炉端の献花台

 過ぎ去りしある日の事を、ふと思い出した日の朝を、数週間後の今日思い出す……。



 学生の頃、ある日の通学路。

 交差点の電柱にビニール紐でくくりつけられたペットボトルを見た。ペットボトルは上部が切りとられ花瓶のようになっていて、その日以降はいつも花が生けられていた。

 ひと月も経つと少しずつ花が枯れ始める日がちらほらとあったが、そこから数日するとまた新しい花が生けられていた。

 私が大学を卒業する頃、ずっと残っていたドライフラワーのむくろのような物すら風に分解され、空のペットボトルはビニール紐を支点に傾いていた。

 その時、私も交差点の信号に引っ掛かって偶々気付いただけ。暫くその存在を忘れていた。腕を伸ばすと手が届いたので、信号が青に変わる前に傾いたペットボトルを真っ直ぐに戻した。

 その後、卒業までに一度だけ新しく花が生けられることがあったように思う。


 今、バイト出勤前になんでこんなことを思い出したのか?

 考え事をしながらヘルメットを被ると、ヘルメットの顎の部分を鼻にぶつけてしまった。痛みをこらえながらエンジンに火を入れてゆるゆると三千回転以下で走り出す。


 表通りに出てすぐに、女の子をタンデム席に乗せたNinja250Rとすれ違う。ライムグリーンでフルカウルの車体に二人とも半キャップにカジュアルな服装。

 一瞬違和感を覚えたが、身内でフルカウルのバイクに乗っている二人がスポーツ走行をするからフルフェイスにレーシングスーツなだけで、普通の人からすれば特別思い入れがなければフルカウルだろうがなんだろうが、ハーレーもカブもスクーターもみんな同じ、ただのバイクでしかない。

 勿論、バイク業界の端っこに片足を突っ込んでいるバイク用品店アルバイターとしてはご安全にフルフェイスを被って欲しいところだが、考え方を変えれば、ファッション層にかっこいいとまではいかなくても、安ければ乗ってもいいかと思われるようになったと捉えれば業界的にはプラスなことだろう。


 少しの間、車線が動いていない時に路肩を慎重に進んでいると後ろから迫ってくるバイクの排気音に気付いた。マフラーを変えた爆音のパラツイン。

 最近通勤時に一緒になる機会が多い彼はいつも遅刻しそうなのか、或いはせっかちなのか兎に角飛ばして走る。こちらはNinja250。ややこしいがこちらの方が先ほどのNinja250Rに比べて車格があり年式も新しい。


 一旦路肩を譲り、しばしの間だけ彼の後ろを追走する。

 彼は路肩が詰まってくると迷わず反対車線に躍り出る。信号に引っ掛かるまでそのままずっと反対車線を走っていく。私はそこまでする気がしないのと急いでいるわけでもないのでそのまま留まる。

 すり抜けのペースを上げれば追いつけない訳ではないと思うが、そう思っている時点で私は彼に負けているのだ。

 お次は、いつか事故ってしまうのでは? と心配する。これもお決まりの思考展開。だけど、それは私基準での話。彼の若さやライドテクならば、そんな不運と踊る事なく走り続けるのかも知れない。

 ここまで考えてみて漸く気付く。

 そもそも私は人の乗り方にとやかく言うのが好きじゃないのかも知れない。


 ただ、全てのバイク乗りがあんな風に交通法規を微塵も守らない生き物だと思われたくはない。そんな考えが浮かび、心にモヤモヤが残る。だけど果たして私はどうだろうかと自問自答する。

 流石に反対車線は走らないが、私だって急いでいるときは今よりも路肩を飛ばして走ることもある。例えは汚いが車のドライバーから見れば、まさに〝目糞鼻糞〟だろう。


 ……ここまでが今から一ヶ月程前のある日に私が考えていた事だ。いつの間にか飛ばして走る彼を見なくなっていた。

 今日、通勤路で信号待ちの際、道路脇の電柱に括り付けられたペットボトルに気付いた。だから一ヶ月前のあの日の思考が思い出された。


 この花はいつからあるんだろうか?

 彼をいつから見ていないだろう?


 信号が青になる。

 クラッチを繋ぎ交差点に侵入した所でどこからとも無く方向性の伝わりにくいサイレンの音が聞こえてきた。バックミラーと周囲を見渡して背後から近付いてくる救急車の音だと把握してGPZ900Rニンジャを道路端に寄せて徐行する。

 追越し車線の車もこちらの走行車線に進路変更してきたが、その時、緊急車輌よりも速く車の間を縫う様に爆音マフラーのNinja250が走り抜けていった。


「アハッ」

 思わずメットの中で声が漏れる。

 変わらない朝の風景に胸を撫で下ろした。

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