第2話 出会い
いたるところに穴が開いた結果、建物が消失することもあった。理屈は分からないが、建物と穴が重なるとその建物は削り取られたかのように綺麗になくなった。
幸いなことに俺の家は穴の餌食にはならなかった。穴が開いた日から今日まで俺は家で生活を続けてこれている。
この世界になってからの一日は基本街での食料探しで終わる。スーパーやコンビニなどに侵入して食料を探し、持ち帰る。
勿論最初は罪悪感もあった。初めて物を勝手に持ち帰った日は、心臓の音がうるさくて寝れなかった。けれど日が経てば経つほど罪悪感は次第に薄れていった。
最初は豊富にあった食料も最近は明らかに見つかりににくくなっている。
もう先は短いのかもしれない。けれど、なぜか心は少しほっとしていた。
食糧探しを終えたら、家に戻り、食事をとって、少しだけ散歩して、寝る。それが俺のこの世界の一日だった。
そしてその日も食糧探しを終えて、散歩に出かけた。灰色の空の下に広がる荒んだ家々。ひび割れた地面。それが散歩のおつまみになる。今日も世界は静けさに包まれていた。自分の足音がよく耳に響いた。
ただこの日の散歩には頼んでもいないメインディッシュがついてきた。
散歩から家に帰ると家がなくなっていたのだ。代わりに大きな穴がそこにはあった。おあつらえ向きに、丁度家をすっぽりのみ込めるぐらいの大きさだった。
はは、と乾いた笑い声が漏れる。
勢いよく走りだして穴に飛び込んだ。やはり俺の体は穴には落ちない。ジーンと足裏に染みる感触伝わってきて、まるで透明な硬化ガラスの上に立っているような感覚だった。
周りを見渡す。視界の隅に家の表札とインターホンを見つけた。ギリギリ穴の外側にあったため、穴の餌食にはならなかったようだ。腹から笑った。
名前の付いた板とインターホンだけ残して、家を消すとはこの穴は性根が腐っているに違いない。
「このっ……!! 」
乱雑にピンポンを押した。勿論チャイムはならなかった。
この世界になってから、夜の街にくり出すのは初めてだった。散歩で夜に外出しても家の周りを歩くだけだったのだ。
どうしてか。そんなのは決まっている。ただでさコンビニやスーパーの窓ガラスがバリバリに割られ、盗みが日常なこの世界。そんな世界が闇に包まれたら。
とっても危ない世界の完成である。そして、であるにも関わらず、危ない世界には余計なアクセントが加えられる。
悪い人は暗い世界ほど活発に動きやすい。本当にどうして。なんで暗くなったら現れる。
現在、俺はそんな悪い人達に追われていた。
ちょっと視線を向けただけだ。今日の寝床はどうしようと、雨風しのげる場所を探してキョロキョロしていたら、偶然視界に映りこんできたのだ。道のど真ん中で、男三人が一人の女の子を押さえつけていた。そんな場所で犯行するなよと言いたかった。女の子は必死に手足を動かして、振りほどこうとしていたが、男三人に勝てるわけもなく。口を押さえられ、んんっ! んんっ! とくぐもった声をあげていたのだ。
そんな光景を発見して、唖然としているとその女の子と視線が合ってしまったのだ。縋りつくような瞳を向けれた。瞳が涙で濡れていた。
咄嗟に後退ろうとするが、足に重りでも括りつけられているみたいに重くなって動けなかった。舌が乾燥して、喉の奥がひりつく。
女の子はまだこっちを見ていた。
なんで。なんで俺にそんな目を向けるんだよ。
こんな時俺は、正義感で心がいっぱいになって正面から立ち向かおうとするほど勇敢な性格ではない。寧ろ知らない人のために自分が傷つくのは怖いと思う。
けれど、俺の足はビタッと地面に張り付いて動くことが出来なかった。
卑怯だろ。
手先が震えた。怒りや不安や無力さが入り乱れた名前のない感情が胸の中で暴れる。感情はぐるぐると渦巻いて膨れ上がる。
歯に力を入れ過ぎたせいで奥歯が擦れて、ギリッと脳内に嫌な音が響いた。
「うわぁぁぁ!! 」
情けない叫び声をあげる。男たちがこっちを向いた。もう後戻りは出来ない。道端に落ちていた石を拾うと、男達めがけて投げた。なんでこんなことをしているんだろう。
男たちが憤怒の形相でこちらに向かってくる。
慌てて俺も走りだす。背後からぶっ殺す! と物騒な叫び声が聞こえた。死ぬ気で走った。でないと死ぬと思ったから。
前方に穴を見つけた。俺は穴に落ちない。あの穴に行けば男達は入ってこれないかもしれない。その策に賭けてどうにか穴の上にたどりつく。痛む肺を押さえて、ばっと振り向く。
男達は一切勢いを抑えることなく穴の中に入ってきていた。
「……はは」
乾いた笑い声が漏れた。
空は今日も曇り空。せめて世闇に輝くお月様のスポットライトでもあれば、少しはましだったかもしれない。
……ああ、最悪の気分だ。
目が覚めると、鼻を強烈な生臭さが襲った。あまりの臭さに飛び起きようとするも、体中に激痛が走って指一本動かせなかった。それに視界がいつもの4分の1ほどしか見えない。
狭まった視界であたりを見回して、ようやっと自分がどういう状況にあるのか把握した。
どうやら俺はあの後ボコボコにされ、ゴミ箱の中に放り込まれたらしい。強烈な生臭さの正体は分別という概念を完全に忘れ去られ、乱雑に放置されているこのゴミの塊が原因だった。視界が狭いのは顔がパンパンに腫れているからだろう。
家もなくなって、知らない男達にリンチにされて、ゴミ箱にぶち込まれる。明日はきっと良い事があるのだろうか。
体は動きそうにないし、今日はここで寝てしまおうと瞼を閉じた。意識はすぐに遠のいていった。
再び意識が戻った時、俺は見知らぬ廃ビルにいた。夢遊病でも発症したのだろうかと、一瞬そう考えたが答えはすぐにでた。
背後でパチパチと木が燃える音がして振り向くと、焚火の火で横顔をオレンジに色に染めた女の子がいた。あの時の女の子だった。この人が俺をここまで運んだのだろう。服の肩部分に黒ずんだ血がついていた。
俺と視線があうと女の子はにへらと、柔和な笑みを浮かべて言った。
「ありがと」
言いたいことは色々あった。あんたは誰だ。なんで絡まれていたんだ。よくも巻き込んでくれたな。体中が痛いんだぞ。
そんな言葉が頭の中をぐるぐると彷徨った。
けれど、その言葉はどれも喉元まで来て引っかかる。俺はさっと顔を背けるとぶっきらぼうに言った。
「……どうも」
それが彼女との出会いだった。
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