五 異端審問官 前編



 四角い石材を組んで作ったらしい通路の壁に、ところどころ、青白く光る透き通った石が嵌め込まれた不思議なランプがぶら下げてある。壁石は黒っぽくて、明かりをあまり反射しない。足元は見えるが、かなり暗い場所だ。


 そんな細い通路の奥に、扉の無い小さな部屋が見えた。入り口付近にいるマント姿の三人の大人がフードの陰からじっとこちらを見ていて、その目つきがなんだかとても暗くて、虚ろで──何か深く考え込んでいるような険しい顔なのに何も考えていない風にも見えるような、そういう不気味な顔つきをしていたのだ。ロゥラエンはそれが怖くて思わず立ち止まってしまったが、師匠達がどんどん先へ進んで行くので、嫌だったが仕方なく後を追った。


「お連れしました」


 イアラが声をかけると、三人の異端審問官達は無言で頷いて、部屋の中央に二つ並べて置いてある椅子の方を手で指し示した。師匠が「どうも」と言って、ロゥラエンを促して先に座らせると自分もその隣に腰掛ける。すると三人の審問官が──左から服の色は濃灰、深紅、深紅だ──その周りを立ったままぐるりと取り囲んだ。


「うーん……それ、もう少しなんとかならないかい? 威圧感がすごいよ。顔も怖いし」

 師匠がものすごく軽い調子で言った。


「師匠! ちょっと」

 ロゥラエンが肘のあたりを掴んで揺すると、師匠は「なんだい?」と全くひそめていない声で返事をした。


「失礼ですよ!」

「こんな風に取り囲む方が無礼だろう」

「相手がそうだからって、自分も同じでいいっていう風にはならないんですよ!」


 ロゥラエンが言うと、師匠は「なるほど、確かに」と楽しそうにニヤリとして、神官達へ「失礼した、神官様方」と素直に謝罪した。三人の男達はそれを聞いてなぜか少し嫌そうな顔になったが、師匠は気にせずに少年の方へ目を戻す。


「でもロゥラエンは、もう少し力を抜いた方がいいと思うけれどね」

「師匠は抜きすぎなんです! せめてもう少し丁寧な言葉で話してください、友達じゃないんですから」


 言い合っている師弟を怖くなるような虚ろな目で観察していた異端審問官達が、少し毒気を抜かれたような顔になって顔を見合わせた。とその時、どこかへ言っていたイアラが右手に盆、左腕に小さな机を抱えて戻ってきて、目の前でお茶の準備をし始める。


「……イアラ」


 暗い赤色のフードを被った男性審問官が咎めるような声で言った。赤い服の二人は片手に槍を握っていて、鋭い色に光るその穂先ばかりどうしても見てしまう。弟子の視線の先を確かめた師匠が「赤に槍は火の神殿の人だよ」と注釈を入れた。


「下がれ、イアラ」

「ロゥラエン殿は未成年です。お茶くらいは良いでしょう」


 少し怒ったように繰り返した火の審問官に、イアラが静かに言い返す。すると審問官は少しの間黙り込んでから、手にした槍を背に回したベルトへ挟み込み、少し壁際の方へ移動した。もう一人の火の審問官も同じようにした後、フードを脱いでマントの片側をバサッと肩に掛けた。そうするとかなり不気味さが和らぐ。


 けれどそれで彼らの態度が軟化したかと言われればそうでもなく、顔が怖いのはそのままだ。戦いと守護の神フランヴェールに仕える火の神官達は火事の現場から人を救い出したりしている印象が強かったが、同じ火でも異端審問官となると、悪人と見れば簡単に人を殺しそうな目をしているものらしい。


「ありがとう」


 しかし師匠はやはりそんな場の緊張感を気に病む様子もなく、イアラに優しく礼を言って紅茶を口にした。おまけに角砂糖は三つも入れている。疑われているらしいと知っても落ち着いている師匠を見て先程は安心してしまったが、この人はもしかして不安とか萎縮とか心のそういう部分を司る何かが壊れているんじゃないかと、ロゥラエンは少しずつ思い始めていた。


「──して、吟遊詩人ロゥラエンよ」

「えっ、僕ですか?」


 お茶の味を褒める師匠をそこはかとなく睨んでいた灰色の方の男性審問官が口を開くなり自分の名を口にしたので、ロゥラエンは驚いて高い声で聞き返した。


「是。魔術師イレ=エルレンについて聞かせよ。汝の身の安全は我らが保証する」


「身の安全? ぜって何ですか?」

 首を傾げると、師匠が横から補足する。

「私が不利になるようなことを言っても君が私に何かされないように、神殿が守ってくれるということ。是は『そうだ』って意味」


「ああ……はい」

 それを聞いてロゥラエンはかなり気分が悪くなったが、とりあえず頷いて先を促した。


「汝は自ら彼の者へ弟子入りを志願したとのことだが、その際思考を制御されるような、或いは夢に囚われるような意識の混濁はなかったか」


「え?」

「私に術で操られて弟子入りをしてしまったような感じはなかったか」と師匠。


「はあ? そんなのありませんでした」

「なれば、エルレンの周辺に子供の気配は? どこかに複数の人間を監禁している様子は」


「あるわけないじゃないですか! まさかと思ったけど、本当に師匠を疑ってるんですか?」

 ロゥラエンが大声を出してガタンと立ち上がると、師匠が「まあまあ」と言って彼の背中を叩いた。


「まあまあじゃありません! 誘拐犯じゃないかって言われてるんですよ」

「まあ、疑うのが彼らの仕事だしね」

「犯人は師匠じゃありません!」


「何か恐ろしい、もしくは君以外の人間は恐怖を感じると思われるような魔術を彼に施されたことは」


 怒っているロゥラエンの顔などまるで見ていないかのように淡々と問う審問官に怒鳴り返す。

「ありません!」

「こらロゥラエン、彼は質問しているだけだ。その言い方は少し乱暴すぎる。人に怒りをぶつけてはいけないよ」


 しかしそこで師匠が憤慨している少年の手を少し強引に引いて、自分の膝の上に座らせた。腹に手を回されてしまったロゥラエンは一瞬じたばたしてから、言われたことを反芻して口をつぐむ。


「……ごめんなさい」

「うん、偉い子だ」


 謝罪された審問官は戸惑った様子で「……否、私は特に」と言い、後ろで束ねられた長い髪の耳のあたりを少し指先でいじって整えた。目の泳いでいるその顔を見て、この人も別に根っこから意地悪なわけではないのかもしれないと思う。


 すると、イアラが見かねたように口を挟んだ。


「お二人がハセル家の令嬢を発見した後に、二人の行方不明者が発見されています。いずれもこの二週間で姿を消した十歳未満の子供達です。エルレン殿が学会のためにリオーテへ入国したのが二週間前、そしてロゥラエン殿を弟子に取ったのが昨夜、子供達が解放され始めたのも昨夜」


 師匠のカップへ紅茶のお代わりを注ぎながらそう言った彼女は、冷めてしまったロゥラエンのカップを見て「温かいものと取り替えますか」と尋ねた。軽く首を振って断る。


 今はとてもお茶を飲むような気になれないと少年は改めてそう考えたが、しかし彼は違うらしい。師匠はまたもやカップへ角砂糖を大量に入れながら、なんとイアラの言葉に頷いてみせた。


「ふむ、それは確かに怪しいね」

「師匠!」

「落ち着きなさい、ロゥラエン」


 膝に乗せられたまま「ほら、甘いものを飲んで」と砂糖水のような紅茶のカップを握らされ、ロゥラエンは再びむっつりと口を閉ざした。けれどこうしてあからさまに子供扱いされているのに、不思議と憤りは感じない。ただ恥ずかしいからやめてほしいだけだ。


「師匠、下ろしてください」


 かなり本気で頼んだが、師匠は「後でね」となおざりに返事をして審問官達の方を見上げた。


「けれどこの二週間、それこそ世界中から魔術師が集まってきているはずだ。学会の間に子供達を拐って、学会が終わったから子供達を解放して帰国なりなんなりする──ずるずるとこの国に残って観光しようとしている私よりも怪しいかもしれないよ。私が犯人なら、残るにしても呑気に同じ場所に居続けるのじゃなく、宿くらいは最低限変えるだろうね。ロゥラエンを昨日弟子に取ったのは、仕事から解放されてすぐ立ち寄った広場でこの子の音楽を聞いたからだ。魔術師皆にとって、昨日はキリのいい日だったろう」


 その師匠の反論は素晴らしく賢くて隙のないものにロゥラエンには思えたが、しかし審問官は首を振った。


「無論、貴殿だけを疑っているのではない。しかし何かしらの条件に当て嵌まる人材、つまりロゥラエン少年を手に入れたが故に、集めていた『不要な子供達』を解放したという可能性を無視するわけにはゆかぬ」

「なるほどねえ」


 なるほど、じゃないだろう。もっと抵抗してくださいよ、師匠!





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