声が聞こえる?

 その男は「バイクの声が聞こえる」と真顔で話していた。


 バイト先の喫煙所、黒ベースにライムカラーの差し色が入ったワークシャツは私のお気に入り。だけど、ここでは薄手のパーカーを羽織ってタバコをふかす。とは言え、何人かの常連さんには顔バレするんだけどね。

 今日は珍しく見知った方はいない。


 そこで初めてお目に掛かるお客様の先ほどの一言。

「バカ言ってんじゃないわよ、バイクは機械だっつーの!」これは私の本音。

 客商売だとこう。

「お好きなんですね。バイクからも愛されてるんですよきっと」と、ここが店内の販売フロアならさらに笑顔追加。

 しかし休憩中の今は静観だ。赤く揺らめくタバコの先端を黙って見つめてやり過ごした。


 そんな事があった週末、シフト調整をして休みを取り、孝子が譲ってくれたクラッチマスターを取り付ける作業。一昨日思い付いて急遽連絡したにもかかわらず、特に予定も無いという宗則には当然のように手伝ってもらっている。コレ流石にもう千宏ちゃんとは終わってんよねきっと。

 作業後には久しぶりの宅飲みだけど、宗則と二人っきりてのも何となくトマトに悪いと思ったので洋子にも声を掛けた。辛島カレシも呼びなよとは言ったけど、流石に宗則を前に「私たち付き合ってマース!」ってのはキツいってさ。


「開けんべー」とクラッチレリーズ側で片口スパナをもった宗則が空気抜き用のエアブリードバルブを緩める。

「はいよ」と、こちらはクラッチマスターシリンダーのリザーバータンクに減っていくブレーキフルードを注ぎ足す。

 宗則が仮締めしたらレバー操作してタッチを確認する。

「つかアタシも買うかね、ワンマンブリーダー」それが宗則に持ってきて貰ったブレーキ周りの工具の名称。簡単な仕組みなんだけどこれがあるだけでブレーキフルードの入れ替えやエア抜きの時間が大幅に短縮できる。

「別に俺持ってるからいいんじゃね?」

「毎回借りるのも悪いし、そんな高いもんじゃないしさ」

「学生の頃は言えなかったよなーそんな台詞」

「まーアタシゃフリーターなんだけどね」

 作業をしながらそんな他愛もない会話を繰り返していて、ふとバイト先での彼の事を思い出した。

「そいやさー、バイト先で面白い人居たよー。真顔でバイクの声が聞こえるって言ってんの」

「あー、俺もヘッド周りからの声には耳を澄ますよ」

「それ声じゃなくて異音な」

「んー、まぁあるかもな。あ、ホースつまんでみ?」

「どこの?」

「タンクの」

「あ、結構でかい空気出た! つか声だよ。聞こえることある?」

「まぁなきにしも。タッチ出た?」

「今ので一気にキタ。さすがに速いね」

「元々一人で作業できる工具使って二人だしなぁ」


 マイニンジャはこれでクラッチもブレーキも孝子からのお下がりでグレードアップした訳で、貰っといてなんだけど金色のブレーキとクラッチマスターのおかげでハンドル周りの色遣いがガヤガヤしてきた。

 表面がざらついた梨地の処理に入り組んだ形状、しかも塗装に厳しいブレーキフルードが付着する確率高し。最近割と自信がついてきたとは言え、これを素人作業で塗り替えるのはちょっと踏ん切りがつかない。


「洋子ちゃん来たら酒の買い出し行くべ」

「ん。ついでにおつまみも買っちゃおうか?」

「そうだなー。大した作業してないけど疲労感っつーか、やっぱ働きながらの趣味ってのはなかなかしんどいな」

「その代わりお酒のグレードも呑み方もやっぱ学生の頃よか贅沢してる気ぃするよ」


 工具なんかを片付けながら駄弁っていると洋子から『そろそろ着くから何か買ってこようか?』とLINEが入った。

 すっかり頼む気満々で宗則に何か無いか聞くと意外な答え。

「偶にはみんなで散歩がてらコンビニまで歩くべ」

「え、ダルくない?」

「働き始めてからあんま歩かなくなってんのが気になるっちゃあ気になってたんだよなぁ」

 宗則は私の前で『社会人になってから』と言う言葉を使わない。未だバイト生活の私に気を遣っているんだと思う。

 それに学生の時からバイク移動メインの私達は元来歩かないのだ。なので今更感が漂う。だけど奴のいらん気遣いが少し心に届いた私も、偶にはいいかって気分になった。


 片付けも粗方終わる頃、ポンポン船のような単気筒の音が聞こえてきた。洋子のカフェ250TRが近づいてきた。

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