彼岸花

 九月なると毎年、おばあちゃんは田舎の親戚の家に行く。

 その年、小学校に通い始めた私は、はじめておばあちゃんにその親戚の家に連れて行ってもらった。

 その家の周りは、田んぼや畑ばかりだった。裏にはすぐ山がせまっていた。隣の家までは、歩いて十分もかかる。夜になると真っ暗になった向かいの山から、ホーホーとふくろうのなく声も聞こえる。

 朝早く京都の家から電車に乗り、小さな駅に下りてバスを待つ。バスは、その村に一つだけある、金木犀の木に囲まれた駄菓子屋さんの前から出ていた。

 バスの走る道は、最近舗装されたらしく、田んぼの畦道や駄菓子屋さんの古い軒先に似合わず、広くぴかぴか光っていた。

 私たちを乗せたバスは、新しいアスファルトの道をすいすいと走って色づき始めた山を登ってゆく。

「紅葉は、まだやなぁ」

 おばあちゃんがなつかしそうにつぶやいた。 

「おばあちゃん、まだ着かへんの?」

 私は、見たこともない景色に気を取られながらも、同じ風景が続くことに少し飽きてきていた。

「うん、もうすぐや」

「あの赤い花、きれいやな」

 バスに乗ったときからずっと気になっていた花、畦道につらなって咲く花を指差した。

「あれか? ほんまにきれいやなぁ。あれは、彼岸花って言うんやで。秋は、金木犀、紅葉、彼岸花。ここにはいっぱいある。ここはやっぱり秋がええなぁ。ほんまにここは、ええとこやなぁ」

 おばあちゃんはやさしい目をして遠くをながめた。

「赤い花は彼岸花っていうの?」

「千代ちゃんは、彼岸花を初めて見たんか?」

「うん」

「お彼岸のころに咲くさかいそう呼ばれてるんや」

「お彼岸って何?」

「仏さんの世界ではな、死んだ人が行くところを彼岸っていうんや。彼岸は西にあるそうや」

「なんで?」

「さぁ、おばあちゃんもよう知らんけどな、そうなんやて」

「ふうん」

「きょうは、秋分の日で千代ちゃんの学校もお休みやろ?」

「うん。先生、そういうたはった。あ、お墓にお参りする日やていうたはったわ。なんでやろ」

「春分と秋分は太陽が真東から昇って真西に沈むんやて、昼と夜の長さがほぼ同じになる日やさかい、この世と彼岸が一番近こうなる日なんや。そやから、お墓参りに行くんやて」

「……」


 バスが止まった。

 バスを下りて、少し戻ったところに親戚の家があった。家の横に大きな柿の木とニワトリ小屋があった。

 家に入る前に私とおばあちゃんは周りを見渡した。おばあちゃんの顔は、懐かしそうにちょっと笑っていた。

 バス通りから下に広がる畦道の両側には、赤い花が咲き連なっていた。

「赤い花、きれいやなぁ。ずっとずっと先まで続いている。花の道みたいや」

 私がいった。

「彼岸花は葉っぱがないやろ。花が散ってから、葉っぱがでてくるんやで」

「ほんで、赤い色ばっかりなんや」

「まんじゅしゃげ、ともいうんやで」

「まんじゅう……。おまんじゅう? うん、にてるわ。花のおまんじゅうや」

「おまんじゅうとはちがうがな。曼珠沙華って難しい字を書くんや。仏さんの話の中にでてくる花なんや」

「お話の中の花?」

「そうや。ええ事が起こる兆しに赤い花が空からふってくるって、お話の中にあるんや」

「きざし?」

「これからええ事がおこりますよ、って教えてくれることや」

「この花が、空からいっぱい降ってきたら、ええことがおこるん?」

「そうや」

「いやぁ、ほんま?」

 私は、両手で胸を抱いて空を見上げた。

「きれいやろなぁ」

 私はくるくる回った。

「きれいやろなぁ……」

 おばあちゃんも空を見上げて何回も瞬きをしていた。

 レースのような赤い花が落ちてくるのが見えるようだった。私は花を受け止めるように両手を広げた。


 親戚の人と一緒にお墓参りに行った。

 みんなは、お墓を掃除したりお線香を上げたりしていた。

 けれど、私はやっぱり田んぼの畦道に続いている彼岸花に気を取られていた。

 あそこの道をずっといったらどこへ行くんやろ……。

 私は歩き出していた。両側の畦は彼岸花でいっぱいだった。

「きれいやなぁ」

 私は、彼岸花に誘われるように歩いた。

 立ち止まり、一本の彼岸花に手をかけた。茎がポキンとおれた。

 一本、二本、三本……。

 摘みながら畦道をどんどん歩いた。気がつくと、彼岸花で両手がいっぱいになっていた。

「あいつ、何してるんや」

 バス通りのほうから、怒ったような少年の声がした。

 振り向くと、近所の子供らしい二人の少年が遠くから私を指さしていた。

「何してるんや?」

 口を両手で囲って、私に叫んだ。

「お前、その花、摘んで家に持て帰ったら、家が燃えてしまうの知らんのか?」

 大声で叫んでいる 

(家が燃えてしまう……)

 私は息をのんで抱えている彼岸花を見た。花々は、燃えるような赤だった。

 急に私の腕から力が抜けていった。赤い花が、すとすとと足下に落ちていった。

 私は、早くお墓の方に帰らなきゃと思った。 お墓はどっち?

 私は、ぐるぐると辺りを見回した。お墓は見えない。初めて見る景色だった。どれだけ歩いてきたんだろう……。ここはどこなんだろう……。

 家が燃えると叫んでいた少年を探した。お墓に続く道を教えてくれるかもしれない。いない。もうどこにも少年の姿は見えなかった。早く帰らなきゃ……。

 辺り一面、田んぼと彼岸花がさいた畦道だけだった。遠くには黒々と影を作っている山々がつらなっていた。家一軒も見えない。

 早く帰らなきゃ……。

 私は、知らない畦道をふらふらと歩き始めた。どれだけ歩けば、人の住む家があるんだろう。

 私は、とぼとぼ歩き続けた。

 歩き続けてふと足元を見ると、さっき落とした彼岸花があった。

「あかん、なんぼ歩いても元の場所や。私、迷子になってしもうた……。足がいとうて、歩けへん。もうきっと、家には帰れへんのや」

 しゃがみ込んで頭を抱えた。

 一息ついて顔を上げると、山と山の間に日が沈みかけているのが見えた。赤い空は彼岸花の色だった。それから、だんだん紫になっていった。

 畦道の彼岸花が黒い花に変わっていく。

「真っ暗になる前に、歩かなあかん……」

 足をさすり、私は、もう一度歩き始めた。涙でまわりがよくみえない。

「おかあちゃん……」

 空が紫色から濃藍色になった。

 辺りが闇に沈んでいくのと反対に、彼岸花だけがが赤く浮かび上がってきた。

 歩いてる道の両側の彼岸花が、炎を吹いて赤く燃えているように見える。炎は空からふってくるようにも見えた。

「花、燃えてる」

 燃えている彼岸花の中を私は歩いた。ここを歩いて行きなさいと彼岸花がいっている。畦道を私はまっすぐに進んだ。


「千代ちゃん」

 おばあちゃんの大きな声がした。

「どこ行ってたん」

「おばあちゃーん」

 私は走っておばあちゃんに抱きついた。

「もう、かってに行ったらあかんやろ。心配したやないか。どこいってたんや」

「お花摘んでた」

「彼岸花摘んでたんか?」

 うん、と私はうなずいた。

「お花摘んだら、家が火事になるっていわはった」

「だれがそんなこというたんや。摘んでも、火事になんかならへん。火事になんかならへんのに決まってるがな」

「そやけど、そういわはったし、怖ぁなって私、花捨てた。そしたら、道に火がついたんや……」

「そうか、そうか。そやけど、ほら、見てみ。どっこも、火事になんかなってへんやろ」

 私は、周りを見回した。

 影だけの世界だった。山、田んぼ、畦道。みんな真っ黒だった。

 おばあちゃんの手が私の頭をなでた。

「赤い花が、道を教えてくれはったんや」

 私はおばあちゃんの顔を見上げた。

「そうか……」

 おばあちゃんが不思議そうに首を傾けた。

「きれいやった……」

 私は少しだけ笑った。

 周りの彼岸花は、黒く焦げた色に変わっていた。

  

             了

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