縁(えにし)


 夕方の部屋の中は暗かった。けれど、電気をつけようとは思わなかった。不思議な気持ちが消えてしまいそうで、からだが動かなかった。

「あんた、だれ?」

 私は、新聞の中の少年に声をかけていた。白黒写真の人は答えない。涼しげな目が私を見ていた。

「どこかで、おうたような気がするけど。思い出されへん。そやけど、絶対知ってる人や」

 私は、思い出しそうで思い出せない気持ち悪さを胸におしこめて顔をしかめた。新聞をたたんで、ため息をついた。

「ただいま。いや、びっくりした。千代、こんな暗いとこで、何してんの?」

 学校から帰ってきたおねえちゃんが、鞄をだきかかえて私に聞いた。

「あ、おねえちゃん。おかえり。あんな……」

 私は、たたんだ新聞をもう一度たたみの上に広げた。

「この人、私、見たことあるねん」

「だれ?」

 おねえちゃんは、新聞をのぞき込んだ。

「あたりまえや。この人きのうテレビに出たはったやんか。見たことあるのはあたりまえや」

「あ、そうか……。そら見たことあるはずやなぁ」

 私は笑った。

「しっかりしいや、千代」

 おねえちゃんはそういって、さっさと二階へ上がっていった。

 私は背伸びをして、部屋の電気のひもをひっぱり、つけた。白熱球のだいだい色が、ぼんやり新聞の写真をてらしだしていた。

 見下ろして、私はやっぱりこの人を見たことがあると思った。

 きのうテレビの中で、たしかにこの人を見た。けれど、何かが全くちがっていた。きのう見た人だから、見た感じがするというのとはちがう。きのう見た人が、こんなに懐かしい感じがするものだろうか。

「やっぱりなんかちがうわ。私はこの人、絶対知ってるんや」

 私は「ふーん」とため息をついて、もう一度新聞の写真を見つめた。


 夜、二階へ上がろうとしておばあちゃんの部屋を通った。二階に上がる階段は、おばあちゃんの部屋にあった。

 おばあちゃんはもう寝ようとしていたのか、お布団が部屋の隅にひいてある。その前で、おばあちゃんは鏡をのぞき込んでいた。

 私は、鏡の中のおばあちゃんに「おやすみなさい」といった。

 鏡の中のおばあちゃんもにっこり笑って「おやすみ」といってくれた。

 鏡の中のおばあちゃんが、ふっと懐かしい人に見えた。白黒の写真に見えた。

「あ、あの写真」

 私は、新聞の中の少年の写真を思い出した。

(こんな感じや。こんな感じに見えたんや)

「おばあちゃん。おうたこともない人やのに、見たことあるって思うこと、あるやろか?」

 私は、おばあちゃんの背中にいった。

 おばあちゃんは、ゆっくりこちらをむいた。

 もう、白黒の写真ではなかった。

「おうたこともないのに、見たことがあるって思うこと?」

 うん、私はうなずいた。

「思い出さへんけど、やっぱり、どこかでおうてんのとちがうか。忘れてしもただけとちがうか」

「うん、そうかなぁ……」

「どっかの駅とか、道ですれちごたけど、今は、覚えてへんということとちがうか?」

「やっぱり、ちがうわ。そんなんとちがうねん。なんか、ようわからへんけど懐かしい感じがして、他人とは思えへんねん」

「他人とは思えへんてか? 千代ちゃんはえらいむずかしい言葉知ってるなぁ」

「あ、笑わんといて。ほんまに、ここがきゅんってするぐらいなつかしいねん。涙が出るほどなつかしいて、かなんねん」

 私は胸をおさえて、お布団の上にすわりこんだ。

「そやな、それやったら。前世の縁かもしれんな」

「前世?」

「そうやな。仏さんの教えでな、人は生まれ変わるっていうのがあるんや。生まれる前に全然別の場所で全然別の人として生きていたっていうことや」

「ほんま? 私もお姫様やったかもしれへんの?」

「さあなぁ。ありんこやったかもしれへんで。その胸がきゅんとするような人が、水たまりでおぼれていた千代ちゃんありんこを助けてくれた人やったっていうのは、どうえ?」

「いや、そんなんいやや」

「うそや、うそや。千代ちゃんがお姫様やったときに、その人におうたんかもしれん。それが、前世の縁や」

「ふーん、そうか。そうなこともあるんや」

 私がつぶやくと、おばあちゃんはけらけら笑い出した。

「なんや、おばあちゃん、私にうそいうたん?」

「うそやない。うそやない。そやけどな、そんな前世を引きずるぐらいの縁っていうのは、そうそうはないで。千代ちゃんの気持ちもわかるけど、それは、やっぱりどこかの道ででもすれちごた人やと思うわ」

「おねえちゃんは、その人、きのうテレビに出たはったっていわはった」

「そやろ。やっぱり、そういうことや」

 おばあちゃんは、うんうんとうなずいて笑っていた。


 私は、夢を見た。

 家が燃えている。町が燃えている。煙でのどが痛い。

「戦です。一人で逃げなさい」

 着物の襟元を乱した髪の長い女の人が、私にいっている。

(一人では、よう逃げん)

 私は、胸の中でつぶやいていた。

 人の悲鳴。叫び声。怒鳴り声。金属のぶつかる音。馬のいななき。乱れた足音。

 私は夢の中で、これは戦国の時代かもしれへん、と思っていた。学校の図書室にあったマンガ本で見たような気がする。

「殺せ! 殺せ! 女、子どもとて容赦はするな!」

 男の怒鳴り声がする。

「逃げなさい」

 女の人は私を押した。

 私は「夢や、これは夢や」とつぶやいていてふらふらと立ちあがる。二、三歩、歩き出して立ち止まった。

 女の人の悲鳴が聞こえた。

 振り向いたとき、襟首をつかまれた。

「子どもか……」

 みすぼらしい鎧の少年が私に刃をつきつけていた。髪は乱れ顔は黒くよごれていた。かすかに焦げ臭いにおいがした。肩が上下して激しく息をしているのがわかる。けれど、私を見ている目はなぜか澄んでいた。

「あ、知ってる……」

 私はうれしくなって、少年の顔を指さしてさけんだ。

 少年はぎらぎら目を血走らせたまま、悲しそうな顔をした。きっと、私の頭の中が恐怖で混乱しているように思ったのだろう。

「次には、戦のない世に生まれておいで……」

 少年はつぶやいた。

(そうか、私はこの人に、殺されたんや)

 その時、私は、殺されるというより、むずかしい問題が解けたときのように爽快さを感じていた。きっと顔も笑っていたと思う。

 目の前の少年のほほに、涙がつーと流れた。

(殺される方もいややけど、殺す方もつらいんやろうなぁ)

 そう思うと、私も悲しくなってきた。何かいわなくっちゃいけないような気がする。でも、こんなとき何をいえばいいのかわからない。

 ふっと口を開くと「あんたも……な」と、つぶやいていた。

 グァン、ガ、ガガガー、爆音がした。

 遠くで、影のような大きな建物が炎につつまれ、くずれおちていった。


 私は、飛び起きた。

「どうしたんえ?」

 となりに寝ていたおかあさんが、寝ぼけた声を出した。

「ああ、私、死んでへん……」

 私は、両手で胸をおさえた。

「何?」

「夢、見てん」

「恐い夢か?」

「刀でさされた」

「え!」

 おかあさんがお布団を押し上げて、からだを起こした。

「ちがう……、マンガのはなし……」

「何いうてんねん、寝ぼけてるんかいな。びっくりするやん。もう、はよ寝よし」

 おかあさんがからだを横たえて、掛け布団を引っ張り上げる。

「うん」

 私は、お布団の中にもう一度もぐりこんだ。

(おばあちゃんが変なことゆわはったさかい、変な夢見てしもた。そやけどあの人、ようにてたなぁ、新聞の人に。あ、そうか、新聞の人が気になってたさかい、こんな変な夢見てしもたんか。もう、考えんとこ)

 私は、お布団を頭からかぶって目を閉じた。



                了


 

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