元聖衣

 その日は過ごしやすい気温で湿度も少なく爽やかな朝だというのに、なにもかもに苛ついていた。


 バックミラーよりもハンドルに固定したスマホを頻繁にチェックするスクーターにも。

 黄色線の始まりを半分過ぎてから車線変更して割り込んでくる軽トラックにも。


 そんな中、信号待ちで車列をすり抜けて前まで出てみると、最前列にホンダXL250Rの姿。

 その、なんというかフルノーマルで大事に乗られているのが一目でわかる。その姿に目を奪われた。


「美しい……」そんな月並みな感想しか出てこなかった。その佇まいにささくれ立っていた心が一瞬で癒された。


 年代物の、特にオフロードバイクはプラスチックパーツが多用されている関係でどうしても褪色してしまっているのが当たり前の状態として頭に刷り込まれてしまっている。

 硬度よりも柔軟性に振っているっぽいので樹脂の構成割合が違うのか、同年代のオンロードのそれよりも目に見えて褪せていく。それが赤色ならなおさらのこと。

 しかし目の前にいるXLの色褪せていないプラスチックパーツは目に染み入る程の赤。


 本当は横に並んで凝視したいけど、それはそれでヤバい人感丸出しなので斜め後ろからそっと眺める。

 ウインカーのオレンジも付け根のゴムパーツの黒も、一体どうやったらその状態を維持できるのだろうってくらい艶やか。シリコン系ケミカルで誤魔化してる感じもしないんだよね。

 どんな人が乗ってるんだろう、洗車とかどのくらいの頻度なのかな、おすすめのケミカルとか教えて欲しいな。


 バイクへの興味の何割かはそのオーナーへの興味に変わっていく。そして、逆説的だけどオーナー像が見えてこないバイクは、得てして魅力を感じないものだ。


 信号が変わってしまい、走り出すその車体について行きたかったけど、彼は直進、私は左折。数十秒にも届かない僅かな時間で、その車体は私の印象こころにしっかりと残った。



 そして数日後。

 ふらっと立ち寄ったドラッグストアの駐輪スペースでなんと同じXL250Rと遭遇した。ナンバーを憶えていたわけではないけど、こんなに綺麗な車体がそうそう居る筈がない。

 考えてみたら、通勤時間帯に出会ったのだから生活圏内もある程度被っているのだろう。

 いや、例え範囲を市内、さらに県内まで拡げてもおそらく見間違えることはない。車体自体はそこまでレアな訳でもないけど、ここまで綺麗に乗られていて、しかも日常の足ときたもんだ。


 これ店内に入ったらきっとヘルメット小脇に抱えている人がいて、そしたら私もこの人がオーナーかぁ、って目で見ちゃうよね。


 どんな人がオーナーなのか?

 気にはなるけど、謎は謎のままで知らない方が夢も見られる。そんな気がしてドラッグストアには立ち寄らずにまたニンジャに跨ってエンジンをかけた。

 何処かのみちの上で出逢える偶然、低くない確率だけど、そんな偶然を信じてクラッチを繋ぎ走り出した。



 ……ほんとの事言うと、XL250R見てる内に何買いに来たか忘れちゃったんだよね。

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