六 異端審問官 後編
「──そもそも、マレンは何も見ていなかったんですか? 攫われた張本人だし、会話も普通にできたけれど」
ロゥラエンが口を挟むと、師匠が「いい着眼点だ」と頷いて、審問官達が揃って「否」と言った。イアラが代表で口を開く。
「子供達は三人とも、何も覚えていなかったのです。誘拐時の記憶が丸々欠けている。しかし三人とも共通して、魔法陣に非常に強い拒絶反応を示しました。皆魔術の名家に生まれ、魔術に親しんで育ってきた子供ばかりだというのに。ですから我々は魔術、ひいては神に与えられし祝福をもって幼子らへ何らかの危害を加えたものであるとして、異端調査を進めているのです」
祝福とは、魔力と同じもののことだ。神殿ではそういう言い方をするらしい。
「魔法陣恐怖症ねえ……その記憶喪失というのは、恐怖によるもの? それとも人為的なもの?」
師匠がゆったり質問を重ねる。
「三人ともが全く同じように恐怖で記憶を喪失するとは考えにくいため、何らかの術によって記憶を抹消されているかと思われます。しかし、子供達に術の痕跡は見つからない」
「つまり相当な気の術の使い手ということかな。僕が光持ちなのは君達も知っているかと思っていたけれど。塔から公式に発表されているし」
師匠の言葉に、審問官達が「今そこに思い至った」という表情で顔を見合わせた。事情がわからないロゥラエンが体を捻って師匠を振り返ると、彼はにこっとして解説してくれる。
「記憶を操る術はエルフト神の領域のものでね、高度な術は風持ち、つまり気の魔力を持った人間でなければ使えないとされているんだ。私の魔力は白っぽい光だったろう? 風持ちの魔力は影の色をしているからね」
「じゃあ、師匠が誘拐犯じゃない証拠があるってことだよね!」
嬉しくなったロゥラエンが丁寧な言葉遣いをすっかり忘れて声を弾ませると、師匠は弟子の無作法を特に気にすることもなく頷いた。
「まあ、アリバイはないけれどね」
「アリバイ?」
「犯行時間には別の場所にいたっていう証拠。読んだことないかい? 推理小説」
「ううん、ない」
「じゃあ、宿の図書室で借りてみるといい。今夜にでも手続きをしてあげよう」
「うん! あ、違う、はい!」
「いい子だ。落ち着いてきたね」
師匠が膝の上から少年を抱き下ろし、ロゥラエンはそのまま椅子には戻らず立ったまま、もう帰っていいのかなという期待を込めて審問官達を見つめた。彼らはしばらく顔を見合わせて声を出さずに唇の動きだけで何か話していたが、結論が出たらしく皆で頷き合って一斉にこちらを見た。全員ちょっと目が据わっていて怖い。
「エルレン殿に関しては、ひとまず拘束は不要と判断いたしました。しかし念のため、ロゥラエン殿は事態が収束するまでこちらで保護いたします」
「だめだ」
ロゥラエンが何か言う前に、師匠が笑顔を消して低い声で言った。
「悪いけれど、私は自分の弟子を預けられるほど君達を信用していない。最近の神殿はどうも、信仰心に囚われすぎているように思うよ」
「神から力を授かっておきながら祈ることを忘れた魔術師に比べれば、善良性は失われていないと考える」
「君達が私の善良性の何を知るというんだ」
「それが未知数だからこそ、幼子を預けてはおけぬと」
「──ちょっと!」
突然険悪な雰囲気になり始めた大人達が怖くなって、ロゥラエンは大きな声で言い合いを遮った。皆が一斉に少年へ注目し、人の視線を集めたことでロゥラエンの中の吟遊詩人がいつも通り、まあまあ仲良くしようと愛想良く仲裁を始めようとした。しかし──
「『保護』と言いましたね。やっぱり、師匠を疑ってるんだ。師匠を誘拐犯扱いするような人達に、僕は絶対ついて行きません」
ロゥラエンは彼にしてはとても思い切ってそう断言し、おかしな目をした異端審問官達を睨みつけた。相手を、それもこんな強そうな大人達を直接否定するような言葉を口にしてしまった恐怖に、足が竦む。けれど、負けたくない。
「いつだって大人達はみんな何も知らずに、自分の立場だけからものを見て、好き勝手言うんだ。師匠は月の塔?の偉い人だけど、でも全然偉そうにしなくて、にこにこしていて、きちんと僕の音楽を聴いてくれて、素敵な術を使えて、僕みたいな子供を弟子に取るって言ってくれる人です」
「そんな、照れるなあ」
師匠が、さっきまで怒った声を出していたのが嘘のようにのんびり言った。この人はちょっと呑気すぎやしないかと思ったが、それを注意するのは後回しにする。
「優しいのは、あなたが何も知らぬ異国の子供だからでは? 自分が一から教育しようとしているとも考えられます」
イアラが言った。
小さな子供に言うことを聞かせようとする時の口調で。
「魔術師というのは複雑な立場にありますから。高位であるからこそ、時に目を逸らされ、憎しみの対象となる。根が善良であったとして、恨みを募らせることもあるでしょう。ですから彼の疑いが晴れるまでの間、一時的に」
「絶対に嫌だ!」
ダンと片足で床を蹴って怒鳴り散らした。ごうっと急激に、お腹の奥の方で大きな炎が燃え上がるのを感じる。銀貨を恵まれた時に感じるのに似た、どす黒い熱さだ。
最近の彼は、こうして時々感情の制御ができなくなるようなことが増えていた。ものすごく態度が悪いのは自分でもわかっていたが、しかし今は深呼吸で気持ちを整えるより、言いたいことを言うべき時だと思った。大事な人を守るときだけはどれだけ怒ってもいいのだと、いつだったか父さんが言っていたからだ。
「どうせ保護するとか言って、僕を神殿孤児院へ入れるつもりなんでしょう! 孤児院の人間は僕を『吟遊詩人の息子』じゃなく、一人の音楽家として扱ってくれるんですか? 師匠だけだ。この街で師匠だけが僕を憐れまなかった。師匠だけが子供の僕を弱くて無知なものとして見ない、公平で真っ当な大人だった。そんな人が、子供を誘拐したりするはずない。子供の力の弱さにつけ込んで酷いことをしたりするはずない。僕から師匠を取り上げたら、この一ヶ月の、底なしの暗闇に光をくれた師匠を奪ったら、絶対に許さない!」
悲鳴のように叫んでもう一度床を蹴ると、師匠が後ろから「その動きはかなり子供っぽいよ、ロゥラエン」と言った。バッと振り返った少年が自分の行動を思い返してじわじわと恥ずかしくなり始めたところで、師匠は彼の肩を抱いて言う。
「可愛いだろう? 私の弟子」
「……は?」
あまりにもとんちんかんな言葉に、ロゥラエンはぽかんと口を開けた。問われたイアラが迷うようにロゥラエンをちらりと見てから、こくんとひとつ頷く。
「……怒った野良猫みたいですね」
「そう。まだ拾ったばかりだから」
「猫も子供も、本能で自分に優しい人間を見分けられますから……この子が貴方をそれだけ信頼しているなら、こちらとしても証拠もなしに引き離す権利はありません」
「わかってくれて良かった。それにしても懐いたなあ、まだなんにも教えていないのに」
大人達がそんな会話をしている間、自分の渾身の言葉を野良猫の威嚇扱いされた少年は、屈辱感に涙を浮かべて震えていた。やっぱり師匠も、僕の気持ちなんてなんにもわかってない。せっかく庇ってあげたのに。師匠なんて、師匠なんて──
「では帰ろうか、弟子よ」
「……はい」
しかしこの人に「弟子」と呼ばれると、やはり金貨の袋を下げた胸のあたりがふわっとあたたかくなってしまう。そんな自分がちょっと格好悪くて嫌だなあと思って、ロゥラエンは上がりかけた口角を意志の力で引き下ろした。それをじっと見ていたイアラが、なぜか手を伸ばしてふわふわと彼の頭を触ってくる。
「何ですか?」
「……いえ」
イアラがさっと手を引っ込めて首を振った。変なのと思ったが、今は一刻も早くここを出たくて師匠の袖を引いた。
確かに誘拐事件は恐ろしいが、子供達は帰ってきているし、ひとまず師匠の疑いも晴れたのだから、ロゥラエンにとってはほとんど解決したようなものだ。早く宿に帰って、この街で興行と魔術の勉強をして──師匠についてヴェルトルートへ旅立つ頃には犯人も捕まっているだろう。そんな風に楽観視していたのだった。
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