第3話 今日も世界は曇り空

「今日の食料は見つかったか? 」

「ダメ。もうこの辺りじゃ全然見つからないよ。場所を変えないといけないのかも」

 俺が聞くと、女の子は肩を竦めて、残念そうに眉を落としてそう言った。

「そうか」

「……うん」

 沈黙が流れる。少しだけ賑やかだった廃ビルがまた寂しい顔に戻った。

 襲われていた女の子を助けたあの日から、1週間が経つ。俺はまだ女の子と一緒にいた。

 男達にボコボコされたにあの日。俺は目が覚めてすぐ、この廃ビルを離れ、寝床探しを再開しようとしたのだが、女の子に引き留められた。

 そして、何をするかと思えば、お礼といって彼女が作ったシチューを渡された。見知らぬ誰かのご飯というのに多少の警戒心はあったけれど、もくもく湯気をあげ、食欲をそそる甘い匂いで鼻孔をくすぐってくる白いシチューには勝てなかった。誰かのご飯、されどご飯。

 それからなぜか俺の身の上話になり、シチューを飲みながら寝る場所がないと言うと、女の子はじゃあ、しばらくここで生活する? とあっけからんとした様子で提案してきたのだ。

 容器と親指で挟むように押さえていたスプーンがシチューの中に落ちて沈んだ。

 それから一週間、俺はこの女の子と一緒に行動している。


 俺はこの女の子について殆ど知らない。見た目からは俺と同じぐらいの年齢のように見えるが、俺が知っているのはあの日男達に襲われていた事と、そして、この女の子も穴に落ちないということだけだった。

 外に食糧探しに出ている時、この子も平然と穴の上を歩いた。俺にあの男達そしてこの女の子。まだこの世界に残っている人間は全員穴に落ちることが出来ないのだろうか。

 一度、どうして男達に襲われてたんだ。と聞いたことがある。女の子は男が持っていた大きなナイフが欲しかったから。と答えた。普段は穏やかそうで気の抜けた表情でいる彼女だが、この時だけは柔らかさが消え、張りつめた雰囲気を纏っていた。大抵何かが起こることには理由がある。傍から見たら男達に襲われていた可哀そうな女の子だが、もしかしたらこの女の子も碌な人間ではないのかもしれない。  

 その日の夜、女の子はずっと廃ビルの端から外を眺めていた。


 そして今。

「場所を変えるってどこに行くつもりなんだ? 」

 そう聞くと、女の子は自信なさげに答える。

「……隣の街とか? 」

「隣の街じゃここと大して変わらないじゃないか? 」

 女の子の提案に俺はぶっきらぼうに返す。

 女の子の表情が少し不機嫌そうなものになった。下唇を薄く噛み、じっと睨みつけるような視線が俺に向いていた。

「……じゃあもっと遠くに行く」

「遠くって? 」

「こことは全然違う晴れやかな場所。皆優しくて、笑顔に溢れてて、食糧にも困らなくて、毎日が楽しみに感じるような場所」

 思わず、ははっ、と心底呆れた笑い声が出た。女の子がむっと眉をしかめる。

「そんなとこ、あるわけないだろ? 外を見て見ろよ」

 廃ビルの外に広がる風景は、さながら世紀末。荒廃したビル、地面にぽっかりと開いた黒い穴。そして、そんな街をわずかな人間が虚ろな表情で徘徊している。

 こんなことになっているにもかかわらず、自衛隊も警察もテレビのリポーターも現れていない。もし、他に無事な地域があるならばここだけ放置されるなんてことはないだろう。

 ここだけじゃない。もうこの世界は終わっているのだ。

 女の子はビルの外を一瞥して、悲し気に顔を落とした。

「……そんなの行ってみないと分からないじゃん」

 弱弱しく呟いた。

 それ以上俺は何も答えなかった。

 毛布にくるまって横になる。今日がもう寝ることにした。

 目を閉じる。床は酷く冷たかった。

 そして、目を閉じているとビルの床を伝ってコツン、コツンという音が耳に響いた。その音はだんだんと小さくなっていく。

 コツン。コツン。コツン……。

 連続して聞こえていた音が止まった。

「……………ねぇ? 君も探しに行かない? 」

 まるで、来てほしいとでも言いたげな、縋るような声だった。

 だがそれに続く声はなかった。

 女の子の声だけが寂しげに反響して消えていく。再び、コツン。コツンという音が鳴りだして、その音はどんどん遠くに離れていった。 

 俺は膝を抱え込むように毛布の中で丸くなった。


 女の子がいなくなって3日が経とうとしていた。あれからろくな食料は見つかっていない。水も今日は一滴も飲んでいなかった。

 舌が乾いて喉に切れたような痛みが走る。唾を飲み込むと鉄の味がした。

 煤けた柱に背を預けて、そこから外の景色をぼうっと眺める。食事をしていないせいか、今日は外の風景がより一層淡泊に見えた。それはまるでモノクロ映画のような色の消えた世界。

 ……こんなに暗かったっけ?

 視界がだんだんと暗くなっていく。体に力が入らない。ドサリ、と鈍い音が廃れたビルの中に響いた。

 

 体が寒かった。体を丸めて、毛布を体に巻き付けても寒さは全く消えなかった。むしろ、どんどん寒さは増す。手足の先がゆっくりと崩れ落ちていくかのように、だんだんと感覚がなくなっていった。

 心臓の鼓動がゆっくりになる。トクン……トクン……………トクン。弱弱しい鼓動は今にも止まりそうで、このまま止まってしまったら一体どうなってしまうのだろう。

 怖し、嫌だ。けれど少しだけ、そうなることを望んでいる自分がいた。

 ……楽に。

 その時だった。頬に柔らかくて温かいものが触れてきた。天日干しした布団みたいな心地のいい温度で、少し寒さが和らいだ。

 おぼろげだった意識が戻っていく。僅かに瞼を開けると、霞む視界の中に映る人影があった。

 それを見て、俺は残る体力を振り絞って口を歪めた。かすれた声で、馬鹿にするように笑った。

「……ほらな。やっぱりなかっただろ。この世界にそんな場所はねぇよ」

 女の子はボロボロだった。髪はぼさぼさ、服には乱雑に引き裂かれたような切れ目があり、体にもいたるところにかすり傷がある。ひと際目についたのは、腕にあったナイフで切ったような切り傷だった。傷口は深く、腕を通って手首からポタポタと赤い血が垂れていた。

 けれど、女の子はそんな傷の事は全くにした様子はない。生気の消えた暗い瞳でどこか虚空を見つめて、俺の頬を手で触れたまま呟いた。

「なんでこの世界はずっと曇り空なの? 」

 俺が答えに言い淀んでいると、頬にポタっと水滴が落ちてきた。

 虚ろな表情をした女の子の両目から垂れる透明なそれは、俺の頬に絶えず落ち続けた。

 俺は悲鳴を上げる体に鞭をうって、体を起こす。

 廃ビルから覗く外の風景。空は今日も灰色に包まれている。

 穴が出来てから空はずっと曇り空。その理由は俺も知らない。

 視界に映る女の子は感情の消えた表情で涙だけを流している。

 俺は何も言わず、ゆっくりと女の子の背に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。女の子は抵抗しなかった。無表情のまま、つーと涙を流し続けた。

  






  

 

 

 

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