天神さんの細道は梅の花びらで敷き詰められ
麻々子
天神さんの細道は梅の花びらで敷き詰められて
梅のつぼみがふっくらとふくらむ頃、母と姉といっしょに、北野の天神さんにお参りにいった。
北野の天神さんは、私たちの家から近く、散歩にはちょうどいい距離だった。
クリーム色と草色のちんちん電車が、目の前をことんことんと走っていく。
大きな一の鳥居をくぐり、寝そべった丑の像を見ながら、二の鳥居、三の鳥居とくぐる。
黒光りした石の恐い牛やカラフルな石の丑、いろんな丑がいて見ているだけでも楽しい。
「何で天神さんには、いっぱい丑さんがやはんの?」
赤いコートに白いタイツの姉が、母を見上げてきいてる。姉はきのう、五才になり、みんなから祝福を受けていた。
母が、ほほえみながら答えた。
「天神さんが丑の年に生まれはってん。そやさかい、丑がいっぱいやはるねん。頭なぜたら、かしこうなるしなぜとき」
「うん」
姉はつないでいた手を離し走った。つま先立ちで丑の頭をなぜ、その手で自分の頭もなでている。
参道を歩いて楼門をくぐった時、梅の木のかげから、じっと私を見ている女の人がいることに気づいた。
顔は黒く汚れ、髪はつやがなく、ところどころ固まっていた。ぼろ布のような着物を、からだに巻きつけている。
「いや、かなんな。おこもさんがじっとこっちみたはる」
母が小さい声でいった。
「なに?」
姉が母を見上げている。
「なんでもない。早よ、あっちいこ」
母は、姉の手をひっぱった。
「女の子や」
唐突に、私を見ていた女の人が母にいった。
「何いうたはんの? 気持ち悪」
母は怪訝な顔をして、一歩後にさがった。
女の人は、それでもじっと私を見ていた。
私は、なぜその女の人が私を見ているのかわからなかった。
真剣に、にこっともしないで恐い顔をして私を見ている。私も、じっとその人を見続けていた。
すると、女の人が、小首をかしげてふしぎそうな顔をした。
私は、その女の人に「こんにちは」とほほえんでみた。
「私が見えるの?」
女の人がいった。
「見えるよ」
私は答えた。
「へぇ、めずらしいなぁ。ほんなら、こっちへおいで」
女の人がにっこりと笑って手を出した。すると同時に薄汚れた顔がだんだん白くなり、髪も黒くさらさらと風にゆれだした。着物も殻を破るように鮮やかになった。白と桃色の色がきれいだった。
「うん」
私は、歩き出した。
「飛べるか?」
「飛ぶ?」
「うん」
「わからへん」
「ついておいで」
「うん」
女の人は、ふっと宙に舞った。
(あ、天女)と私は思った。
私も後を追うよに、あごを突き出し飛び上がった。
「あ、飛べた」
私たちはどんどん飛んで、楼門の上まで来た。
「ここにお座り。天神さんがよう見えるえ」
「うん」
私たちは、楼門の上に腰掛けた。
「あ、お母ちゃんが見えるわ。お姉ちゃんと手、つないだはる。そやけど、ぜんぜん動かあらへん。止まったはるわ」
「そうやな。そやけど、見てみ。丑が動いてるやろ」
「ほんま、シッポ動かしてるわ。生きてるみたいや。あ、口も動かしてる」
私は、石で出来ている丑が動くのを見て、大きな声を出した。
「よかった。やっぱり、ほんまにあんたにも見えてるんや」
女の人は、うれしそうに笑った。
「お姉さんは、ここにすんでるのん?」
「そうよ」
「今は、きれいけど、何でさっきはあんなにきたなかったん?」
「きれいなかっこしてたら、汚れたらきたのうなるのが、いやになる」
「ふーん」
「私もな、はじめっから、あんなんやなかったんや。私なぁ、いらんもんがいろいろ見えるねん。ほんで、いわんでもええのに見えることをいうてしまうんや。そしたら、みんな、気持ち悪がって……。ほら、この石」
女の人は、私にこぶし大の石を見せた。
「これ、なに?」
「これを、私にぶつけるんや。気持ち悪い、向こう行けっていうて。人には見えへんもんを見ることは、悪いことなんや。とうとうお父さんや、お母さんも気持ち悪がってしもてな、私はどこにも住めへんようになってしもたんや」
「ほんで、あんなかっこで、ここにすんでんの?」
「ここしか行くとこがあらへんかってん」
「ふーん。そやけど、今のお姉さんは、ものすごうきれいや。何で?」
「さあ、なんでやろな。あんたには、私がきれいにみえるんやなぁ」
「私、大きいなったら、ここで住みたい。お姉さんといっしょにここで住むことにするわ」
「へんなこといううなぁ。なんで、ここにすみたいのん?」
私は、空を見上げた。
「ようわからへんけど、ものすごう、気持ちがええねん。空にも飛んで行けて、風にも乗れるような気がするわ」
「あかん」
「なんで?」
「私には、天神さんがついたはるけど、あんたにはついたはらへん。あんたには、ここでは住むことができひん」
女の人は、背筋をしゃんとのばして、そういいきった。
「お姉さんのいじわる」
私は、ぴしゃりと拒否されてかなしかった。
「意地悪でいうてんのとちがう。あんたは、お父さんやお母さんに嫌われてもええのんか?」
女の人の顔が、私の顔をのぞき込んだ。
「ここに住むのんにはお父さんやお母さんに嫌われなあかんの?」
「ここに住むには、天神さんに好かれなあかん。好かれようと思ったら、みんなに嫌われてもええ、といううような覚悟がいるんや。ええことが自分の身におこってほしかったら、悪いことも引き受けなあかん。お父さんやお母さんにも嫌われてもええなんてことは、あんたには思えへんやろ?」
私には、天神さんと両親のどちからが大切なのかわからなかった。どちらかを選ぶということもできない。
私はだまって、白い梅の枝をみつめていた。
梅の花が一輪、ぽっと咲いた。
風に乗って、梅の香りが楼閣の上の私の所までただよってきた。
その時、
「もうー」
石の丑がないた。
「しもた。天神さんが怒ったはる。子供に何いうてんねんいうて怒ったはる。長いこと時を止めすぎてしもた。ええかげんにしい、ゆうたはるわ」
女の人がぺろっと舌を出した。そして、楼閣の上からぽんと飛び降りた。
「あ、まって、置いて行かんといて」
私は女の人の袖をつかもうとしてバランスを失ってしまった。
「あっ」
私は楼門から落ちてしまった。
時間が動き出した。
母の前の女の人が、おこもさんの姿で、もう一度口を開いた。
「女の子や。ええこともないけど、悪いこともない」
そして、くるっときびすを返し、すたすたと歩いていってしまった。
母は、その後ろ姿を見ながらつぶやいた。
「変な事いう人や。ああ、気持ち悪。早よお参りして、帰ろ」
それから七ヶ月して、私はこの世に生まれ出た。
了
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