人形塚

 わたしは、先生のいうことを一言も聞きもらさないようにと、先生の口をにらみつけていた。けれど、よく聞くんだという気持ちとは反対に先生のいってることがまるでわからなかった

 先生の口が動いている。

 閉じて開いて……、よく口が動くなぁとしか、わたしには思えなかった。

「では、帰りの支度をしましょうね」

 はじめて、先生のことばが意味のあるものになった。

「お道具箱は持って帰らなくってもいいですよ。はい、後ろに置いたランドセルを取りに行ってください」

 教室のみんなが、いすをかたかたいわせて立ち上がった。

きのう、入学式があったばかりの一年い組の教室はにぎやかになった。

 わたしも、みんなをまねて立ち上がった。

 走って自分のランドセルを取りに行く子、周りを見回してランドセルを取りに行く子。走って取りに行った子どもとぶつかって、はじき飛ばされる子。

 わたしは、もう一度先生を振り返って、ランドセルを取りに行くことがまちがいでないかどうかを確かめた。

 先生は、みんなの様子を見ながら笑っていた。

 うん、まちがっていないんだ。

 わたしは、急いでランドセルを取りに行った。

「はい、みんな自分のランドセルを持ってきましたか?」

「はーい」

 手をあげる子、大声をあげる子、自分のランドセルをぽんぽんたたく子。

「あ、先生、千代ちゃんのとなりの子、ランドセルを取ってきてへん」

 友だちの和ちゃんが、わたしの方を見ていった。

「ああ、そうね」

 先生はそういって、一つだけぽつんと残っていた黒いランドセルを手に持った。

「はい、みんなつくえの中にしまった教科書や帳面や筆箱をランドセルの中にしまってね」

 先生は、わたしのとなりのつくえの上に黒いランドセルを置いた。

 教室の中はまたにぎやかになった。本を落とす子、セルロイドの筆箱をひっくり返し床の上に鉛筆や消しゴムをまき散らす子。

「先生、かばん、しまらへん。どうしたらええん?」

 前の方で声がする。

「はい、ちょっとまってね」

 先生が前の子にそういって、わたしを見た。

「あなた、千代ちゃんね。加納くんを手伝ってあげてくれる?」

 わたしは、小さくうんとうなずいていた。

 わたしは、加納くんを見た。くりくり頭の丸い顔をした男の子だった。朝、先生から一人ずつ名前をよばれたとき、わたしのとなりの男の子が、加納くんだったことを思い出した。

(でも、加納くんは、名前をよばれたとき、返事しゃはらへんかった)

 わたしは、もう一度となりの加納くんを見た。

 加納くんは前を向いて、にこにこ笑っていた。朝、先生が「加納良くん」とよんだときも、加納くんは笑ったまま先生を見ないで前を向いていた。

「かばんに本や帳面、いれへんの?」

 わたしは、加納くんに聞いた。

 でも、加納くんは笑ったままだった。

「みんな、きょうから一年生になったんやから、自分のことはちゃんと自分でしないとあかんよ。けど、できない人もいることをわかってあげようね。できない人には近くの人が助けてあげてね。助け合って、みんなでいい学級をつくっていこうね」

 先生が、教壇の前からみんなにいっている。でも、最後にはわたしを見て、小さくうなずいたような気がした。

(あ、わたしのことをいうたはんにゃ。わたしは、加納くんを、手伝ってあげなあかんにゃ)

 わたしは、加納くんのランドセルを開けて、本と帳面と筆箱をいれた。本や帳面の角をぶつけてうまく入らなかったけれど、何回かやり直すと、なんとなく、ランドセルの中におさまった。

 わたしが、ふーといきをはくと、加納くんがわたしを見ていた。

「うまいことよういれんかった」

 わたしは、ぺろっと舌を出した。

 加納くんは、うれしそうににっこりと笑った。


 家に帰って、わたしはランドセルを放り出して、たおれるようにうつぶせにねころんだ。

「おつかれさんやな」

 おばあちゃんがランドセルをひざの上に置いて、わたしのそばに座った。

「ああ、しんどー」

 わたしは、目を閉じた。

「何、勉強してきたんえ」

「なんにも」

「なんにもって……。なんにも勉強してへんのに、そんなにしんどかったら、これから勉強しだしたら、どうなるんえ?」

「わからん」

「何がそんなに、しんどいん?」

「わたし、お姉ちゃんにならなあかんねん」

「へ?」

 わたしは、そろそろと起き上がって、おばあちゃんの前に座りなおした。

「となりの人、なんにもしやらへん。わたし、となりやし……。先生が、近くの人が手伝うてあげてっていわはってん。わたし、手伝わなあかんやろ?」

「なんにもって、なんかしゃはるやろ?」

「うん。わろたはる」

「それだけか?」

「うれしそうに、わろたはる」

 わたしは、加納くんの顔を思い出して、加納くんのように笑ってみた。

「千代ちゃんも、うれしそうやな」

「うん。手伝うたげたら、なんかお姉ちゃんになったような気がするわ」

「そら、ええことかもしれんなぁ」

「おばあちゃん、かのう りょう って字、教えて」

「へぇ、字、覚えるんやったら、学校いかへんっていうてたのに、どういうかぜのふきまわしえ?」

 わたしは、おかあさんから字を覚えさせられるようになって「わたしは、字なんか覚えへん」といって、逃げ回っていたことを思い出した。

「そやかて、加納くんの名前、読めへんかったら、どれが加納くんのもんかわからへんやん」

「そやなぁ」

 おばあちゃんは、おかしそうにクスクス笑った。そして、白い紙の上に「かのう りょう」とひらがなで大きく書いてくれた。

「かのう りょう かのう りょう」

 わたしは、何度も加納良くんの名前を口に出し、おばあちゃんの字をまねて何度も帳面に書いた。

 学校から帰ってきたお姉ちゃんが、ニヤニヤ笑った。

「あんた、もう好きな男の子ができたんか? えらい、おませやなぁ」

 それを聞いたおばあちゃんは、手で口を押さえ、プッとふきだした。

 わたしは、おねえちゃんが何をいってるのかわからなくって、しょぼしょぼする目をこすっていた。


 入学式から四日目、加納良くんが学校に来なかった。

 きょうも、加納くんのことは、みんなしてあげるんだと思っていたわたしは、何をすればいいのかわからなかった。

 いつもなら、ランドセルから本や帳面や筆箱を取り出し、つくえの中にしまい、ランドセルを後ろに持って行く。

 先生に、本を出してといわれたら、自分の本と加納くんの本を出す。

 何ページを開けてといわれたら、わたしの本と加納くんの本を開ける。その写真を見てといわれれば、これといって加納くんの本の写真を指さしてあげる。

「ね?」というと、加納くんはゆっくりにこにこと笑う。

 次の日も、その次の日も、加納くんは学校にこなかった。

 その次の日の朝

 先生が「加納くんは転校しました」といった。

(え、なんで?)と、わたしが思っていると、和ちゃんが「どこへいかはったん?」と、先生に聞いた。

「加納くんは、加納くんにあった学校へ転校しゃはったんよ」

「へー、そうなんや」

 和ちゃんやみんなは、なんとなくわかったような返事をしていた。

 わたしも、そうなんだと思うようにしたが、変な気持ちがおさまらなかった。

(わたしもこの学校があわへんかったら、どこか違う学校へいかんならんのやろか……。誰が、おうてるかおうてないかを決めはんのやろう……)

 わたしは、だれかに見張られているような気がして、学校がすこし怖くなった。


 一週間がたって、教室のみんなは、加納くんのことを口にしなくなっていた。

 その日の一時間目の授業は、自分の住んでいる町を歩いてみようというものだった。

「きょうは、近くの人形の寺というところへ行きます。みんなが住んでるところは、古いお寺や神社がいっぱいあるので、すこしずつ勉強してゆきましょうね。人形の寺は、本当は宝鏡寺というお寺です。お人形がいっぱいあるから、みんな人形の寺と呼ぶようになったんやね」

 先生がいった。

 わたしたちは、先生について歩いていった。

 市電の走る広い道路を渡ってすこし歩くと、古い大きな屋根のある門があった。その門を入るとすぐに、丸く刈られた木が植わっていた。砂利の上を歩いていく。横を見るとごろごろとした石組の上に、人形が彫られた白くて大きな石があった。大きな手のひらのような石の中に人形がすわっていた。

 くりくり頭でまん丸い顔の男の子の人形だった。腹掛けをしてうれしそうに笑っている。わたしたちと同じぐらいの大きさだったので、なんだかここにいる同級生のひとりのように見えた。

「先生、これ、何?」

 和ちゃんが走り寄って先生に聞いた。

「これは、人形塚っていうの」

「人形塚?」

「そう、古くなったお人形さんやら、壊れてしもたお人形さんがその下で寝たはるの」

「お人形さんがここで寝たはるん?」

「そうよ。それを大人の人たちは供養っていうの。お人形さんたちにありがとうをいうところよ」

「へー、そうなんや」

 和ちゃんは、人形塚の周りをまわりながら、熱心に見ていた。

「いや、この石の人形、誰かににてるわ」

 急に和ちゃんがいいだした。

「ほんまや、どこかでおうたことだあるわ」

 みんなが、さわぎだした。

 わたしも、もう一度よく人形塚の人形の顔を見た。まん丸の顔でうれしそうに笑っている。

 あっ、とわたしは思った。

「加納くんや、加納良くんや」

 わたしは、声に出していた。

「あ、ほんまや。加納良くんに」

「うん。そっくりや」

 その声を聞いて、先生もいった。

「いやぁ、ほんまにようにてるわ。先生も何回もこのお寺に来てるけど、なんで、今まで気がつかへんかったんやろう……」

「先生、ここに来たらいつでも加納良くんにあえるな」

 和ちゃんがいった。

「ほんとやね」

 先生は、かたひざ座りした人形のひざを、愛おしそうにゆっくりとゆっくりとさすっていた。

 その時、わたしは、加納良くんはほんとうはこの人形だったんじゃないかと思った。人形だったけれど、人間と仲良くなりたいと思って、四日間だけ人間になって学校へ来たんだ。石だったから、しゃべることができなかった。人形だったから、あんなにかわいく笑っていたんだ。

 良くんは転校したんじゃなくって、このお寺に帰ったんだ。

(なんや、良くんは誰かにこの学校がおうてへんていわれはたんとちがうんや。良くんは、自分のお寺に帰らはっただけや)

 わたしの中で、ふっと誰かに見張られているという怖さが消えた。誰かに見張られて、おまえはこの学校にあっていないといわれるのじゃないかという怖さがなくなっていた。

(もっといっぱいの人形が、わたしの学校に来はったらええのに。そしたら、みんな友だちになれていいのになぁ)

 わたしは人形塚を見て、思っていた。


             了


 

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