苦い色

   

 夏の夜の一日、私たちの最大の楽しみがはじまる。

 その日、市電が走っている大通りの洋服屋さんの特売日なのだ。私たちはそこで、お母さんのいなかに着ていく服を自由に選んでいいことになっていた。

「どれでも、好きなもん選びよし」

 お母さんがそういって、私とおねえちゃんの財布に百円札を何枚か入れてくれる。それから、私たちは洋服の山の中に入っていく。

 壁につしてある服やマネキンが着ている服をながめて、どの服にしようかとまよう。

「私、これ」

 おねえちゃんは、もう自分の好きなワンピースを見つけて、店員さんに壁からおろしてもらていた。

 からだにあわせて、鏡の前に立っている。

 ピンクの大きな花が白いスカートにさいていた。おねえちゃんは、お花から出てきた妖精のようにクルンと回った。

「わぁ、きれいや。私もそれがええ」

 私は、おねえちゃんに走りよった。

「あかん。千代ちゃんは、千代ちゃんでえらばなあかん。おそろいは、いやや」

「ええやん。私もそれがええ」

「もう、千代は私のまねばっかりするし、かなん。もういやや」

「なにけんかしてるんえ?」

 お母さんが、近づいてきた。

「私がこの服がええっていうたら、千代もこれがええていうんやもん、かなんわ」

「まあ、おそろいもええやないの。小さいのがあるか店員さんに聞いたげるし、ちょっと待ちなさい」

 お母さんは、店員さんを呼んで七才用のものがあるかどうか、聞いていた。

 おねえちゃんは私の顔を見て、キッとにらんだ。

「えっと、それは、もうその大きさしかないんです」

 店員さんがいった。

 おねえちゃんは、満足そうにニヤッと笑った。

 私は悲しかった。私も、お花の妖精になりたかった。

「こちらのお子さんでしたら、こんなのはどうですか?」

 店員さんは奥から服を持ってきて、私のからだにあてた。

 私はその服を見てびっくりした。汚い色だった。焦げ茶色にもっと濃い焦げ茶色のリボンがついているワンピースだった。ちょうちんそではかわいかったが、スカートがふんわりしていない。

(こんな色を着た妖精なんか、いいひんわ。こんな色は、いやや)

 私が「いやや」と声を出す前に、店員さんがいった。

「いやー、ようにあわはるわ」

 その声に、となりのおばさんがこちらをむいた。

「いや、ほんま。ようにあわはるなぁ。かわいいわ」

 おばさんは目を細めて、私を見ている。

「ようにおてる、ようにおてる。それが、ええわ」

 お母さんも、にこにこ笑っていた。

 私は「いやや」という言葉をのみこんだ。「それで、ええか?」

 お母さんが聞いた。

 私はよくわからないまま、うんとうなずいていた。


 お母さんのいなかに行く朝、私は二階のへやで泣いていた。おねえちゃんは、さっさとピンクの花もようのワンピースを着て、スカートをひらひらさせて階段をおりていった。

「もう、なんでこれがいやなん。あんたが、これがええていうたんやろ?」

 お母さんが、焦げ茶色のワンピースを着た私にいった。

「いうてへん。こんなんきらいや」

「いまさら、なにいうてんの?」

「いやや、いやや。こんなん着とうない」

「ほんなら、なに着ていくんやな」

「いやや、こんな汚い色、きらいや」

 私は、洋服ダンスを力いっぱいあけた。

(私は、妖精みたいな服が着たいんや。こんな汚い色、おばあちゃんみたいや。もっとかわいいのがええ。もっとかわいいのが着たいんや。これもちがう。こんなんいつも着てる服や。これもこれも、いやや)

 私はいつも着ている服を、畳の上に放り散らかした。

「なにしてんの。そんなことするんやったらかってにし。わがままばっかりいうんやったら、もうつれて行かへんしな。よう考え」

 お母さんは、そういって階段をおりていってしまった。

「ちがう。ちがう。こんなんちがう」

 私は、悔しくって散らばっている服を足で蹴って、畳の上にうつ伏した。

「なに泣いてるんや」

 階段をギーギーいわせて、おばあちゃんが二階のへやに上がってきた。

「お父さんとお母さんが下で待ったはるえ。はよ、着替えへんかったら、行ってしまはるえ」

「こんな服、いやや」

 私は顔も上げず、泣きつづけた。

「この服か? ええ色やなぁ」

 私はちょっと顔を上げた。おばあちゃんは私の着たワンピースを見ていた。

「やっぱり、こんなん、おばあちゃん色や」

 私は、ワンピースをにらんだ。

「そうか? おばあちゃんには、大人の色に見えるけどなぁ。苦い色や」

「苦い色?」

「そうや。苦い味は大人にしかわからへんのや。コーヒーブラウンやな」

「コーヒーブラウン?」

「そうや、コーヒーの茶色」

 コーヒーブラウン。

 私は、おばあちゃんが飲んでいたコーヒーを思い出した。私にも飲ませてとせがんで、少し飲んでみたが、苦くてなめることもできなかった。こんなに苦いコーヒーを飲めるおばあちゃんがふしぎだった。

「そうや。ええ色や。大人にはわかるええ色や。ほら見てみ」

 おばあちゃんは、私を姿見の鏡の前に立たせた。

「うつむいたら、あかん。ほら、涙ふいて、ちょっとあごを上げてみ。どんな人が見える?」

 鏡の中には、私がコーヒーブラウンの服を着て立っていた。

「ようにおてるえ」

 おばあちゃんが、私の後ろで影のようにうつている。

 私は、ちょっと胸を張ってみた。すると、少し大人になったような気がした。

「そうそう、大人は背中で服を着るんやで」

 私は、おばあちゃんの顔を鏡の中で見た。

 おばあちゃんの目が私をじっと見ている。

 鏡の中のおばあちゃんは、知ってるおばあちゃんではなかった。とても若い。きっと、コーヒーブラウンの服がよくにあう。真っ白のコーヒーカップがよくにあうと思った。

 私はおばあちゃんをじっと見つめていた。

 少ししておばあちゃんは、私の肩をトントンとたたいた。

「さあ、もう、ええやろ? お母さんが待ったはるえ。行ってきよし」

 鏡の中のおばあちゃんが、にっこり笑った。


              了

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