「推し」

 『推し、燃ゆ』を読んだ。話題作だけあって凄まじい作品だった。リアリティのある感性、センスの光る心情描写、現代性のあるテーマ。歴代三番目の若さでの芥川賞受賞も頷ける。

 とりあえず、一作品として面白く、社会学の研究テーマにもなり得るようなもので、久しぶりに一気読みをした。したが……

 これはあくまでも、私個人の問題であって、決して作品のせいではないが———少し吐き気に似た嫌悪感を持った。いや、勿論、作品は面白かったし、心も揺さぶられた。しかし。


 この感覚は以前にもあった。それは大概、「推し」の話を聞く時だった。

 私の友人には何人か、「推し」を持つ人がいる。そして彼ら/彼女らは、親しくなると私に「推し」の話をする。そして私は毎度、言いようもない吐き気に催される。

 「推し」の話をするのは悪いことじゃない。つまらないと感じることはあれど、私も少なからず何かしらの「好き」の話をしているのだから罪を問えることではないと思う。

 しかし。しかしだ。何故こうも嫌悪感を抱くのか。なぜ「そうなんだ」と素直に感じれないのか。読了後、私の頭はその疑問でいっぱいになった。


 いつから「推し」という言葉が生まれて、いつからそれに嫌悪したのかはわからないが、以前、強烈に違和感が襲ってきた言葉がある。


「存在が、推し」


 私は口では「なるほどね」と言いながら、頭では全く「なるほど」ではなかった。最初に違和感がやってきて、それを把握する前に嫌悪が勝った。

 ところが、不思議なことに私は「ファン」の話は聞けた。聞けたというより、聞き流せた。まだ心から「なるほどね」と呟けた。

 

 「推し」と「ファン」の違いは何か。これは調べようと思えば調べられると思うし、語るべきかもしれないが、ここでは放っておく。いつかやろうと思っていたが、当の彼ら/彼女らに訊いたとき納得した答えが出なかったから、多分、調べても納得はしない。

 そうなると、先の言葉に原因があるのかもしれない。そう考えた。「存在が推し」なんて、良いことではないか。どんなことをしても、その存在がいることで幸せになれる。ウィンウィンだ。

 ……と、ここまで書いて、何となく、私の中で掴めた気がする。恐らく私は、「存在が、推し」の、「存在」という部分に引っかかったのだと思う。

 

 私は、前のエッセイにも少し書いたように、自身の「迷惑さ」が確信としてあった。言い換えるならば、「存在が、迷惑」という意識が深く根付いていた。私は、友人も含め他人が私と関わるとき、私に利用価値があるからだと思っている。選択肢を誤ってないから、もしくは誤って余りある利益を提示するから関わるのだと。

 だからかもしれない。「推し」と呼ばれる人達と私は、当然だけど違う。いるだけで幸せを運ぶ奴と、いるだけだと迷惑な奴。多分、人間がそれまでひた隠しにしていた不平等な摂理を、「推し」という言葉でまざまざと見せつけられた気がした。


 「彼がミスをするのは良いけれど、あなたはダメ」

 

 そういうルールが、社会には溢れているのかもしれない。人間は、不平等だと思う。それは、スタートラインの話なら、納得できる。しかし、ゴールラインも不平等なら……。


 だからといって、私は「推し」を持つ人を否定しない。いや、否定してはいけない。「好き」と「嫌い」には、明確な序列がある。

 「好き」ということを否定したら叩かれる。しかし、「嫌い」ということを否定することは許される。当たり前だ。「嫌い」であることを発することは、それが「好き」な人へ不快感を与える。それはいけない。ただ、「好き」ということを発することで、「嫌い」な人が不快になることは?

 別に私は、どうしろという訳でもない。何だったら私も好きなラッパーとか話したりするし、それを「嫌い」となれば、不快になる。しかし、それだけだ。「嫌い」と一言呟いた人間を徒党を組んで袋叩きにしているのを見ると、途方もなく哀しくなる。

 もしかしたら、今の時代、酷く潔癖なのかもしれない。不快を嫌悪していて、不快な存在は排他するべきという共通認識があるのかもしれない。皆が皆、綺麗で清潔で、他人に害を与えないことが重要かもしれない。意識的であれ、無意識的であれ、不快感を与えたのだから、その何倍もの不快感を与えないといけないのかもしれない。


 不快を許さない世界で、私は生きることができるのだろうか。

 

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