光の向こう側へ……

――バイクカバーはフロント側からはずす。

 本当はA6ミラーが欲しかったが、中古相場が高くてやや妥協して落札した400Rミラーがカバーと当たって傾く。


 いつものことだ。


 今度増し締めしとくか、ってな感じで目検討で元の位置へと戻す。


 今日は? いつもと変わらないやや遅めの今日。COBは定休日。


 アクセルを二回開けてエンジンにガソリンを送り込む。その他の乗車前儀式が終わる頃にはいい感じに気化してる筈。

 バイクカバーを雑に畳む。ライダースのフロントジッパーを一番上まで上げる。メットを被って顎紐を二回、いつもより丁寧に通す。グローブを嵌めて交互に二回ほどグッぱグッぱと手を握々にぎにぎする。キーを捻ってギアをニュートラルに入れる。緑のランプが点灯したらライトスイッチはオフ、キルスイッチはランになっていることを確認してセルスイッチを押す。


 そうして行く当てもなくクラッチを繋いだけれど、フロントタイヤは自然と箱根方面へ向かっていた。


 潮の香りがしはじめる前、視界の先にピッカピカのドノーマルCB1100FCとMonster797が見えた。

〝Sons Of the Sun 〟と書かれた屋号の下には大きくカラフルな太陽が描かれている。二人ともお揃いのCOLORS、辛島夫妻だ。

 そういえば昨日洋子が江ノ島に行くとか言っていた気がする。二人がバックミラーに映る私に気付いているのを確認して、空いている路肩を抜けていく。よく見えるように、肩辺りから大げさに左手を上げて走り去る。


 国道134号線に出る時、スーパーカブC125に乗った女子高生とすれ違った。その子が背負ってた天使の羽の様な飾りが付いたリュックを見て、孝子の幼馴染のゆず季ちゃんの事を思い出す。

「あは、懐かしいね。ゆず季ちゃんとも会ってないな。案外娘だったりして」


 西湘バイパスに乗り、潮の香りを全身に吸い込みながら気持ちよく流していると、追越車線をVMAX1700が尋常じゃない速度で走って行く。

 背中には〝GentleBreeze〟の文字と風をあしらったイラスト、真ん中には女性の姿が描かれている。私と洋子に続いて、三番目に同じ看板を掲げることになった第三の男。西湘バイパスは覆面出るっつーのに、あいつ免停怖くないのかね? あの様子じゃ私に気付いてないな。


「待てコラぁっ!」

 間髪入れず美しいインラインフォーの咆哮、視界の隅を紅い線が通り過ぎる。速度差にフルフェイス同士、聞こえる筈のない孝子の罵声が聞こえた気がした。


「もう一人いたか、免停を恐れないやつ……」

 革ツナギの上に袖切りトレーナーを重ね着。年季の入ったボロボロのそれには『G.B.』という二文字のロゴと、それを丸く囲むかぜを模したイラストがプリントされている。


 そして二人からはツーテンポ遅れて真っ白なVFR800R、こちらは親方日の丸を背負ったトワがパトライトを回しながら追尾していく。

 無線で応援を呼んでないところを見ると、あいつも一緒になって遊んでるな。


 今日は別に峠を攻めに来た訳じゃない。湯河原から椿ラインを上り、しとどの窟には立ち寄らず大観山PAまで一気に走り抜ける。すると駐輪場に革ツナギ姿の宗則とFTR。

「……流石にあんたまでいるとアタシも身の危険を感じるよ」

「今日はたまたま平日オフなんだよ。てかなんの話よ?」

「死亡フラグってやつ?」


 バカみたいな話でバカみたいに笑って、結局久しぶりに一往復だけ宗則とランデブー。お互いに気持ちよく流しているだけだけど、いつの間にか私も肩肘張らずに宗則のペースについて行けている。ずっと走り続けてきたけど、これからもそのつもりだ。だからもっともっと上手くなれる。成長に終わりはない、人生と同じだ。


 都内に帰らないといけない宗則はターンパイクを下っていき、私はというと沼津まで足を伸ばして遅めの昼食、だけどもう殆どディナーに近い。ラディナー?

 帰り道、西湘バイパスを飛ばしている頃にはすっかり暗くなっていた。


 ニンジャのライトが遥か前方を走るライダーの背中を照らす。だんだんと近付いていくと彼(彼女かも?)も看板を背負っているのがわかった。

 漆黒のVFR800Rを駆るその背中は頼りないほど細く、けれど年季の入ったライディングからは少しの不安感も滲み出ていなかった。すぐに追いつき追い抜きざまに彼の看板をチラ見する。そして自分の目を疑った。


〝GentleBreeze〟

 パッと見でせいぜい『G』と『B』しか読み取れない古めかしいデザイン。


 人がこうして生きていること、それ自体が奇跡の連続だと何かで読んだことがある。それは大袈裟かもだけど、こうして私がバイクに乗っているのだって、ちいさな色んな偶然がいくつも重なりあった結果なのかもとは思う。


 あぁ、そうか、もう二十年近く経ってるもんね。バイク変わっBMW降りたんだね。

 すぐに人差し指と中指を立てた左手を上げて、カッコつけてビッと挨拶する。

 私の背中は見えたかな、おじさん。


 バックミラーを凝視する。小さくなっていく彼のシルエットが僅かに動いてこちらに手を振っているような気がした。


 頭の中から気持ちいいくらい興奮物質が出ているのがわかる。


 前を向いたその瞬間、眩しいくらいの光が私の視界の全てを覆い尽くす。

 幸せな光に包まれて、恋とか憧れとか、二十代の頃から拗らせてきた色んな感情が私の身体から溢れていく。


―K41―

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