月夜鴉は火に祟る(仮)
北大路 美葉
第1話「猫」
月が真ん丸く、やけに大きく見えた。
ぐす、と
夏でなくてよかった――と、
名も知らぬ男たちは、みな同じように
ふんッと鼻息を漏らして、すずに覆い被さっていた男が果てた。やがて
「うう」
すずは呻きながら、いま何周目だろうか――と考えた。最前にも、このやり方と同様の覚えがある――。
明日の朝、
しかし、辰次は死んだ。物陰から出てきた複数人の男たちに口を塞がれ、背中から刺され、そのまま事切れた。刃物で心の臓を裂かれたらしく、
すずは声を上げる間もなく、
あまりの出来事が急に起きたおかげで、すずには
手向かえば、間違いなく殺される。だが、辰次がいなくなった今、自分には生きている意味もないとさえ思われた。
にゃあ、と猫の声がした。
*
短いスカートをはためかせ、小柄な少女が後方回し蹴りを繰り出した。脚は目に見えぬ速度で一閃し、靴の踵が獣の頭部を捉えて、そのまま蹴り飛ばす。
真っ直ぐに吹っ飛んだ獣は卒塔婆やら墓石やらを薙ぎ倒して、墓地の敷石に転がった。
「うわア」
ショートカットヘアの少女――
「
蹴りを放った少女に怒号を飛ばしながら、景は転げた獣に歩み寄り、掴み上げて首を捻じ切った。
乱暴に引きちぎられた獣は景の手の中で白い炎を上げて燃え、やがて消える。
夏休みも始まったばかりの七月二十二日。
現在時刻は深夜二時。いわゆる
表通りから住宅地側へ入ったところにある集合墓地では、今宵も人知れず、エトピリカたちによる
「――うるっさいなあ」
景の顔をちらりとも見ず、ミニスカートの少女――
「加減もなにも、デビュー戦なんじゃん。新人に文句言わないでよ、パイセン」
そう言うと、聖亞は景に向かってぺろりと舌を出す。
「いちいち癇に障る女だなあ!」
景は拳を振るい、傍らの墓石に叩きつけた。棹石が倒れて落ち、足元で砕ける。
「ちょっとちょっと! 夏海ちゃん! 注意してるそばから、自分が壊してどうすんの!」
白いドレスの少女が駆け寄ってきて、景の手を抑える。
「この下で眠ってる人も、お寺の人も、お墓を建てた人まで、びっくりして起きてきちゃうよ!」
大袈裟なフリルやらレースやらで過剰に飾り立てられたロリイタ服は、彼女本人というよりも、彼女の妹の趣味によるものだった。
「大きな音を立てると。すぐに見つかってしまう。二人とも」
その妹もやってきて、聖亞の手を取って諌めた。
「それに。あなた。無闇に周囲を壊せばいいというものではないの。攻撃と体力との。コストバランスを考えながら。闘うべき」
これまた豪奢な漆黒のドレスに身を包み、半眼のなんだか眠そうな表情のまま、訥々と言葉を紡ぐ。
歳下に注意を受けた聖亞は、不機嫌な顔を隠さず舌打ちをした。
「だって、こいつが無茶言うからぁ」
「誰が無茶言ってんだよ。墓場を荒らすなッ
「はあ? 荒らしてんのはあんただろ? 慣れてなくて力加減が分かんないあたしと違って、あんた今、故意に壊したよねえ?」
可愛らしく桜桃色に染められたツインテールの髪を揺らし、聖亞が景に詰め寄る。
「ふん、お前の真似しただけだわぃ」
「お前って、誰に言ってんだ? 先輩には敬語使ってよ」
「へえ、お前さっき、あたしのことパイセンッ
顔を突き合わせ、胸ぐらを掴み合わんばかりの二人の間に、空から小さな男が二人、ひらりと舞い降りてきた。
「まあまあ御二人共」
「ここでは余人に聞かれますゆえ」
「一旦撤収致しましょう」
仏壇に置かれる仏像のようなサイズの二人は、
四人の少女たちは、宙空を飛ぶ阿吽に従って墓地を後にした。
墓地から程近い場所にはベンチとトイレだけの簡素な公園があり、ささやかな街灯にぼんやりと照らされている。深夜の田舎町に人通りなど無く、秘密の集会にはお誂え向きであった。
阿吽に引き連れられた景ら四名がそこへ着くと、既に大小二名の人影が待っていた。
「おーいケイちゃん、みんなー」
小さい方の人影が
「おう。お前ら早かったな」
「クウコちゃん! コトリちゃん! お疲れーっ!」
「お疲れさまです、皆さん」
大きい方の人影も、両手を揃えて軽く頭を下げた。
「コトちゃんが強くてね、すぐ片付いちゃったよ」
「いえ、そんな。私はただ、さっさと片付けて皆さんと合流せねばと思っただけです」
背の高い少女――
聖亞を除く他のエトピリカたちは、戦闘中の琴律に起こる変化を既に知っており、敢えてそれに関するコメントをしなかった。
その爆発的な身体
「それでは皆様」
「本日分の
「各々方に分配させていただきます」
阿吽が降りてきて、六人の手の上に、小さな
公園の灯りの薄い光にもきらきらと輝く
「わお。綺麗じゃん!」
尸澱を調伏した後に残る勾玉を初めて目の当たりにした聖亞が、思わず目を潤ませて見入る。
「……おう。じゃ、眠たくなる前に帰るか?」
景が、六人の中で最も背の低い少女をひょいと持ち上げ、肩車した。
「もー! また子供扱いしてっ」
軽々と景に抱え上げられた少女――
「子供っていうより、荷物扱いだよね」
聖亞がにやにや笑いながらからかうと、空子は頬を丸く膨らませてむくれた。
「そうですね。夏休みとはいえ、昼まで寝ていては格好がつきませんもの。それでは皆さん、お疲れ様でした」
「おつかレース」
「おやすみ!」
「おやすみなさい」
六人の少女たちは変身を解き、銘々の方向へ向かってぞろぞろと歩いてゆく。
そのとき。
にゃあ、と猫の声がした。
「お?」
空子はそれに反応し、
「にゃんにゃがいるっ」と声を上げて、景の頭を引っ掴んで揺さぶった。
「ケイちゃん、猫だよ猫っ」
「おいこら
景は空子の両足を掴むと、後方へ落とすふりをする。
「わー、ケイちゃんごめんよう」
「やめれ、髪が乱れるっ」
「あっ、ケイちゃん! あそこだよっ」
空子が指差す方へ目を向けると、公園の寂しい灯りに照らされたベンチの下に、黒い猫が蹲っていた。
灯りが無ければ、闇に溶け込んで目視は敵わなかったであろう黒猫は、
「クウコお前な、夜に猫なんて、珍しいもんじゃねえだろよ。さっさと帰ンぞ」
「えー」
愛想なく踵を返す景の頭上で、空子は頬を膨らませ、不満げな声を漏らした。
「……うおっ」
景の足が止まる。
何事かと正面を見れば、空子たちの眼前に――いや、周囲をぐるりと取り囲むようにして、黒猫の集団がいた。
爛々と光るふたつの目玉が、何組あるのか数え切れない。十匹、二十匹、三十匹――それよりも多い。
さすがの空子も景も、この光景には異様を感じて、ぐびりと
「なあクウコ、これ……ひょっとしたら」
「たぶん……
「ヤ、ヤベェ、だろ……変身できんし」
「や、やばい、かもね……」
目を逸らしたら、やられる。本能的にそう確信した二人が硬直し、肩車を
深夜の公園で、目を光らせた黒猫たちに囲まれるという体験は、空子たちから恐怖以外の感情を失わせた。
猫どもは口から汚らしい涎を溢れさせ、野生そのものの顔つきと動きで、二人に迫る。
景は汗ばむ手で空子の両足を掴み直した。
「クウコ。最悪、お前だけでも逃げろ。走って、コト達を呼んで来い」
「え、で、でもケイちゃんは――」
最初に見た、ベンチの下の黒猫が身を低く構え、
「いやーっ、ケイちゃん!」
「くそォ!」
黒猫どもの輪の外へ向かって、景が空子を放り出そうとした──次の瞬間。
宙にいた黒猫が、地面に落ちた。慣性に逆らったかのような、垂直の落下であった。
猫は
地面に赤い血をぶち撒け目玉やら臓物やらをはみ出させた死骸を、踏みつける足があった。
その足の下から、青白い炎が立ち昇るのを見て、
「う、うわ」──景がようやくかすれた声を発した。
空子も恐る恐る目を開けて、辺りを見回す。
黒い猫の集団は相変わらずぐるりと取り巻いていたが、その輪の中には、空子と景と、
「え、あ!? コトちゃん?」
空子は、一瞬、琴律や蓬莱姉妹らが戻ってきてくれたのかと思った。
而してその三人のシルエットには、見慣れないもの──人には決して在り得ないものが在った。
「ねー。変身しないのぉ?」
ころりんしゃん──と珠を転がすような、可愛らしく
美少女であった。空子たちよりもさらに年下であろうか。目鼻立ちがくっきりとして、まるで子役女優かアイドルのような、誰からも好かれそうな顔貌である。
一瞬ではあったが、空子たちは恐怖を忘れ、その美少女に見惚れてしまった。
「あらあら。変身されないのではなくて、できないのでしょ。
今度はやや大人びた、落ち着いた美声。
続いて、舌打ちの音が聞こえる。
「なんだよ! 糞の役にも立たねえな! ボサついてんじゃねぇぞクソカスどもがぁ」
こちらは如何にも
三者三様の声の主らが、猫どもの群れと空子たちとの間に立ちはだかった。
黒猫が、今度は何匹もまとめて同時に飛びかかってきた。
「あっ!」
空子が叫ぶよりも早く、ハスキーボイスの主は後ろも見ずに、
太い尾は鞭のように撓り、真一文字に空を切って、猫どもを薙ぎ払った。尾に打たれた猫たちは公園の外れにぶっ飛ばされ、やはり青い炎を上げる。
「くそ
そう叫ぶと、ハスキーというよりヤンキーと称したほうが似つかわしい少女は振り返り、猫どもの輪に向かって踊りかかった。
「あらあら、
ため息混じりに言った女も、大人びてはいるがまだ少女であった。琴律ほどではないが背がすらりと高い。そして、その尻にもやはり尾が見える。
「さあ、ワタクシ達も参りましょう。
「え~? あたし痛いのとか
「あらまあ」
最も幼い声の美少女は、その子供じみた雰囲気からはかけ離れた、泰然とした態度である。
「では、ワタクシも行ってまいります」
そう言うと、背の高い少女も猫たちに向かって走った。その尻からはやはり太い尾が伸びて、軌跡を描くように揺れていた。
「よろぴこ~」
美少女は二人の仲間に背を向けたまま、ひらひらと手を振った。
「──なみのはな?」
景に担がれたまま二人の会話を聞いていた空子は、聞き覚えのある名に耳を留める。
「お、おい……クウコよ」
景が頭上の空子を呼ぶ。
「ふぇ?」
「こいつら、エトピリカ、だよな」
「そう、みたいだね」
「霊珠がどうとか言ってたな。てことは……あたしらのことも知ってるわけだ」
「あ、そうか。そうだね」
景がじり、と後ずさる。
「今のうちに逃げっか」
「えっ」
あたし達を助けて、戦ってくれてるのに──と言いかけた空子の前に、残った美少女が立った。
「ねーねー、二人はエトピリカでしょー?」
その尻からも、同じく尾が生えていた。トカゲのように──弟の図鑑で見た肉食恐竜のように太く、先へゆくごとに細くなった尾。
「あ、あんたも……あんたらも、だろ」
景が固唾をぐびりと呑み込み、珍しく臆した様子で返答する。
「えー、あたし達は違うよぉ」
公園の薄暗い街灯に浮かび上がったきれいな顔の、口だけで笑う。
「なに?」
「えっ?」
空子と景は驚きの声を同時に発した。
「あたし達はねぇ、ラプトルだよー?」
「ラプトル……だと」
景はちらりと左右に視線を送る。無数の猫どもを相手取って荒事を繰り広げる二人を目の端に捉える。
「あいつらもあんたも、その、尻尾? ──が生えてるよな。それがその、ラプトル──ってやつなんか」
「うん、そだよ。二人はエトピリカで、変身すると羽が生えるんでしょ。あたし達はラプトルで、変身すると尻尾が生えるの」
「そ、そういうのも、おるんだな……」
「知らなかったー」
変に感心したような声を出す空子は、いきなり頭髪をつかまれ、ぐいと後ろへと引っ張られた。
「うわぁ痛たたたっ」
「なんだおい、やめろっ」
空子を肩車していた景も一緒に仰け反って倒れそうになり、慌てて体勢を立て直す。
「ふっざけんなよ、危ねえだろこら」
「びっくりしたぁ」
「おらカスども。とっとと帰って、しょんべん垂れて寝てろや。襲われたときに変身できねぇ役立たずがよぉ」
背後には不貞腐れたような態度の少女が立っており、ハスキーボイスで毒づく。変身は解いたらしく、白いジャージのポケットに手を突っ込み、空子たちを上から下までじろじろと眺め回してくる。髪の毛は金髪に染められているが、根本から少しだけ黒髪が伸びている。そして、その尻に尾は生えていなかった。
「あ?」
景は空子を地面に下ろし、白ジャージの少女と向き合って立った。
「なんだお前いきなり出てきて、いきなり態度
「うっせボケ。
互いの服を片手でつかみ合い、顔がくっつきそうな距離でにらみ合う。
(うわ、こいつタバコ臭っせ。マジのヤンキーかよ)
景は相手の口から、慣れない匂いを嗅ぎ取って顔をしかめる。
その足元で、空子はおろおろと二人を見比べる。
「け、景ちゃあん……ケンカしないでねっ」
「ご心配には及びませんわよ。
しゃなりしゃなりと歩いてきた長身の少女が、小柄な少女の前で立ち止まり、両手を揃えて頭を下げた。
「片付けましたわ。
ふわりと漂うムスクの香り。
こちらは肩と背中を出した薄手のワンピースドレスに、大きなネックレス。長いスカートの下からは、ヒールの高い靴が見えている。ここにブランドバッグでも抱えていれば、ナイトワークでもしているのかと思わせるような、とても空子たちと同じ年頃の少女とは思われぬ服装である。
そして上げた顔を見れば、夜目にも分かるほどに恐ろしく睫毛が濃い。たっぷりと引いたアイラインの上に、おそらく付け睫毛であろう毛がばさばさと生えていた──否、載っていた。
(こっちはこっちで、“夜のお嬢様”って感じだな……)
胸元からライター出して、こいつのタバコに火ぃ着けてたりして――などと、くだらぬ想像をする。
景は煙草臭さと香水臭さに噎せそうになりながら、白ジャージの少女の胸元を軽く突き放すようにして距離をとった。相手はチッと舌打ちをすると、地面に唾を吐き出す。二人の視線が宙でぶつかり合う。
「やーやー。ゆかちゃんもイモちゃんも、お疲れちゃん。早かったねぇ」
小柄な美少女も変身を解いた。
「わ、カワイイ……!」
空子はつい、感じたことがそのまま口から漏れ出してしまう。
少女の身を包むのは、淡い色のブラウスに膝丈のスカート。肌の露出や色柄の派手さはないが、全身のシルエットは腰のくびれが強調されていた。
動くと、フレアスカートの裾のなびきが波のような形状となり、足もとに動的な文様を描いた。着ている当人が小柄であるがゆえの可愛らしさなのであろう、と、己の体格を棚に上げつつ空子は思う。
「ゆかちゃんお疲れサマルトリア~」
少女は仲間の二人の手を取り、自分の頬に持っていって当てる。
「あざっす、なぎ
この小柄な少女がリーダー格なのであろうか、白ジャージが深く頭を下げた。“
「どういたしまして。あの程度の数なら、正直ワタクシたち二人でも余裕のヨッちゃんでしたわよ」と微笑んで、少女の頬やら顎の下やらを優しく撫でる。
「んにゃん♡」
なにやら猫めいた鼻声を出し、撫でられた美少女は“
それを見ていた“白ジャージ”が、チッと舌を鳴らして、なぜか景の顔を睨みつけた。
(
景は眉根を寄せて“白ジャージ”の顔を露骨に睨み返す。二人の視線がぶつかりスパークし、間に見えない火花が散る。
「──あのぉ、間違ってたらアレなんすけどぉ」
景の足元で、空子が声を上げた。
「あたしの聞き間違いでなかったら、さっき、
「お? なんだクウコ、こいつと知り合いなんか?」
空子からの意外な言葉に、景は美少女と空子を交互に見遣る。
「あ、気付いちゃったー? えへへ」
夜目にも分かる可愛らしい顔で小首を傾げて、美少女は空子の両手を取った。
「知ってくれてるんだ? ありがとぉ」
「わわ……」
初対面の美少女に急に距離を詰められて、空子は一瞬気後れする。
「あーでも、
「あらあら波ノ花さんったら、ご挨拶は画素ではないのですから」
「あの、
不服気な顔を取り繕いもせず、白ジャージの不良風が顎で空子たちを指した。
「そだよ。仲悪くしたってしよーがないでしょ。あたし達はおんなじ、
「げっ、同じじゃねっすよ! 俺らは竜脚、こいつらは鳥脚じゃねっすか。一緒にしないでくださいよう」
「りゅうきゃく?」
「チョウキャク?」
空子と景が同時に呟く。聞き慣れない言葉であった。
「言葉の意味はよく分からんけど、
こめかみに青筋を立てながら景が一歩前へ出ると、空子がさらにその前へ出た。
「あ、あたし!
空子は初対面の三人を前にして声が出ず、せっかくの自己紹介も竜頭蛇尾になってしまう。
空子が、率先して自己紹介をした。あの
「あー……どうせなら、もう少し明るいとこでやらねえ? 深夜の公園で
景はショートカットヘアの頭をがさがさ掻きながら提言した。本人は照れ隠しのつもりであったが、
「では、そのようにいたしましょうか」と一部から賛同意見が挙がった。
「えーっ何それ、あたしだけ暗いとこで自己紹介しちゃった……寂しいよう。やり直させてよう」
空子が景に苦言を呈していたが、景はそれを無視して、比較的近い位置にある自宅へ移動しようと提言する。
が、
「──あのさー」
空子らから波ノ
「あたし、眠たくなっちゃったよね。やっぱ、帰って寝なーい?」
「あ、俺もっすわ」
右に倣えとばかりに、白ジャージも声を上げる。
「は? ちょっと待てや」
景はズッコケそうになるのをなんとか堪え、
「いま自己紹介しよう
「うーん。でももう、夜の二時半過ぎちゃってるし。明日起きられないよ」
「うわぁマイペースぅ」
空子もまた、心の声が口から出た。
「あらあら、波ノ花さんったら。先日、自分は夜行性だと仰ってましたのに」
苦笑しながら“水商売風”が言うと、“波ノ花”はその手を取って続ける。
「そりゃもう、体調は毎日違うからねぇ。かーえろ帰ろ」
呆れ顔の空子らを
「おい
すると、
「
「……あいつちょっと、なに言ってんだか分かんねえよな」
「独特の言葉づかいする人だよね」
顔を見合わせる空子たちに背を向けたまま、“ヤンキー風”は仲間の背中に向かって、
「なに言ってんだか分かんねえンだよ!」と怒鳴った。
「あれっあの子、景ちゃんとおんなじこと言ったよ」
「うるせえぞ」
景はうんざりした顔で空子を持ち上げ、肩に担ぐ。
「あたしらも帰っか」
「うん」
「……おい待てやコラ。クソボケども」
仲間を見送った“ヤンキー風”がポケットに手を突っ込んだまま二人に向き直った。景は苛つきを隠そうともせず正面から視線を受け止める。
「なんだよ、どヤンキー」
「お前ら、変身するやつ、いつでも持っとけや。今夜助けてやれたのは
景は少なからず面食らった。その口からは罵倒語しか発せないものかとすら思っていた白ジャージ女が、自分たちに向かってまともに忠告めいたことを言うではないか。
「……あのな、あたしらは、ひと仕事終えたとこだったんだよ。
「言い訳してんじゃねえ。命に関わることなんだ、油断してンなってことだよ。分かったかよ、カスが」
「お、おお……」
この風貌、この口調からあまり真面目なことを言わないでほしい──と景は思う。
「おい、
「あ、あいっ」
空子も不意に声をかけられ、飛び上がるようにして返事をする。その様子を見て、景が前に出た。
「──お前、さっきからガキだのボケだの、あたしらに向かって好きな事言ってくれてるけどな。だいたい、どこの学校の何年何組、出席番号何番の何ちゃんなんだ。ヤニ臭さぷんぷん漂わせやがって、こんなチビ相手にイキるようじゃ、まともな教育受けてきたようには思えんな?」
白ジャージ女は、チッと舌打ちをして景を睨み返す。
「……
直前までの威勢とは裏腹に、後半は声が小さくなってゆく。
「ゆかちゃん? ゆかちゃんだって!」
空子が何故か嬉しそうに飛び跳ねる。
「ほー」
景は顎を上げて、名乗った相手を見た。そして口の端でにやりと笑う。
「お顔に似合わずずいぶんお可愛いお名前ですねぇ、ゆかちゃん」
「関係ねえだろが。人を名前でナメんなやクソが!」
「しかもお前、一年かよ。よくもあたしら先輩に向かって、腐れた口でモノ言ってくれたなァ?」
景が一歩歩み寄ると、桜ゆかは一瞬怯んだが、
「そ、そこのチビだって、
「ねえケイちゃん、しょうぼうって? あたしポンプで火事消さないよ」
「お前がチビだから、小学生だろって言われてンだ」
「えっ」
空子は両手を頭上に掲げ、
「あたし小学生じゃない、中二だよ! もー失礼だなあ!」と、ゆかに対し猛抗議する。
「ちゅ、中二……すか。マジか、中二なんだ……」
景は桜ゆかのジャージの、ファスナーの開いた胸元を掴んだ。
「こいつが
「構わんことないっ」
「あたしは二年で先輩なんだ。
「くっそ……」
桜ゆかは虚勢を
「年上ってだけで、なに威張ってんだよボケっ」と景の手を振り解く。そして、
「もう帰るわ! ムカつくっ」と景から離れて踵を返した。
「おい! もうひとつ、先輩からの忠告だ」
白ジャージの背中に、景は声をかける。
「アんだよっ」
「お前の勝手だから、聞き流すのも勝手だけどな。
「あ? 恥ずかしいこと言うなクソが。俺は男やガキ産むために生きてるんじゃねえよっ」
「お前の健康を心配してやってんだ」
「……チッ」
ゆかは何も答えず舌打ちだけして、そのまま背を向けて歩き出した。一歩踏み出してすぐに立ち止まり、振り返る。
「あの! 先輩に
「……あのガキ、言うだけ言って逃げやがったな」
景が呆れたようにつぶやくと、空子は
「でもちゃんと謝れたじゃん。いい子だよ」と応えた。
「へっ、すぱすぱ煙草吹かすようなガキは、いい子じゃねえな。いい加減、帰るぞクウコ」
景の肩に再び跨り、空子は大あくびをする。
「明日は起きられないにゃー。夏休みだからいいけどさ」
「にゃーとか言うな。また猫が出るぞ」
*
案の定、
自室に戻って漫画を読んでいると、携帯電話が鳴った。
『クウコさん。起きていらっしゃいますか?』
「うん、起きてるよ。今ね、お昼いただいたとこ」
『昨晩は大変だったらしいですわね。
「うん、それでね──」
『ラプトル──ですって?』
潜めた声で、琴律が呟くように問うた。
「あっ、ケイちゃんから聞いたんだね」
『はい。エトピリカとはまた違う、
「あ、あれってやっぱり、根の国の子たちなのかなあ」
『……違うのですか?』
「あたしらと同じだと思ってた。羽は生えない代わりになんか尻尾があってね、種類が違うだけなんだって思ったけど」
『……その辺りについては、話してくれていなかったようですわね』
「うん。よく分かんない。あたし、あんまり話聞いてなかったし」
『分かりました、ありがとうございます』
琴律は声色を明るく戻し、
『では今夜、集まりましょうか。
「はー。集まるのは良いけど、また阿吽さんからの長い話聞かなきゃなのかなあ」
『それが難点ですわね』
通話を切った後、空子は携帯電話にストラップとしてぶら下げている勾玉を手に取って、じっと見た。
阿吽の言葉を借りれば、尸澱を葬った後に残る“
死んだ後、この世に甦りたいという強い念を無理やり潰して拾った、謂わば奪い取ったものだ。
空子も綺麗だからという理由で集め所持しているが、なにやら集めてどうこうという話もあったように思う。
(そう思うと、あんまり気持のいいもんじゃないなあ)
携帯電話を枕元に置くと、空子は再び漫画を手に取って読み始めた。が、
(夜お出かけするんなら、晩御飯まで寝ておいたほうがいいよね)
と考え、漫画本を放り出した。
腹の上にタオルケットを掛けるや否や、
夏休みの宿題は、未だ手つかずである。
月夜鴉は火に祟る(仮) 北大路 美葉 @s_bergman
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