かっぱ



  春なのに、とても暑い日だった。

 町内会の人たちと、その日は上賀茂神社に遊びに行った。

 一の鳥居をくぐり、二の鳥居までの両脇が広い芝生の広場になっている。

「ここで、お弁当食べよう」

 おねえちゃんが言った。

「何、言うてんの。ちゃんとお参りしてからや」

 おかあさんが、おねえちゃんの頭をコツンとたたいた。

「もう、暑うて、かなんわ。お茶やったら、飲んでもええやろ」

 おねえちゃんは、肩からさげていた水筒を開けて、ゴクリとお茶を飲んだ。そして、友だちといっしょに走り出した。

 わたしも、自分の水筒からお茶を飲んで

「わたしも行く。おねえちゃんまって」

と、おねえちゃんをおいかけた。

 お社の前まで走って来たわたしは、急に立ち止まった。

 砂場でもないのに、白い大きな砂の山が二つも立っていた。きれいに先が尖って、空に向かっている。周りに張り巡らされている白い紙がついているロープも不思議だった。

「どうしたん?」

 後から来たおかあさんが聞いた。

「お砂の山がある……」

「あ、それさわったらあかんえ。そのお山は神さんのお山やしな。さわったら、神さんがおこらはるえ」

「神さんの、お山?」

「そうや、そこに神さんが降りてきゃはるんや。そやから、鬼とか、お化けとかは、ここには来られへんねん」

「恐いもんは、ここにはいいひんの?」

「そうや、結界や」

「ケッカイ?」

「ああ、恐いもんが入ってこられへんって、いう意味や」

「へえぇ」

 わたしは、ときどきおねえちゃんから恐いお化けの話を聞いて、お便所に行くのが恐くてしかたなくなる時がある。

 ここは、いいなぁ、と思った。ここだったら恐い思いをせず、安心して夜のお便所にも行るのになぁと思った。

「おかあちゃん、もう、わたし、拝んだえ」

 おねえちゃんが、走って戻ってきた。

「はやいなぁ。ちゃんと拝んだんかいな」

「もう、友だちもみんな、むこうへ行かはった。芝生のとこで遊んでも、ええやろ」

 おねえちゃんの友だちも、それぞれのおかあさんたちのそばを通りぬけ、芝生の方に走っていた。

「わたしも」

 わたしも、おねえちゃんの後を追おうとした。

「あんたは、まだ拝んでへんやろ」

 わたしは、おかあさんに後えりをつかまれた。

 わたしは手を合わせて「あん」と言った。

「これで、ええ?」

 わたしは、おかあちゃんの顔を見上げた。

「千代ちゃん。じょうずに拝めたなぁ」

 いっしょに来た向かいのおばちゃんが、わたしの頭をなぜてくれた。

 わたしは、おばちゃんの顔を見てにっと笑った。

「それにしても、今日は、暑い日やなぁ」

 おばちゃんが、ハンカチでおでこを拭いていた。

「お弁当、はよ食べな、傷んでしまうなぁ」

 わたしは、空を見上げた。

 太陽が、ぎらぎらしていた。

「暑つう」

 わたしも、ふうと息をはいた。

「ほら、こっち見てみ、きれいな川が流れてるやろ」

 おかあさんは歩きながら、境内の中を流れる小川を見ていた。

「ほんま。気持ちよさそうやなぁ」

 小川の水は澄んでいて、水の流れている下の石もはっきり見えていた。

 川の中に入っても、わたしの足首ぐらいの深さのように見えた。川の中に入ってもいいように、石の階段も作られている。

 何人かの子どもたちも小川の中で遊んでいた。

「わたしも、川に入ってもええ?」

「あかん。あかん。危ないからあかん」

「ええやん。わたし、入りたい。みんな入ったはるやん。暑いもん。わたし、入る」

「あかん、あかん」

「いやや、入る」

「あかんて言うてるやろ」

「なんで、あかんの?」

「ここの川には、かっぱが住んでるんや。川に入って流されたら、かっぱが足をひっぱって、川の中に引きずり込まれるんや。こわいでぇ」

 おかあさんが、声を落として言った。

「あの砂のお山は、そのかっぱが入らんようにあるの?」

 わたしも、声を小さくして聞いた。

「え? ああ、そうそう、そういうこともあるかもしれんなぁ」

「あの、川で遊んでる子は、どうなるの?」「流されたら、かっぱに川の中に引きずり込まれるんやろなぁ」

 おかあさんは、悲しげな顔をした。

「千代、そんなこと心配せんと、あっち行ってお弁当食べよう」

 おかあさんは、芝生の広場へわたしの手をひっぱった。

 お弁当を食べ終わって、おねえちゃんたちは追いかけっこを始めた。わたしも、いっしょに仲間に入れてもらっていたが、わたしが一番小さいから、すぐに鬼になってしまう。鬼になったら、みんなをつかまえることはできない。

「もう、いやや」

 わたしは、みんなからはなれて行った。

 ふらふら歩いていると、また小川につきあたった。

 さらさら、音が聞こえるように水が流れている。

 ちょっとだけ、足をつけてもいいかなぁ。

 わたしはくつを脱いで小川に足をつけた。

「ひゃー」

 水は、思ったより冷たかった。けれど、走り回って、火照った体にはとても気持ちがよかった。

 わたしは、流れの中をばしゃばしゃとしぶきをあげて歩き回った。水をけると、しぶきが光に当たって、しゃらしゃらと輝いた。手で水をすくってみる。指の間からもれる水も光の玉のように落ちていった。

 どんどん上にあがっていく。

 楓がおおい茂った陰に入った。

 ひやっと、空気が変わった。

 前を見ると、おかっぱ頭の女の子が立っていた。

 わたしは、こんな子がさっきからいただろうかとちょっと不思議に思った。

「だれ?」

 わたしが聞いた。

「あんたこそだれ?」

 女の子がわたしに聞き返した。

「千代」

「ふうん。わたしは、みどり。どこからきたん?」

「西北通り町」

「わたしは、上町」

 わたしは、この子も町内会でここに遊びに来ているんだと思った。

「水、気持ちええなぁ」

「うん。ものすごう、気持ちええ。ほら」

 女の子がわたしに水をかけた。

「いや、冷たいわ。ほんなら、わたしも、ほら」

「冷たい」

「冷たいなぁ」

 わたしたちは水を掛け合って笑い出した。

「あっち、行こう」

 女の子が、川下をさした。

「あかん。川下に行ったら、かっぱが住んでるって、おかあちゃんが言うたはった」

「かっぱ? おかっぱさんのことか?」

「おかっぱさん?」

 わたしは、少し考えた。ちょっとちがうけど、と思ったが、

「うん。水の中に引きずり込まれるんやて」

と言った。

「うそや。そんなもんいいひん。大人が子どもに水の中に入ったらあかんていうために、そんなこといわはるんや。そんなもん、迷信や」

「メイシン?」

「作り話」

「そやなぁ。メイシンや。メイシンや。いっしょにあっち、行ってみいひん?」

 わたしは川上をさした。

「あっちは……。おかあちゃんが、おかっぱさんにひっぱり上げられるって言うたはったし……」

「え?」

「むこう、行こう」

「いやや。川の下の方は、いやや。あっち行こう」

「あかん。上の方は、あかん」

「ほんなら、わたしはあっち行く」

「わたしは、こっちにする」

 わたしは、楓の陰から日の当たるところへ出た。

 暖かい光につつまれて、ふっと後を振り返った。

 だれもいない。

 ずうっと、辺りを見回した。子どもたちの声がした。けれど、おかっぱ頭の女の子はどこにもいなかた。

「何してんの? 水の中に入ったらあかんて言うたやろ。はよ、あがり」

 おかあさんが恐い顔をして、わたしに手を伸ばした。

「もう、こんなに水浸しになって、風邪ひいたらどうするの」

 わたしは、頭からごしごし痛いほどおかあさんにタオルで拭かれた。

「おかあちゃん、かっぱっていいひんかったで」

「何言うてんの。あたりまえや」

「ああ、わたし、知ってる。それ、メイシンやろ」

「え?」

「メイシンや、メイシンや」

 わたしはおかあさんのタオルからのがれ、おねえちゃんたちが遊んでいる方へかけて行った。 


              了




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