三 弟子入り
「……私の弟子に?」
魔術師が目をぱちくりさせた。うんとはっきり頷くと、アルゾが必死な感じで肩を叩いてくる。
「ロゥラエン、それは無理だ。月の塔の魔術師の弟子なんて、代々王家に仕えてるようなよっぽどの名門の生まれでないと」
「いや、生まれは関係ないけれど」
魔術師が軽く首を振って言った。
「ふむ……君の吟遊詩人としての素質は好ましいが、それが私の魔術の弟子としてもそうかと言われれば、それはわからない。賢そうな目をしているとは思うけれどね」
「頭がよかったら魔術の弟子になれるんですか?」
ロゥラエンが尋ねると、魔術師は「それは師になる人の好みによるな」と言った。
「魔法使いや魔術師に上流階級の人間が多いのは、彼らが良い教育を受けて育っているからだ。そして上流階級出身の師は、才能豊かだが粗野な人間より、少し能力に劣っても物言いや仕草が上品な人間を弟子に取りたがる。まあつまり、誰を弟子に取るかは師匠の好み次第ってわけだね」
「じゃあ……」
僕はあなたの好みに当てはまっている? と尋ねようとして、言葉は途中で尻すぼみになりつつ消えた。理由はよくわからないけれど、それを言ってしまったら負けな気がする。
口をつぐんだロゥラエンに、魔術師が視線を向けた。ちょっと偉そうに片足に体重をかけて、試すような目をしている。
「何だい、言ってごらん」
「……じゃあ、きっとあなたは僕のことを気に入るでしょうね。詩も歌も、人の心を踊らせる魔法みたいなものですから」
ロゥラエンは口上を始める時のようにピシッと背筋を伸ばして、特別綺麗な笑顔を作って言った。そうやっているとまるで王子様のように見えると、母さんに褒められたことがあるのだ。上品って、たぶんそういうことだろう。
胸を張って立つロゥラエンを魔術師が軽く目を見開いて見つめ、そしてその目がふっと楽しそうに細まった。
「確かに、そうかもしれないね」
どことなく笑うのを我慢しているような声で彼は言った。今のは格好悪かったんだろうかと少年は若干恥ずかしくなったが、しかし魔術師の言葉がそれ以上のわくわくを彼に運んできたので、その羞恥心はすぐにどこかへ行ってしまった。
「それって」
「きちんと自分を誇れる人間は好きだよ。馬車の戸締りをしてついておいで。ルェイダを忘れずにね」
「うん!」
はしゃいだ声を上げてしまってから、ロゥラエンはすぐに小さな声で「はい」と言い直した。魔術師がくっくっと声を出さずに肩を震わせて、騎士達が口を半開きにしてあわあわする。
「ロゥラエン、お前……もうちょっと口の利き方に気をつけろ」
アルゾの忠告に、魔術師が胸の前で手を振って「いや……ふふ、構わないよ」と言った。ロゥラエンが楽器を背負い、馬車を降りて扉に鍵をかけると、彼は少し身を屈めながらにっこりして「行こうか、誇り高き吟遊詩人くん」と言う。
「はい、あの……でも、馬車はあと四日で移動させないといけなくて」
「明日にでも人をやって、宿で管理させる。とりあえず、君はもう寝る時間だろう」
「はい」
大人しく頷いて、騎士達に頭を下げると魔術師の後ろをついて歩き始めた。後ろからアルゾが「良かったな!」と声をかけ、笑顔でそれに手を振り返す。
「誘拐が多発しているんだろう。後ろじゃなく隣を歩きなさい、危ないから」
「はい」
隣に並ぼうと少し小走りになると、凍ったところを踏んでしまってつるりと足を滑らせた。しかし「おっと」と手を伸ばした魔術師に空中で捕まえられ、無事ふかふかの部分に戻る。
「ありがとうございます」
「手を繋ぐかい?」
「ううん、ひとりで歩けます」
断ってしまってから、やっぱり魔術師の手が普通の人と同じなのか触って確かめてみたかったかもしれないと、ロゥラエンは少しだけ後悔した。けれどもう一度お願いする勇気もなかったので、黙って隣を歩く。
そっと見上げた魔術師は明るい灰色のマントを羽織っていて、青と灰色の真ん中くらいの色をした瞳に白い肌、くすんだ感じの明るい金の髪をしていた。全体的に強い感じの色彩をしたロゥラエンと違って、なんだか薄っすら霧がかっているような不思議な存在に見える。こうして夜の雪道を歩いていると、うっかり風景に紛れて見失ってしまいそうだ。
年齢は……たぶん三十代くらいだと思うけれど、よくわからない。にっこりしているともっと若いお兄さんかもしれないと思うし、今みたいに無表情だと実は四百歳だとか言われても信じてしまう気がする。
そうして歩きながら観察していると、魔術師が視線だけで少年を見下ろして「足元を見ていないとまた転ぶよ」と言った。
「あの……エルレンさん?」
「イレでいいよ。それかアルラダか……それとも師匠って呼ぶかい?」
「師匠?」
それがいい! とわくわくしたロゥラエンがぴょんと飛び跳ね、師匠が「転ぶよ」と言った。師匠、師匠と口の中で何度か呟いてから、もう一度見上げる。
「師匠って、何歳なんですか?」
「三十二」
父さんの三つ下だ、とロゥラエンは思った。「四百歳じゃなかった」と呟くと、師匠は笑って「そんなに長生きする人間はなかなかいないだろうね」と言う。
「魔法使いって、千年とか生きるんじゃないんですか?」
「普通は生きないね……そういうのは、妖精とか竜の血が混ざってる人じゃないかな。流石に千年は無理かもしれないけれど、数百年なら生きることもある」
「妖精混じりって本当にいるんだ」
「いる、いる。君が私の弟子を続けるつもりなら、純血のエルフにも会わせてあげよう」
「エルフ!」
ロゥラエンは歌の中にしか知らない美しい妖精の存在に歓声を上げたが、すぐに「弟子を続けるつもりなら」という言葉を思い返して肩を落とした。彼はとりあえず少しの間……どんなに長くても十五歳の成人くらいまでで、また吟遊詩人として旅に出るつもりだったのだ。
「続けるって……どのくらいですか」
「とりあえず、二週間かな。そのくらいで塔から迎えが来るから、君が一緒に月の塔まで来る気があるなら、会わせてあげられる。塔の上層にね、家族で住んでいるんだ」
「行きます!」
思ったよりずっと短い期間だったことに安心して、ロゥラエンは弾んだ声で言った。けれど師匠がふふっと笑って視線を前に戻すのを見ていると、別の不安が頭をもたげてくる。
「でも……二週間の間にもし、僕に魔力が無いってわかったら? 全然才能がなかったら、僕は置いて行かれますか?」
立ち止まって問う。すると師匠も足を止めて体ごとロゥラエンの方に振り返り、優しく言った。
「置いて行ったりしないよ。好きなだけ私の元で学んでゆくといい」
「才能がなくても?」
「別に才能のあるなしなんて関係ないよ。魔術が全然使えなくったって問題ない。私は君が面白そうな性格をしているから拾っただけだしね」
「え?」
エテンが眉を寄せると、師匠は穏やかに目を細めて続けた。
「自分の跡を継がせようと必死になる魔術師もいるけれどね、私は弟子の出来の良し悪しにこだわりは全くないよ。私は私の研究ができればそれでいいし、君は感受性豊かで教えるのも楽しそうだ。それに、側に置いておくといい歌を聞かせてくれそうだからね」
「えっ……」
にこにこと、まるで自分がとても素晴らしいことを言っているように微笑む男を見上げて、ロゥラエンは返す言葉を見失った。
もしかしてこの人、あんまりいい人じゃないのかもしれない……。
不安が胸をよぎった。少し目尻の吊り上がった瞳が絶句する少年を見下ろして、青白い真夜中の雪明かりと同じ色に光る。
「そう、なんですか」
「うん、安心していていい。ああ、君の馬車も持ち帰って塔に置いておけばいいからね。馬と御者は私が手配しよう」
「ありがとうございます」
けれどロゥラエンは、そこで弟子入りをやめるとは言い出さなかった。それほど彼にとって魔術というものは魅力的だったのだ。あんな奇跡を目の前で見せられて、それを知る機会を目の前にぶら下げられて、拒絶することはできなかった。ロゥラエンの夢は父親のような立派な吟遊詩人になることであって、魔術師を目指す理由なんかひとつも持っていなかったのに。彼はあの美しい紋様と宙に浮かぶ光について、知りたくて知りたくて堪らなかったのだ。
「あの……師匠」
「何だい?」
少しは僕に期待していますか、と尋ねてみたかったがやめておいた。彼に弟子として認められたいなら、たくさん勉強して実力で認めさせればいいのだ。そういう生活望んだから、僕は孤児院を拒んだんじゃないか。
「さっき途中になってしまったんですけど、魔法使いと魔術師の違いって何ですか?」
「妖精みたいに本能で想像を現実にできるのが魔法使い。魔法陣を描いて呪文を唱えないと魔法が使えないのが魔術師」
「魔法陣って……さっきの図形」
「そう」
「どうして図形を描いたら魔法が使えるんですか」
「力はあるのに想像力が足りなくてそれを形にできない人のために、叡智の神様が手段を与えてくれたんだって神話では語られてる。科学的にはまだ解明されていない」
「えいちの神って……エルフトさま?」
「そう、よく知っているね」
「神話の歌はたくさんあるから。でも、魔法陣のことは知りませんでした」
いかにも優しい言葉をたくさん並べそうな雰囲気の人なのに、師匠はエテンの問いにバシッと、すごく端的に答えをくれた。答えが短い分知らない単語や言い回しも時々出てくるが、古典的な歌詞もたくさん歌ってきたロゥラエンにとってはそこまで難解というほどでもなかった。
「魔法陣を描いて呪文を唱えたら、誰でも魔術が使えるの?」
「いいや、術の発現には多くの魔力が必要だ。身の内に大きな力を持っているか、それを外から補充する当てがあるか……それに手先の器用さも必要だ。魔法陣が正確に描けないと何も起こらないか、下手をすると望まない形で暴発したりすることもある」
「……魔力があって、絵が上手だったら魔術師になれるってこと?」
「そんな感じだ」
褒めるように頭をくしゃっと撫でられ、ロゥラエンはうっかり心がぎゅっとなって慌てて唇を噛んだ。泣いたらだめだ、物分かりのいい弟子でいるんだ──優しそうに見えても、この人は僕のことを気まぐれに面白がっているだけなんだから。
「僕にも……魔力があるかなあ」
気を紛らわすために呟いた声が震えてしまって、ロゥラエンはそれを誤魔化すために何度か咳払いした。そうっと前髪の隙間から隣を見上げて、彼が痛ましそうな顔になっていないかどうか確かめる。
師匠はちっとも気づいていないようだった。それどころか、睨むように眉を寄せて曲がり角の向こうの方をじっと見つめていた。
「……あれは」
緊張した声で師匠が囁いた。彼の視線を追ってロゥラエンも暗がりの奥に目を向け、そしてアッと声を上げようとしたところで大きな手のひらに口を塞がれた。
「静かに。様子がおかしい」
師匠が言うのに、こくんと頷いた。目を丸くして少し震える少年の背を、安心させるように魔術師がトントンと叩く。
ゆらり、ふらり、ゆらり。
まるで眠りに落ちかけているように頭を揺らしながら、八歳のロゥラエンと同じくらいの背丈をした子供が、大通りの真ん中を虚ろな目でゆっくりと歩いていた。
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