雨降り花



「いやや」

 お姉ちゃんが叫んだ。

「なんでいつもいつも、私だけが妹を連れていかなあかんの。私かって、一人で友だちの家へ行きたいわ。友だちは、だれも、妹なんか連れてきたはらへんわ」

 私はびっくりして、にぎっていたお姉ちゃんのスカートをはなした。

 お姉ちゃんが遊びに行くとき、私はいつもついて行った。いっしょに行きたいというと、ちょっと嫌そうな顔をすることはあったけれど、いつも連れて行ってくれた。こんなに大きな声を出して、嫌だといわれたことははじめてだった。

「そんなこといわんと、連れて行ったげたらええやんか」

 おかあさんがいった。

「いやや」

 お姉ちゃんの目が私をにらんでいる。

 私は、何かとても悪いことをしたようで、お姉ちゃんの顔から目をはなし、下を向いた。かなしいわけでもないのに、涙がぽろぽろでてくる。

「もう、そんなにいうんやったら、千代、お姉ちゃんについて行かんと、家で遊んどき」

「いやや、お姉ちゃんといっしょに行く……」

 私は素直に「うん」とはいえなかった。お姉ちゃんに負けたくないという気持ちもあったが、それ以上に、今までのお姉ちゃんがどこかへ行ってしまうような気がして、このまま別れてしまうのが恐かった。

「もう、私はお姉ちゃんなんかになりとうないわ。ほんま、かなんわ……」

 お姉ちゃんがくちびるをかんでいる。

「二人ともええかげんにしよし。どっちもいうこときかへん子やなぁ……」

 おかあさんが首をふった。

 しばらくの間、三すくみのようににらみあったままだれもが、口をひらかなかった。

 そのとき、おばあちゃんの部屋の襖がすうっとあいた。

「千代ちゃん、おばあちゃんと妙蓮寺さんに遊びに行かへんか?」

 おばあちゃんが顔を出した。

 私は、お姉ちゃんの顔を見て、おかあさんの顔を見た。

 ふたりとも、顔をそむけてしまう。

「行く……」

 私は小さい声で答えた。

「そうか、ほな、ちょっとまっててな」

 おばあちゃんは、着物の上に付けていた割烹着をはずした。


 妙蓮寺の境内の庭には、いっぱいシロツメグサがさいていた。おばあちゃんと私はその中に座り込んだ。

「お姉ちゃん、恐い顔してた。なんでやろう?」

 シロツメグサをさわりながら私はつぶやいた。

「そやな、人はどんどん大きゅうなっていくやろ、そしたらな、今までとちがうようなことも考えるんや」

「ちがうこと?」

「そうや、千代ちゃんかって、来年、幼稚園に行くやろ?」

「うん」

「友だちもできるやろ?」

「うん」

「ひょっとしたら、お姉ちゃんと遊ぶより、幼稚園の友だちと遊ぶ方がええと思うかもしれへん」

「私も、そう思うん?」

「かもしれへんやろ?」

「わからへん」

「お姉ちゃんかって、もっともっと大きゅうならはる。また、かわらはる。千代ちゃんもお姉ちゃんみたいになって、おかあちゃんみたいになって、おばあちゃんみたいになる。どんどんかわるんや」

「私、おばあちゃんみたいになるん?」

「ふん。なるえ」

 私は、おばあちゃんの顔を見た。おばあちゃんの笑っている顔は、しわがいっぱいあって目も小さかった。

「私、いやや」

「え?」

 おばあちゃんは私の顔を見てふきだした。

「そんな心配そうな顔して……。こんな年寄りの顔は、そら、いややわなぁ。ほんま、千代ちゃんは素直な子やなぁ。だいじょうぶや、まだまだこんな顔にはならへん。ずっとずっと先の話や」

 おばあちゃんは楽しそうに声を出して笑った。

「ほんま?」

 うんとおばあちゃんはうなずいた。

 私は、少しほっとした。

「シロツメグサがいっぱいやな。千代ちゃん、シロツメグサの首飾りの作り方、知ってるか?」

「私、ようせん」

 私は、両手を背中にまわしてかくした。

「なんで?」

「前、お姉ちゃんが千代にはできひんっていわはった」

「そんなことはない。ちゃんと教えてもらったらできるようになる。できひんかったら、なんぼでも教えてあげるし、やってみよう?」

「うん」

「ほな、花をいっぱいつんでくれるか?」

「うん」

 私は、ぼんぼりのような白い花を一本つんだ」

「これで、ええ?」

 つんだ花をおばあちゃんに見せた。

「もうちょっと茎をなごうつんでくれるか。短かったらあみにくいしな」

 私は、根もとから茎をちぎった。

「こんなんで、ええ?」

「うんうん、それでええ、それでええ」

 私はつんだシロツメグサをおばあちゃんにわたした。

「この花を三本ぐらいいっしょにしてな、次の花でとめるんや。ほら、千代ちゃんもやってみ」

 私は、おばあちゃんの手元を見て、同じように茎に茎を絡ませようとした。けれど、

「ああ、あかん。こんななってしもた。できひん」

 手の中で、花はばらばらになってしまった。

(やっぱり、お姉ちゃんがゆうたはったとうりや。私にはむずかしすぎるんや)

「だいじょうぶ。ほら、かしてみ。この花の上をこの花の茎でとうすんや。ほら、こうやって」

 おばあちゃんが私の首飾りを手伝ってくれた。おばあちゃんが私に、あめた花をかえしてくれる。

「できた」

 私はそれを前につきだして、得意げに笑った。

 花の首飾りが次の花につながり、少しだけ長くなった。

「次は、もう一本をこうして……」

 おばあちゃんが、ひざの上のシロツメグサを取り上げたとき

「あかん!」

 大きな声がした。

 ふりかえると、白髪を雷様のようにふりみだしたおばあさんが立っていた。着ている着物もどこがどういうふうになっているのかわからないような着方をしている。前掛けの上に着物を引っかけているだけのような、まとわりつけているだけのような……。

「ああ、小川の……」

 おばあちゃんは、この人を知っているみたいだった。

「おばあちゃん、この人だれ?」

 私は、気味が悪くって、おばあちゃんの背中にかくれながら聞いた。

「家の筋向かいに小川さんの家があるやろ。そこの大ばあちゃんや」

「ちがう。この人、ちがう」

 小さな声でいい、私は眉をひそめた。

 私のよく知っている小川のおばぁちゃんは、私のおばあちゃんの友だちだった。家に遊びに来たときは、私もいっしょに遊ぶ。その人と、今ここにいる人がいっしょだといわれても、私はこまる。

「そやから、友だちの小川のおばぁちゃんとちごて、大ばあちゃんや。小川のおばあちゃんのおかあさんや」

「そんな人、知らん」

「あんまり一人では、外へ出やはらへんからなぁ。千代ちゃんは、はじめてかもしれんな」

 私は、見たことのないおばぁさんの顔を不思議な思いで見た。私のおばぁちゃんでもしわがいっぱいだと思っていたけれど、その人の顔は、しわの中に目や口があるという感じだった。

「雨がふるで! そんなにようけつんだら、雨がふるがな!」

 小川の大おばぁちゃんが、しわの中の口をふるわせて大きな声でいった。

「ああ、かんにんな」

 おばぁちゃんはしずかに立ち上がり、小川のおおばぁちゃんの手をとり、さすりながらいった。

「そや、雨がふるかもしれへんな。はよ、帰らなあかん。おばぁちゃんの家、どっちの方やったかなぁ?」

「ああ、帰らなあかん。そうや、帰らなあかん」

 小川の大ばぁちゃんが、そわそわしながらつぶやいた。足踏みをしている。けれど、どちらへ進めばいいのかわからないみたいだった。

「こっちやな。帰り道、こっちやったなぁ」

 おばぁちゃんは、大ばぁちゃんの肩をだくようにして、門の方に歩き出した。

 小川の大ばぁちゃんも、安心したように歩き出した。しかし、少し行くと、突然止まって肩の手をふりほどいた。くるっと私の方を振り向いた。

「トキちゃんも、はよ帰らなあかんで……」 

さっきの恐い声ではなかった。やさしげな声でいい、小さな子供のようにちょっとひざを曲げ、小首をかしげて笑った。

「トキちゃん、さっきはかんにんな。いっしょに遊びたいことはなかったんやけど、あんなこというてしもた。かんにんな」

 小川の大ばあちゃんは、私をトキちゃんという子とまちがっているみたいだった。

 私はどうすればいいのかわからず、うなずくふりをした。

「雨降り花つんだら、雨がふるっておかあちゃんがいうたはったやろ。トキちゃん、雨に着物ぬらしたら、おかあちゃんにおこられるえ」

 小川の大ばあちゃんの目がぬれている。本当に心配しているんだ。

「うん、うん。心配せんでも、妹のトキちゃんも、ちゃんと帰らはる」

 このときはじめて、トキちゃんというのが大ばあちゃんの妹なんだということが、私にもわかった。おばあちゃんは、私に妹のトキちゃんになってあげてねというように目配せをした。

「千代ちゃん、ちょっとまっててな。小川の大ばあちゃん、家までおくってくるさかい。一人でまってられるか?」

 私は、うんとうなずいた。

 おばあちゃんは、小川の大ばあちゃんの手を引いて、話しかけながらゆっくり歩いていった。

 お寺の門から二人の姿が見えなくなると、あたりはしんとしずかになった。だれの姿もない。

 私は、手に持っていたシロツメグサを見た。

「この花、つんだら、雨になるん?」

 大ばあちゃんのいっていた事が、不思議な色でよみがえってきた。私はしゃがんで、ひざもとのシロツメグサの茎を爪で切った。

「雨になる……。雨になる……」

 見上げると、空にさぁーと雲がかかりあたりが暗くなった。

「あ、雨や」

 空から、まっすぐに細い雨が落ちてきた。

「大ばぁちゃんのいわはったこと、ほんとうや。雨、ふってきてしもたぁ……」

 つぶやいて、私はシロツメグサを持ったまま雨が落ちてくる方を見上げる。顔に雨があたっても少しも冷たいとは感じなかった。

 空遠く、雲の切れた少し明るくなったところに二人のひとかげが見えた。何か楽しいことがあったのかもしれない。肩をたたき合ったり、ぶつけあったり、笑い声が聞こえてきそうなぐらい楽しそうに歩いている。見ている私も笑ってしまいそうになる。

 だれやろう……。おばあちゃんと大ばあちゃん?

 ちがう。知ってる人のようにも見える。

「お姉ちゃん……」

 私がつぶやくと、背の高い方の人が立ち止まり、少しだけふりかえったような……。そんな気がした。

   

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