「ねこ、飼うてもええ?」

 ボール箱をだいじそうに抱え、家に帰ってきたおねえちゃんが、おかあさんに聞いた。

 わたしは、ボール箱のすきまから中をのぞいた。

「ひやー、なんか光ってる」

「あたりまえや、ねこの目は、暗い所では光るんや」

 おねえちゃんは、うるさいなぁというようにわたしをにらんだ。

 中には、光る二つの目があった。黒いねこなのか、まるで目だけが箱の中に入っているみたいだった。

「見せて見せて、どんなねこか見せて。ふたあけてもええ?」

「あかん。にげてしまうから、家の中に入ってからや。なぁ、おかあちゃん、飼うてもええやろ」

 おかあさんの顔は眉の間にしわがより、嫌そうだった。

「ねこなんか、どうしたん?」

「公園に捨てられてたんや」

「捨てねこか? あかん、あかん。ねこなんかあかん。おかあちゃんはよう世話せんえ」

「ええやん、わたしが世話するし、飼うてもええやろ。ものすごくかわいいねこやし」

 おねえちゃんが足を踏みならした。

「わたしも、世話する」

 わたしは、ねこが見たくて、おねえちゃんを応援することにした。このままだと一度もねこを見られないかもしれない。わたしは、ねこのほわほわした毛にさわりたかった。きっと、あったかくて気持ちがいいにきまってる。

「ねこ、飼いたい」

 わたしは、おかあさんの前掛けをひっぱった。

「そんなこというても、智子が学校に行ってしもて、千代が幼稚園にいったら、おかあちゃんが世話せんなんやんか」

「学校に行く前に、えさもやっていくし、お便所の砂も掃除していく。そやし、飼うて、飼うて。なあ、ええやろ」

「むずかしいなぁ」

 いつのまにか、おばあちゃんが縁側に立って、私たちを見下ろしていた。

「ほら、おばあちゃんかて、むずかしいって言うたはる」

 おかあさんが言った。

「なんで?」

 おねえちゃんはおばあちゃんを見上げた。

「この家では、ねこは育たへんねん」

「なんで? わたしが育てる言うてるやん。わたしがちゃんと育てる」

「育つかなぁ」

「おばあちゃんのいけず。絶対わたしが育てる。あかん言うたら……、捨てるんやったら……、わたしもいっしょに出ていく」

 おねえちゃんは、ぎゅっとボール箱をだきしめた。

「わたしも、おねえちゃんといっしょに出ていく」

 わたしはそう言うと、もうおかあさんにもおばあちゃんにも会えないかもしれないと思った。すると、なんだかとてもかなしくなって、涙がかってに目の中にたまりだした。いっぱいになって、すーっと線になった。

「おばあちゃん、そんなこと言うたら、逆効果やわ。もう、しゃぁないなぁ。ほんなら、おとうちゃんが帰ってきやはったら、きいてみたらええわ。おとうちゃんが、ええて言わはったら飼うてもええわ。そやけど、世話はあんたらがするんやで。約束やで」

「ほんま? おとうちゃんは、ぜったいええて言うてくれはるわ。おばあちゃんもおとうさんがええて言うてくれはったら、ええんやな?」

「はあ、わたしはええけど、ねこは育たへんと思うけどなぁ」

 おばあちゃんは、まだぶつぶついいながら奥の部屋に引っ込んでしまった。

「千代、おいで」

 おねえちゃんは、二階の部屋へわたしをさそった。

 おねえちゃんは部屋の戸をみんな閉めて、段ボール箱のふたを開けた。

 中には、真っ黒な子ねこが入っていた。

「かわいらしいな」

 ねこはじっとわたしを見上げていた。

「ちょっと大きなってるけど、まだ子ねこやって、いっしょにいたおばさんが言うたはった」

「小さないけど、かわいいわ」

 わたしは手をのばしてねこの頭をなぜた。

「そやろ。目がまん丸でかわいいやろ?」

 急に、ねこがわたしの手をさけて箱から飛び出した。

「ひゃー」

 わたしたちは、びっくりしてしりもちをついてしまった。

 

 夜、おとうさんが仕事から帰ってきた。

 おねえちゃんがねこのことをはなすと、すぐに「飼うてもええのんちがうか」とゆるしてくれた。

 おかあさんは、もう一度「あんたらが世話するんやで」と言っていた。

 おばあちゃんは、また「育たへんと思うけどなぁ」とつぶやいた。

 その夜、ねこの名前は、むらさきにするとおねえちゃんがいった。わたしは、もっとかわいい名前がいいと言いはったが、おねえちゃんは、一歩もゆずらなかった。しまいには「むらさきはわたしが拾ってきたねこやし、千代には、名前を付ける権利がない」と言った。

 わたしは、権利って何かわからなかったけど、おねえちゃんの言うことに従うしかなかった。

 おねえちゃんは、新しいボール箱に古いタオルをひいて、むらさきのベッドを作った。

「これで、ええわ」

 おねえちゃんとわたしは、顔を見合わせてうんとうなずき合った。

 むらさきは、とてもおりこうだった。砂を入れた箱にむらさきをいれて「ここがあんたのお便所やしな」と言うと、それからすぐにそこでおしっこをしていた。

 おねえちゃんは寝る時も、枕元にねこのベッドを置いた。わたしも、ちらちらむらさきのベッドを見ながら眠ってしまった。


 夜中、わたしは、何かがおなかの上に落ちて来た夢を見て目を覚ました。

「にゃー」

 部屋の隅を見るとむらさきがいた。私を見ている。「にゃー」もう一度なくと同時に、すばやくこちらにむかって走り出した。それも、おとうさんの布団の上を走り、おかあさんのおなかの上にジャンプし、おねえちゃんの布団をバリバリかきだした。

「なんや?」

 おとうさんが叫んだ。

「何か、おなかの上に落ちてきたわ」

 おかあさんが起きあがった。

「重たい」

 おねえちゃんが、目をこすっている。

 みんな目を覚ました。

「ねこか? こんな夜中にばたばたされたらたまらんな。ああ、明日の仕事にひびくやないか」

「そやさかい、ねこは飼うたらあかん言うたやろう」

「むっちゃん、夜やし寝なあかんやんか」

 それでも、むらさきはたたみにつめをたてながら、走り回っていた。

「こら、そんなにさわがしいんやったら、ねこ汁にして食っちゃうぞ」

 おとうさんがむらさきをみらみつけた。

「明日もこんなんだっら、もう捨てちゃうから。ほんと、ねこは自分勝手だわ。だからねこは大嫌い。智子、なんとかしてぇ」

 おかあさんは、布団をかぶってしまった。

「ああ、お願いやし静かにしてぇなぁ……」

 おねえちゃんは、そう言いながらも眠ってしまった。

「おいで」

 へやのすみで小さくなっていたむらさきに、わたしは、昼間つくったねこじゃらしを見せた。

 むらさきは、うれしそうにねこじゃらしにじゃれて遊んだ。

 次の日からむらさきは、夜だけ檻にいれられることになった。おねえちゃんは、かわいそうだと反対したが、やはり夜寝られないよりはいいと、しぶしぶ「うん」といった。


 それから三日間はまた夜が静かになった。


 四日目の夜。

 わたしは、頭をトントンと軽くたたかれたような気がして、目を覚ました。

 頭の上を見ると、むらさきがちょこんと座りじっと私を見ていた。

「こんな所に出て来たらあかんやん。また、おとうちゃんに怒られるえ」

「はい」

 むらさきが答えた。

「あ、しゃべれるんや」

「はい」

「なぁんや、そやったらちゃんと言うてきかせられるやん。夜は静かにせなあかんねん。わかるやろ?」

「はい」

「きょうは、もう、檻に帰り」

「それが……」

 むらさきは、言いにくそうに頭をさげた。

「何?」

「わたしは、この家が恐くてたまりません。だから、この家をおいとまさせていただきたいと思いまして、こうしてご挨拶にまいりました」

「おいとま、ってなに?」

「はい、おいとまとは、出ていくことでございます」

「この家が恐い、なんで? わたしはちょっとも恐いことなんかあらへんけど」

「はい、この家には、大きな恐い影が住んでおります。それが、夜な夜なわたしを脅しつづけるのでございます」

「影? 何の影?」

「わたしにも、何の影かは分かりかねます。でも、恐ろしいのでざいます。夜中になりますと、影がどんどん、どんどん大きくなります。その影を、退治していただけるのでしたら、わたしもこの家で飼っていただけるとは思いますが、それがならぬのなら、わたしはここをおいとましなければなりません」

「何の影やろう?」

 わたしは、考え込んだ。

「ほら、出ましたでございます」

 むらさきは、前足で壁を指したままぶるぶるふるえていた。

 おとうさんのいびきがきこえた。

 その音が大きくなると同じように壁にうつしだされた影が大きくなっていく。

 おかあさんの寝息が聞こえた。

 また、一つ影があらわれた。

 二つの影は、壁いっぱいになり大きなねこの形になって、のそのそ歩き出した。

「う、うーん」

 おねえちゃんの声がした。

「ひ、ひぇー」

 むらさきが、天井を見て両手で頭をおおった。

 天井を見ると、大きな角とするどい爪を持った長い生き物の影が、ゆっくりからだをくねらせていた。

 影はどんどん大きくなり、部屋の外へどびだした。

 窓から空を見上げると、三つの影がゆうゆうと泳いでいた。

「い、いかがでございますか? これらの影は、わたしが寝ておりましても、わたしを起こします。これほど恐い物がおりますところに、わたしは住むことはできません」

 むらさきは、もうしわけなさそうに頭を下げて、こそこそと部屋を出ていった。

 わたしは、しばらくその三っつの影を見ていたが、なぜかむらさきのいう、恐いという感じはしなかった。ゆったり動くその影たちが、わたしやむらさきを襲ったり、傷つけるような感じはなかった。

「この影、遊んでるだけやん」

 いつも、床の間に飾ってある掛け軸の動物たちが、夜に影になって遊んでいるように、わたしには見えた。

「そやけど、小さいむらさきには、がまんできひんぐらい恐い物なんかもしれへんなぁ」

 ぼんやり考えていると、影たちも小さくなり消えていった。


「おかあちゃん、むらさきどこやったん?」

 朝、おねえちゃんが泣きそうな顔になってへやに飛び込んできた。

 朝ご飯を流しから台所へ運んでいたおかあさんがのんびりと「いいひんの?」と、聞いた。

「エサやりにいったら、どこにもいいひん。檻の中、からっぽやった」

「カギは?」

「かかてへんかった」

「かけわすれたんちがうか?」

「ちゃんと、かけて寝たわ」

「自分で、カギをはずしたんやろか?」

「そんな……」

「どこかに散歩でもいったんとちがう?」

 わたしは、夜にわたしの所へきたむらさきのことを思い出していた。

「おかあちゃん、ほんまに知らんの?」

 もう一度、おねえちゃんがきいた。

「知らんえ」

「どこ行ったんやろ……」

 おねえちゃんは、まだ庭をさがしていた。

「お家、出ていったんかもしれへん」

 わたしは小さい声でいった。

「やっぱりなぁ……」

 おばあちゃんも小さい声でいった。

「なんで、やっぱりなん? おばあちゃん、なんか知ってるのん?」

 お茶碗をかちゃかちゃいわせてお茶漬けを食べていたおばあちゃんに、おねえちゃんが聞いた。

「そやから、この家では、ねこは育たへんていうたやろ」

「なんで?」

「この家にはなぁ、虎が三匹、龍が一匹いるんや。ねこは育たへん。人間の精が強すぎるんや」

 おばあちゃんはお茶碗をお膳の上に置いて「ごちそうさま」といって手を合わせた。

「おばあちゃん、またそんなこと、子供の前で言うて……」

 おかあさんがくすっと笑い、お茶をいれながらいった。

「虎と龍?」

 わたしは、夜の影を思い出した。

(ああ、そうやったんや。あの影は虎と龍やったんや)

「あんたのおとうさんとおかあさんは寅年生まれ。智子は辰年生まれやろ。ちなみに、わたしも寅年や。そら、ねこは恐おうて、こんな家にはおられへんわなぁ」

「わたしは?」

「千代か? 千代は、未や。虎や龍よりちょっとはやさしいかもしれんなぁ」

「そんな、あほな」

 横で、新聞を読みながら話を聞いていたおとうさんが笑った。

「むらさき、どこへ行ってしもたんやろ? 虎と龍のいる家はやっぱりいやなんやろか……」

 おねえちゃんは、心配そうにつぶやいた。

「心配せんでも、そのうち、ひょこっと帰って来るんちがうか」

 おとうさんが新聞を置いてそう言った。

「帰って来るやろか?」

「帰ってきぃひんかったら、自由が一番と考えて出ていったんやろう。まあ、ねこの思いはわからんからな」

 それからおねえちゃんはずっとむらさきの帰ってくるのを待っていたけれど、むらさきはもう二度とこの家には帰ってこなかった。


 それから、何匹かの子ねこが我が家にやってきた。しかし、事故や病気や家出で、一匹のねこも大人になることはなかった。


               了

 

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