二 図書騎士



 何かご覧になっていないか話をうかがうだけです、食事は部屋へお持ちしますと支配人は繰り返し言ったが、サロンに集まった人々は混乱したように知り合いと早口で会話ばかりしていて、あまり聞いていないようだった。


「残念ですが、お話はまた」


 しかしオトロン夫妻は流石に年の功か、落ち着いている様子だった。穏やかに「待っているよ」と騎士達へ声をかけ、手を取り合って廊下へ去ってゆく。


「お部屋でお待ち下さい。お食事は追ってお部屋へご用意いたします」


 支配人がまた言った。けれど集まった大人達は「誘拐とはどういうことだ」とか「誰の子が攫われたんだ」とか「この宿も危険なのか」とか、あれこれ詰め寄っては動こうとしない。


「師匠」

「『部屋で待て』の一言も理解できない人間のことは放っておこう、エテン。時間の無駄だ」

「でもあの人達がずっとああしていたら、騎士さん達は捜索に行かれないし、従業員さんもそれに協力できません。さらわれた子がかわいそうです」


 エテン達の会話は思ったよりも広範囲に聞こえていたらしく、騒いでいた大人達の半分くらいが気まずそうな顔をして部屋へ戻り始めた。段々怒った顔になってきていた騎士二人が、口の端をニヤッと持ち上げながら胸に拳を当てる敬礼をしてくれる。深い緑色の上着なので、図書騎士だ。


「師匠……この街にはどうして騎士が何種類もいるんですか? 緑色の図書騎士と、灰色の服の騎士と、あと赤色の騎士も見たことあります」


 部屋への道を戻りながら尋ねる。広間の入り口のところで、灰色の制服を着た騎士と緑色の制服を着た騎士が、深刻そうな顔で情報のすり合わせをしているのを見たのだ。


「それぞれ守っているものが違うんだよ。赤の王宮騎士は王族の護衛だし、有事の際には国全体を守る。図書騎士は貴重な書物と図書館の自由を守っているけれど、武力が必要な侵害は滅多に起こらないからね、暇な時は街の警護をしている。街の騎士は街を守っている自警団だよ」

「守っているものが、違う……」

「いざという時、誰を守るかが違うってことだ。図書騎士は今のところ誘拐事件の取り締まりをしているけれど、何かあれば彼らは人命より書物の保護を優先する。だから選ぶ余地があるなら、街の騎士を頼る方がいい」

「ふうん」


 部屋に戻って鍵をかけ、窓から外を覗く。普段と違って徒歩ではなく、馬に乗った騎士が何人も宿の周囲を警戒していた。図書館の庭の方にも灰色の制服が集まっている。


「また、図書館の庭で攫われたたらしいです。お母さんと本を借りにきて、帰りに地下通路じゃなく、少し散歩してから帰ろうって庭へ出て、お母さんが見回りの騎士さんと少し世間話をしている間にいなくなったって」

「どうしてそんなこと知ってるんだい?」


 師匠が驚いたように言った。少し得意になって胸を張る。


「サロンの前で騎士さん達が言ってました。僕、耳がいいから」

「へえ、まるで『ミグ』みたいだ」

「ミグ?」

「ヴェルトルート語で耳のことだけど、そういう名前の一族がいるんだよ。鷲族わしぞくっていってね、結構大きな集落を持っている氏族なんだけど、『あたま』とか『目』とか『耳』とか、その中の一家族ごとに少し変わった能力をもっているんだ。ミグはとても耳が良くて、見えないくらい遠くの音まで壁を突き抜けて聞き取ることができる」

「壁の向こう……流石にそこまでじゃありませんよ……」


 エテンは半分上の空で答え、その妖精のような不思議な一族にうっとり思いを馳せた。それぞれ特殊能力がある家族とか、すごくかっこいい。


「鷲族は月の塔の護衛をしている一族でね、私の妻は『頭』だったんだ。統率力に優れた勤勉な一族でね、だからかな、娘もとても賢くて勉強熱心なんだ」


 なんだかとろんとした間抜けな顔で師匠が言った。「とても利発で見かけも妖精のように可愛いけれど、惚れちゃダメだよ」と言っている。


「惚れませんよ」


 エテンは苦笑しているふりをしながら、少しだけふてくされて言った。今はまだ、師匠の本当の家族の話は聞きたくない。せめてこの国にいる間くらい、独り占めさせてほしい。


「本当かい? でもファロットは本当に妖精のようだからなあ……心配だよ」

「僕が娘さんを好きになったら、心配なんですか」


 少し棘のある声で言ってしまってから、しまったと思った。会ったこともないのに、娘に近づく悪い虫のように扱われて、そうして守ってもらえるファロットとやらが妬ましくて仕方がなくなっていた。


「あ、いや……君が悪い子だとかそういう意味ではなくて。いや、恋愛はまだ早いと思っているけれど」


 師匠は少々しどろもどろにそう言って、「そう、本当にエテンがファロットと結婚したいと言ったなら、私だってちゃんと考え……いやしかし、いや、でも他のろくでもない男に渡すくらいなら」とぶつぶつ言いながら頭を抱えた。それがあまりにも馬鹿らしくて、やきもちを焼いていた自分が恥ずかしくなってくる。


「師匠、そんなことより事件です。さっきの人、被害者はみんな図書館の常連だったって言ってました。ナイという人は確かこの宿や図書館の庭の植物を世話してる人だって、魔女さんが言ってましたよね。もしかしたら庭に秘密の地下室を作って、そこに子供達を閉じ込めているのかも。探しに行きましょう!」


 ソファから勢いをつけて立ち上がろうとしたが、その前に肩を押さえられた。


「ああ……また明日ね」なだめるような声。

「いや、もしかしたら犯人は誰にも知られていない地下書庫に隠れているのかもしれません。だから子供達はみんな、この近くで攫われてるんです」

「……えらく地下にこだわるね」

「あ、そうか。屋根裏部屋っていう可能性もあるか……」

「いや、そういうことではなくて」

「図書館だけじゃだめだ。一応この宿も調査しましょう! 師匠、あの屋根裏へ繋がる扉に──」

「また明日ね」


 今度は立とうとしていないのに、念を押すようにもう一度肩を押さえられた。


「でも」

「今日はもう遅い」

「大丈夫、馬車にいた時はほとんど夜は寝てなかったんです。それに比べたらこの五日はすごく調子が良くて」

「エテン」


 声から甘やかすような響きがなくなったのを聞いて、エテンはきちんと座り直した。


「はい」

「また明日だ」

「はい」


 少し調子に乗りすぎたと髪を撫でつけ、一箇所跳ねているところを見つけて赤くなった。出かける前にちゃんと直したはずなのになぜと自問自答していると、廊下から小さく話し声が聞こえてきた。


「あ」

「来たみたいだね」

「アルゾさんの声ですよ」


 パッと立ち上がって扉を開けると、目を丸くした支配人がいた。


「あ、ごめんなさい」

「いえ」と支配人。

「ロゥ、いや、エテン。部屋変えたのか?」アルゾがその後ろで手を上げる。

「アルゾさん! 話があるんです。早く中へ」


 エテンに袖を引っ張られたアルゾが笑いながら「待て待て」と言うと、支配人に向かって「ここは知り合いだから仲介はいりません」と言った。支配人が「そのようですね」と微笑んでから「お済みの頃にお食事をお持ちいたします」と言って立ち去る。


「ほらエテン、まずは俺の仕事をだな」

「何も目撃してません。ねえ、図書館ではアルゾさんが疑われてるって本当ですか? 大丈夫なんですか? 捕まったりしませんよね?」

「……誰に聞いた」


 アルゾが急に真剣な顔になって尋ねると、師匠が「オトロン」と口を挟んだ。騎士は「あのジジイ……」と額に手を当てる。


「あいつは全く……腕がいいからって裏方の情報を持ち出すようなやつは入れられんな。後で言っとく」

「それがいいだろうね」

「ねえ、アルゾさん」


 エテンがしつこく腕を掴んで揺すると、アルゾは「少し話を聞かれただけだ。問題ない」と苦笑を浮かべた。


「本当に?」

「ああ」

「アルゾさん、魔法陣描いてください」

「ああ?」


 不可解そうに片眉を上げる騎士へ「魔力の色を見たいんです。風持ちじゃないですよね?」と畳み掛ける。

「ああ、そっか。そういやエテンはマレンの発見者だから、記憶喪失のこと知ってたな」


 アルゾはそう言って「色見るだけなら魔法陣じゃなくていいだろ」と指先で空中にすうっと線を引いた。あたたかみのある白色の光。師匠よりずっと輝きが弱いが、光の魔力だ。


「光持ちですね。良かった」

「おう。疑いは晴れたか?」

「はい。それにアルゾさんはあの時マレンが歩いてきた方向とは反対にいたし、少し前まで僕と話してました。協力者である可能性も低いと思います」

「お、おう」


 エテンがせっかく彼の無実を証明してあげようとしているのに、アルゾはなぜか変なものを見るように少年を見下ろした。


「お前……前からそんな感じで喋ってたっけ?」

「え? 別に喋り方を変えたりしてませんけど」

「いや、口調じゃなくて、その……前はもう少し子どもらしかったというか、いや、顔は今の方が子供っぽいが」

「えっ?」


 それは由々しき事態だとエテンは素早く両手で顔のあちこちを触り、師匠が声を出さずに肩を震わせた。アルゾがそれをきょろきょろと交互に眺めて、小さな声で「ほんとに……良かったな」と呟く。


「でも、そんなに簡単に彼を容疑者から外してしまっていいのかい? なかなか複雑な過去を持っているようだけれど」


 師匠が言う。騎士が「それもオトロンか……」と口元を歪める。オトロン自身はそこまで嫌な人間には見えなかったが、確かに人の過去をぺらぺらと他人に喋るのは良くないかもしれない。


「ごめんなさい、少し聞いてしまいました」

 見上げると、アルゾはすぐに気のいい騎士の顔に戻って言った。


「や、構わない。お前に聞かれるのがどうこうじゃなく、そういう噂話は感心しないと思ってただけだ。俺は図書騎士だからな、個人情報には他より少し煩いんだ」

「個人情報……」

「何を秘密にしたいかは、人によって違うからな。ちょっとした娯楽小説を一冊借りたというだけでも、その人にとっては絶対誰にも知られたくないことだったりするんだ。エテンは馬鹿な噂話なんかしない、他者の秘密を守れる大人になるんだぞ?」

「はい」


 頷いて、師匠の方へ顔を戻す。話が逸れてしまっていた。

「それで、師匠。僕はまず、風持ちの人間を追うことにします」


「うん?」

 師匠が片眉を上げて先を促す。


「派閥とか、性格とか、悩んでいることとか、そういうのは全部『想像』であって『事実』じゃありません。考えるきっかけにはなっても、証拠にはならない。他に何も手がかりがないならまだしも、今回の事件は『マレン達が記憶を消されている』という事実があります。それが風持ちにしかできないことなら、犯人の一人は絶対に風持ちなんです。だから僕は、見えている事実から追います」

「魔力のないナイのことは怪しんでいたのに?」

「それはちょっと……秘密の地下室を探したいだけでした」


 そしてエテンはアルゾに向き直って問うた。

「言えることだけで構いません。風持ちの人に心当たりは?」


 するとアルゾは腕を組んで言った。

「俺はあまり情報通じゃないが、とりあえず図書館には一人いるな。司書のシタンだよ。あ、これは広く知られてることだから秘密をばらしてるんじゃないぞ? 書架魔術の研究者だが魔術師としてもかなり優秀で、うちの図書館の魔導具はだいたいあいつが整備してる」

「え?」


「それと、これは……言っちゃならないことかもしれんが」

 俺の真似はするなよ、と囁いてからアルゾが小声になった。

「庭師のナイは魔力は持たないが、魔術は使えるぞ。前に魔石を使って魔導具を動かしているのを見たことがある」





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