或るゴミの一生
五味千里
言葉
言葉が好きだったし、嫌いだった。美しい言葉の連なりに出逢うと、心がぐるぐると揺さぶられて、人の感情と感覚が、私の中に入ってくる。軽い言葉の連なりに出逢うと、私の心は全てを拒絶して、その代わりに怒りに似た何かが私の脳を支配する。親と子が愛憎の対象であるように、私と言葉も愛憎の関係でできていた。
最初に言葉が嫌いになったのは、六歳の時だった。私は言語障害に認定されて、週に一時間、別の学校で言葉の学習をしなければならなかった。私は幼稚で、「間違った」言葉を使う子供だったらしい。真っ白い部屋で、先生と二人きり、マジックミラーで誰かの視線に晒されながら、私は言葉を習った。滑舌が悪く、ま行がうまく言えないので、ま行の度にミラーの向こう側を怯えた調子で睨んだのを覚えている。
言語障害と言われてから、私は少し笑われる対象になった。週に一時間きっかり同じ時間に遅刻してくる同級生は、周りから見たら不思議らしく、その理由がわかった途端馬鹿にしてきた。私の「障害」を勘違いされた時もあったが、私自身、違いも分からなかったから反論はしなかった。ただ、「障害」の理由を親の高齢出産の所為にされたときは、堪らなく苦しくなった。
小学生の時は、そういう訳もあって、いや、それだけじゃないかもしれないけれど、私はいじめられた。といっても多分軽い類のいじめで、人前で殴られるとかそんな具合だった。それでも私のプライドを傷つけるのには十分で、心は劣意に満ちていた。この頃から何処か私には、根拠のない自身の存在の「迷惑さ」を認識するようになった。
小学何年の頃だったか、三階の私の部屋から自殺しようとした。理由はわからない。窓に腰掛けて、尻を徐々に前へやって、下を見るとそこそこの高さがあった。私は死ねると思ったけれど、親の泣き顔が頭をちらついた。多分、母はヒステリックに泣いて、父は黙って泣く。それが嫌だったから、自殺はやめた。嫌でやめた自殺だったけれど、生きることも同様に嫌だった。
小学五年の頃、私の絵が県の特選に選ばれた。父がデザイナーという影響もあってか、私は絵を描くことが習慣だったため、特選は特に意識することもなく取れた。「先生」という生き物に初めて褒められた。「先生」はてっきり私を見ていないものだと思っていたから、嬉しかった。周りも変わった。私を「天才」とか言うようになった。嬉しかった。ただこれらの嬉しさと一緒に、私の中で歪んだ人間観が芽を開き始めていた。
丁度同じ頃、早い頃から塾に通った甲斐があって、勉強の調子も出てきた。といっても小学校のテストだからいい点数なのは当然かもしれないけれど、「先生」が満点の生徒の名前を言うもんだから、何となく「頭のいい」部類の子供として扱われた。
そしてその頃、初めて国語の授業で小説を書いた。内容は20世紀少年を学園モノにしたようなもので、周りの子達はこの話の意味が全てわかるかどうかでちょっとした議論になっていた。私はその議論を遠巻きに眺めて、誇らしげな気分に浸っていた。議論のうちの一人が私に解釈を尋ねるけれど、大概私は「さあ」と言ってニヒルを気取った。正直解釈なんてものは一つもわからなかった。
そういう色々な話があって、私は「天才」みたいな立場になろうとしていた。今考えると、私は「天才」ではなかった。深く考えることも素早く判断することも苦手だった。しかし周りはそう扱った。私は「障害」ではなくなった。私の中で人というものが、浅ましく権威的な存在としてありありと映り込んだ。
中学校に入ると、別の小学校出身とも入り混じって、私は色んな種類の人と出会うことになった。私の過去を知らないその子達と私は深い仲になった。暴力的な子、人懐っこい子、優しい子、ストイックな子、勉強ができる子、できない子、とにかく多くの出会いが、私の歪んだ人間観を正してくれた。権威的でもなく、人と人が触れ合う喜びを与えてくれたように思う。
そして中学二年の頃、かっこつけて読んだ芥川の短編が私を変えた。勿論、全ての話が理解できた訳ではないし、読みづらいものばかりだった。それでも「蜜柑」は私に言葉の世界を見せてくれた。他の短編と比べて難しい言葉は少なく、時代もかなり異なるのに、芥川龍之介という人と私が繋がった気がした。
それから、芥川の小説をできる限り漁った。家の書庫にある分は殆ど読んだと思う。それで特に好きだったのは、「蜜柑」「おぎん」「羅生門」「桃太郎」とかの初期のもので、多分、あの人の描く人間のエゴイストの部分が私のと重なって、それでいてその切なさや哀しみが心を揺さぶったのだと思う(ちなみに当時、人から芥川で何が好き?と聞かれたら何となく有名な「河童」と答えていた。けれど正直「河童」は後半から意味がわからなかったから「深く掘り下げるなよ」という懇願があった)。
私は芥川に狂わされた。リアルな感情の醜さが美しさを帯びるのだと思った。そしてその感覚をありありと伝える言葉というのが、どれほど果てしない力を持つのかと思った。そして、彼が服毒自殺を行ったことから、私も何処か自殺を肯定する思考が芽生えた。自ら死ぬことが、最も美しい死であるように思えた。
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