四 才能



「それで、次はどうする?」

 師匠が尋ねる。


「レーイエに紹介された人のところに行ってみるかい?」

「その人も図書館にいるんですか?」


 エテンが問い返すと、師匠は「いいや、自分の家や研究室じゃないかな」と言った。


「なら、約束するのが先だと思います。学者さんとか、そういう地位?のある人のところはいきなり押しかけたら嫌がられるって聞いたことあります」

「そうかい? 塔ではみんなそんな感じだけれど」

「それは同じ建物に住んでる仲良しだからでしょう?」

「いや、別に仲良しでもないかな」

「師匠……」


 とにかく鳥を飛ばしてくださいと頼んだが、師匠は「会ったことのない人ばかりだからね」と首を振った。


「会ったことがないと飛ばせないんですか?」

「いや、その個人をはっきり認識していないと飛ばせないから、印象の薄い人だとダメだね。顔、声、名前、それから何より気配」

「気配……?」

「伝令鳥は魔力を頼りに飛んでいると言われている。だから魔力の気配、つまり雰囲気というか、あたたかさというか……あるだろう? その人特有の香りとか温度みたいなもの」


 確かにある人を思い浮かべる時、顔だけではなく全体的な雰囲気のようなものも想像している気がする。そんな気はするが──


「そんな曖昧な感じでいいんですか?」

「どうやって居場所もわからない離れた人のところへ行けるのか、原理はわかっていないんだよ。一般的には『神様のご機嫌次第』だって言われているけど、案外本当のことかもしれない。魔法は科学じゃないからね」

「魔法は、科学じゃない……」


 どういう意味だろうと眉をひそめたエテンに師匠が言った。


「誰にも説明できないことが度々起こるってことさ。だから魔法や魔術が絡む事件を解決するのはきっと難しいよ」

「難事件ってことですね!」

「あ、うん……そう」

「『謎が深まるほど、そのすがたを知りたくなってしまうたちでしてね……その正体はしんそうの美しい姫君なのか、はたまたしゅうあくな怪物なのか』」

「エテン……君って、本当に素直だね」

「はい?」

「魔術師ものも読んでみようか」

「え? 魔術師の……物語ですか?」


 よくわからなかったが冗談か何かだったらしく、問い返したエテンに師匠は「いや、何でもないよ」と首を振った。


 何とも言えない空気になったまま地下通路を通って宿に戻る。師匠が受付の女の人に何か言うと、彼女は「かしこまりました」と恭しく頭を下げた。


「どうしたんですか?」

「宿に面会予約を頼んだ。時間が決まったら連絡がくるよ」


 それを聞いて、知らない人間にどうやって約束をとりつければいいんだろうと内心困っていたエテンは目を丸くした。


「そんなことまでしてもらえるんですね」

「私も知らなかったけれど、頼んでみたらいけたね」

「師匠……」


 簡単な予定を伝えておくと出かけている間に掃除をしておいてくれる仕組みらしく、部屋に帰ると師匠があちこちに放り出していた鞄の中身がまとめられていて、寝台のシーツも綺麗なものに取り替えられていた。が、本立てを使って綺麗に並べてあった図書館の本を、早速師匠が何冊も抜き取って机の上に広げている。荷物の中から紙とペンを取り出したかったらしく、その上に詰まっていた着替えの類も寝台の上に放り出された。


「ねえ、師匠」

「じゃあ夕食までは少し勉強をしようか、魔法陣の仕組みについて。あれはただ暗記するものだと思っている人も多いけれど、君はどの紋様が何の効果なのか気になっていたみたいだからね、そちらから学んでみよう」

「あ、はい!」


 また部屋を散らかして……と言おうとしていたのを即座に忘れ、エテンは小走りに部屋を横切って書斎へ向かう師匠に並んだ。大きな机の前に椅子を二つ持ってきて、並んで座る。真っ白な紙を一枚広げて、師匠がペンを握った。トン、と軽く央点を打つと、大きな円をすうっと描く。コンパスを使ったみたいに綺麗な丸だ。


「魔力の回転を作る部分はどこか知りたいんだったね。回転させているのは『星』と『弧』だ。星の中央に魔力を溜め、それを棘の先端から打ち出す。打ち出された魔力は弧、つまりこのカーブした線に沿って巡り始める」


 さらさらと星が描かれ、弧と呼ばれた曲線が描き足された。


「打ち出す強さは?」とエテン。

「それがエテンの苦手な『回す』部分だよ。溜めた魔力をぐいっと押し出す、きっかけの部分は手動なんだ」

「僕は、押すのが弱いんですか?」

「わからないけれど、可能性はあるね。もしくは押す方向が違うとか」

「真ん中の星から、弧を通って……また小さい星に入ってるやつもありますよね?」

「そう。細かく枝分かれさせたい時に星を入れる。星と弧自体には術の効果を指定する機能はなくて、具体的にそこを指定するのはその他の──と思われていたんだけどね、最近はそれが全く違っているという論文もあるんだ」


 師匠がそこで少し難しい顔になり、エテンは首を傾げた。

「違うって?」


「一切線を描かずに、点を打ってゆくだけで術を発現させられるっていう論文」

「星も丸も描かないってことですか?」

「うん。点描画みたいに……こういう、線の端っことか角のところとかに点を打つだけでいいっていうんだ。これをやろうとすると道具を使って厳密に描かないと発現しないけれど」

「へえ……」


 それを聞いて、何もかもわからなくなった。ぎゅっと眉根を寄せて考え込んでいると、師匠が苦笑して「いや、今のは深く考えなくていいよ。とりあえず星と弧で回していると思えばいい。専門分野だからね、つい余計なことを言ってしまった」と言う。話しながら師匠はペンをさらさらと動かし、複雑な魔法陣を描いてゆく。こうして見ると綺麗な紋様だなとエテンは思った。マントを留めるブローチとかにしたら素敵になりそうだ。


「それ、何の魔法陣ですか?」

「水を凍らせる術」


 師匠はそう言って立ち上がり、寝室から水差しを取ってくると魔法陣に魔力を流して「芯まで凍れ」と呟いた。すると描かれた線がふわっと強く光って、その上に師匠が水差しから水をこぼすと、キラキラ光りながら空中で氷柱つららになってゆく。


「すごい」

「夏には特に役立つ。さあ、じゃあこれをよく見て、星と弧の位置関係なんかに注意しながらこっちの新しい紙に書き写してごらん」


 氷柱をぽきんと折って水差しの中に放り込みながら師匠が言った。エテンは自分のペンを胸元から取り出したが、師匠に「それは魔導インクじゃないから、私の万年筆を使いなさい」と言われ、机の上のペンを拾う。央点を打って、円を描く。


「あの、師匠」

「なんだい?」

「この星と弧って、たくさん描くとどうなるんですか?」

「回転が強くなる」


 やっぱり。そう思って笑みを浮かべると師匠が「でも」と言葉を続けようとした。答えを言われてしまう前に、遮って言う。


「複雑な魔法陣ほど星が多いから、模様が細かいほど強く回さないといけないのかなと思ったんです。一本の水路に水を流すのは簡単だけど、たくさん枝分かれしていると強い流れが必要だから」

「あ、うん」師匠が頷く。

「星が多いほど、円が二重になってたり三重になってたりするのは、回る力が強すぎて堤防が壊れないようにですか?」


「……その通りだ。正式名称は『壁』という。魔力がはみださないように反射するためのものだよ」

 師匠がなぜかとても静かな口調で言った。見上げると「いや、続けて」と首を振る。


「だから……僕がもし回す力が弱くて魔術を使えないんなら、回転を余計に強くすればいいんじゃないかと思うんです。この魔法陣は星四つで円が二重だから、星を三倍に増やして十二個にして、周りの線を六本に──」


「あ、いや」

 師匠が口を挟んだ。


「そういう時は単純に線の数を増やすんじゃなく、少し違う壁を作るんだ。貸してごらん」

 ペンを受け取った師匠がエテンの描いた壁の外側に、綺麗な菱形模様が入った分厚い壁を増やした。


「はい、これでいい」

「ありがとうございます。それで、この弧を風車みたいに描いていくと、もっと速くできそうな気がするんです」

「どうして?」

「え? なんとなく……」


 調子に乗り過ぎたかな、と言い淀むと、師匠は真剣な目でエテンの魔法陣を覗き込み、頷くと「試してみよう」と言った。


「え、いいんですか?」

「うん。見たことのない形だけど……どうしてかな、ちゃんと動きそうに見える」

「ほんと?」


 エテンはガタッと立ち上がって少し飛び跳ね、早速真ん中の星に手を当てて魔力を流そうとした。とその時師匠がさっと紙を取り上げてしまったので、その手は空を切る。


「えっ」

「丁度いい、ひとつ覚えておきなさい。新しい術を試す時は必ず空中に陣を描いて、人のいない方向に向かって発現させるんだ」


 師匠が書斎の出口の方へ向かって紙を広げる。開けっ放しの扉から差し込んだ光が透けて魔法陣がはっきり見えた。


「裏向きなんですか?」

「うん。この魔法陣はこっち向きだ。術によって発現の向きが異なっている──つまり進行方向に向かって使うために作られた術ははじめから裏向きの図になっているから、術を使う時は必ず発現方向を確かめなさい。自分に向かって火の玉を放ってしまうような事故、本当に多いから」

「うわぁ……」


 想像しただけでお腹のあたりがキュッとなって、エテンは気をつけますと何度も頷いた。


「でも、この術はさっきみたいに上向きじゃダメなんですか?」

「放射状に現象が広がる術もある。魔術を使う上で一番安全なのは、魔法陣の裏側なんだ」

「なるほど」


 納得したエテンに師匠がうんと頷くと、紙の裏側からペン先を当てて魔法陣の真ん中にじわっとインクの染みを作った。


「これで裏側からでも魔力が通る。試してごらん。呪文は覚えてるかい?」

「はい」


 師匠が広げてくれる紙に手を当てて魔力を染み渡らせる。そしてぐるっと回しながら、呪文。


「シルラ=ファリミステール!」


 瓶の蓋を開けられなかったような感触。何も起こらない。


「師匠……」

「おっと、泣かない泣かない! まだ実験は始まったばかりだ。また別の方法を探せばいい」

「……はい」


 シュンとしてしまったエテンの頭を軽くポンと手のひらで叩いて、師匠が「よし」と言った。顔を上げると、ものすごく楽しそうに微笑んでいる。


「じゃあ、今日のところは私が試してみるとしよう」


 そう言って師匠が「シルラ=ファリミステール」と優しい声で呪文を唱えた瞬間だった。


 爆発が起きたと思った。凄まじい勢いで魔法陣から吹雪のようなものが飛び出し、部屋を真っ白な霜で覆いながら向こうの部屋まで突き進んでいった。


「……えっ?」

 師匠が子供みたいな顔で目をまん丸くして、その場に棒立ちになった。


「なんだこれ……」

「し、師匠──」


 エテンがわなわなしながら師匠の袖を掴むと、師匠がガバッと振り返ってエテンの肩を掴んだ。


「凄い! 凄いぞエテン! この小さな陣、この少ない魔力で、この威力! 君は今、世紀の大発明をしたんだ! 君は天才だよ、エテン!」

「え、あの」

「どうしてこんなひらめきを得たんだろう? 叡智の神は本当に君へ素晴らしい贈り物をしたんだ。ああ、魔術が使えないのが何だっていうんだ? この発想を得るためなら魔術師達は喜んで才能も魔力も捨てるだろう」

「あの、師匠!」


 大きな声を出すと、師匠はようやくはしゃぐのをやめてエテンを振り返った。


「どうした、エテン! 嬉しくないのかい?」

「あの、褒めていただけるのは嬉しいんですけど──この部屋、どうしましょう」

「あ」


 棚も天井も真っ白になって居間の向こう端まで何もかも凍りついた部屋を見て師匠が固まった。


「……弁償すると言っても、流石に怒られるだろうね」

「師匠も一緒に謝りに行ってくれますか?」


 不安で泣きそうなエテンが袖を引っ張ると、師匠は「もちろん。私がやったことだから」と苦笑いで頷いた。





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