。エテンはそんな風に考えてしまう自分が嫌で、背負ったルェイダの鞄の紐を握りしめた。弾き手にピアノを教えてくれないか頼んでみようと思っていた気持ちが萎んでゆく。ピアノは……いつか賢者様に習おう。あの人なら教えてくれそうだ。
「オトロン殿」
演奏が終わるのを待って、師匠が意外にも丁寧に敬称をつけて話しかける。オトロンと呼ばれた老人が料理から目を上げて、微笑んだ。優しそうな、感じの良さそうな、けれど少しだけ警戒した目。
「これはこれは、エルレン殿に吟遊詩人くん。夜更けに風の祝福を」
師匠を「アルラダ」と呼ばないんだ。それに「こんばんは」ではない、神様の名前が入った独特の挨拶。
「あなたにも」と師匠。エテンも隣で胸に手を当てる。
「書物をひもとく夜に、祝福の風が吹きますように。演奏、とてもすてきでした」
「おや」
オトロンが目を丸くして隣の奥方と目を合わせ、少し気を許した顔でにっこりした。
「魔術師の弟子でありながら、そう返してくださる方は珍しい」
「そのつどひざまずくことはなかれど、魔術師とて心では神に感謝をささげて術をつかいなさいと、師におそわりましたから」
にっこり、朝日が差し込むように笑む。師匠が「そんなこと言ってないけれど」みたいな顔になったので、こっそり足を踏む。教わっていなくなって、吟遊詩人にはこのくらいお手のものだ。
「おや、おやおや」
オトロンはすっかり嬉しそうになって師匠を見つめた。師匠が一瞬視線をうろうろさせてから、困ったように微笑み返す。
「月の貴方がそのようなお考えだったとは……私は今までどれだけ目が曇っていたのだろうか」
「私こそ、貴殿のお考えから学んだのです。それに娘と弟子を得てから、私も少し変わりました」
師匠がやる気のない棒読みで言った。けれどオトロンはそれに不信感を抱く様子もなく「それは光栄ですな。うんうん、子供というのはいつだって親を成長させる」と師匠の肩を叩く。素直で、気のいい人なのだろう。
「オトロンさま、誘拐事件について少しお話を聞かせていただけませんか?」
様子を窺いながらエテンが言ってみると、彼は「誘拐事件?」と優しく微笑みながら師匠にちらりと視線を投げた。
「なぜ私に?」
あ、失敗した。エテンは慌てて真面目にしていた顔を明るく輝かせて、元気良く言った。
「犯人を探しているって聞きました。僕、探偵なんです! オトロンさんも探偵なんですか?」
「探偵……ははっ、そうかそうか! いや、私は探偵ではないけれどね。少年探偵くんの力にはなれるかもしれない」
老人が一瞬呆気に取られた顔になり、次いで吹き出すように笑ってから「テラスで話そうか」とエテンに優しく言った。この人、結構単純だな。
「ありがとうございます!」
師匠がまじまじと興味深そうにエテンを見ている。今はやめてほしい。
「オトロンさまは、犯人のけんとうはついていますか? 僕はね、きっと『魔術の嫌いな魔術師』だと思うんです。すごい魔術師になりたくて勉強していたけど、うまくいかなくって、自分より才能のありそうな子供をねたんでるんだ」
本当は同じくらい「排斥派」も怪しいと思っていたが、そんなことを言ってこのおじいさんが怒り出したら嫌なのでそう言ってみた。師匠が腕を組んで「なるほどね」と言い、オトロンは少し驚いたように「私も同じ考えだよ」と言った。
「魔術師というのは神にお仕えしていない分、気性が荒い者も多いからね。皆が君やエルレン殿のように優しい考えを持っているわけじゃない。認められず卑屈になった末に、無差別に子供達へ恐怖心を植え付けるなどという凶行に走ったのではないかというのが私の考えだ。いっそ魔術の許されない世の中になってしまえとね」
「容疑者はいますか?」
「ほう、難しい言葉を知っているね。私が目をつけているのは二人だ。一人目は意外に思うかもしれないが、排斥派のナイ。彼は魔術師志望だったが魔力に恵まれず、そのことから恨みを募らせて排斥派になった男だ。派閥の中でも持て余されている、攻撃的な思想の持ち主だ……とはいえ、可哀想な人ではあるのだよ。ずっと抑圧されて生きてきて、ずっと人への恨みをなくせずに生きている」
「その人、魔女さんも怪しいって言ってました」
「図書館の魔女か。まあ、彼女ならそう言うだろう。我々とは複雑な間柄だが……それでも一目置かれている聡明な人だ」
オトロンが頷いた。服の趣味は変だが、かなり認められているらしい。
「そしてもう一人は、図書騎士のアルゾ」
「アルゾさん!?」
エテンがびっくりして大きな声を出すと、オトロンが「しぃっ!」と言った。
「……ごめんなさい。でもどうしてアルゾさんが?」
小声で問う。あんなに優しい人なのに、どこが怪しいんだろう。そんな意思を込めて見上げれば、老人は悲しげに眉を下げた。
「彼もね……憐れな人だ。どうやら図書館も犯人の捜索に乗り出しているようだけれどね──私は発掘文書の修復の仕事をしていてね、仕事柄図書館の裏にも出入りするんだが、どうやら被害にあった子供達はみんなあの図書館の常連だったとかで、図書騎士達を中心に動いているらしい。おっと、これは内緒の話だよ」
「みんな、図書館の常連」
「そう。司書や騎士達とも面識のある子ばかりでね……それで図書騎士アルゾが怪しいと言っている人間が、図書館にはちらほらいるということだ。彼は魔術師の名家の生まれだが、優秀な兄君と違って才能に乏しく、騎士団に放り込まれたという噂だ。一見いつも爽やかにしているがね、兄弟と比べられ、鬱屈と育ってきたのかもしれないね」
「でも──」
反論しようとしたその時、広間の人の声がざわざわと揺れて、テラスにいたエテン達は会話を中断してそちらへ視線を向けた。少し慌ただしい様子で何人もの従業員と、その後ろから背の高い騎士が二人、サロンへ入ってきている。そして、支配人と呼ばれていた男性が青い顔でこう言った。
「皆様──大変申し訳ありませんが、今宵のサロンは只今をもって閉会とさせていただきます。当宿のお客様が一名、外出先で行方不明になられました。七歳のお子様でございます。騎士の方々が順番に伺いますので、それまでお部屋でお待ちください」
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