エピローグ

1 朝

「帆沼呉一さん。あなたは、この場所に来るまでに数々の罪を犯しました」


 きっちり髪を整えたよく通る声の弁護人が、丁寧な口調で証言台の男に言う。しかし被告人の分厚い前髪は、ただでさえ無味な印象を感じさせる彼から余計に感情を奪ってしまっているように見えた。


「ですがその上で、これら事件に関してどのように考えているか。今、改めてお聞きしてもよろしいですか」

「……私は」


 だが思いの外芯のある声で、帆沼は答えた。


「己の目的と自分が被害者だと思った人を救う為に……利己的な意思で、人を殺人へと導きました。かつての私は、それが正しいと思っていた。ですが、それは私の狭い了見でもって作り上げられた思考だったと。逃亡中、そう思い至りました」


 静まり返った裁判所で、一人の男の声が響く。


「故に私は罪の全てを認め、課せられるあらゆる裁きを受け入れたいと思います。私がいなければ、殺す者も殺される者も、それによって苦しむ人もいなかった。

 ……人の命を軽んじたことを、後悔しています。償える方法があるとは思えませんが、私にできることが一つでもあるなら全うしたい」


 傍聴席には、真っ青な顔をした老いた女性。その少し離れた場所には、涙に目を腫らした若い女性と寄り添う彼女の母の姿があった。


「……それが、極刑だとしても」


 ――殆どの人にとっては、よく晴れた何でもないある日に。不気味な漆黒の本を使った連続事件を引き起こした一人の作家へ、人の定めた裁きが下った。









「――おはようございます、檜山さん」


 朝。まだ布団にくるまる檜山さんの顔を覗き込み、オレこと慎太郎は彼の肩を揺さぶった。


「朝ごはんできましたよ。今日は卵焼きもつけてみました」

「ん……」

「起きてください。早くしないと約束の時間に間に合いませんよ?」

「んんんー……」

「檜山さんー」


 ――檜山さんとお付き合いしてから、一ヶ月。オレは、またこうして現世堂で檜山さんと暮らすことができるようになっていた。

 ただし、生活は原則今まで通り二階と一階で別々である。これはオレがまだ学生ということで、檜山さんとの間で決められた約束だった(オレはダブルベッドを買おうと粘った)(却下された)(諦めず一緒のお布団で寝ようと粘った)(却下された)。

 ちなみに両親には言ってない。というか、言うのを先延ばしにしてる状況だ。だって言ったら連れ戻されそうだし、それは嫌だし。もう少し落ち着いたら話そうということで、檜山さんとは決着している。


「檜山さん、檜山さん」

「もう……あと三分……」


 いや、あなたそう言ってきっちりその十倍寝るじゃないですか。オレは諦めずに揺さぶり続けた。

 とはいえ、こうして毎日彼の奥さんごっこができるのはニヤけてしまうぐらい幸せである。時々檜山さんも頭撫でてくれるし、好きって言ったら好きって返してくれるし。

 ……え、付き合ってるよ? うん、付き合ってる。だって今までは頭なでなでの頻度もそんな高くなかったし、そもそも好きとか言われなかったしね。オレ達は間違いなく付き合ってます。異論は認めない。


「……」


 ふと、揺さぶるのをやめる。オレは、いつもの眼鏡がかかってない檜山さんの顔をじっと見つめていた。

 少し長めの白いふわふわの髪の毛と、整った顔立ち。だけど、殆どの人は彼のかっこよさに気づく前に火傷痕を見て敬遠してしまうらしい。ライバルが減る分、オレにとっては都合がよかったんだけど。

 でもそんな横顔を見ていると、次第に胸がドキドキとしてきた。


 ……オレ達は、付き合っている。

 なら、ほっぺにキスぐらい、いい、よね?


 うん、付き合ってなかったらしちゃダメだけど、付き合ってるならいいと思う。いい、はずだ。いいよね? うん、いけるいける。いっちゃえ、オレ。

 布団の裾を握る。まだ眠る檜山さんの頬に勇気を出して唇を近づける。あと十数センチ。数センチ……。

 が、その時である。


「よしっ、おは――んぶっ!?」

「ぶぎゃっ!?」


 勢いよく起き上がった檜山さんの頭突きが、オレの顔面に炸裂した。おかげで檜山さんは頭を、オレは鼻を押さえてのたうち回ることとなった。

 ……天罰かな。天罰かもしれない。やっぱファーストキスは、ちゃんと許可を取ってちゃんとした場所でってことだろうか。

 だけど、檜山さんの目はばっちり覚めたらしい。頭をさすりつつ、彼は眼鏡をかけた世界にオレを収めて笑ってくれた。


「慎太郎君、おはよう」

「……ふぁい、おはようございます」

「今日は帆沼君の面会の日だっけ。よろしくね」


 オレが頷くのを確認して、檜山さんは顔を洗いに洗面所へと向かう。その途中、何やらどんがらがっしゃんという派手な音がしたが。まあ多分、洗濯物をひっくり返しただけだろう。

 若干キスへの未練を引きずりつつ、気持ちを切り替えようと背筋を伸ばす。それから、朝食の準備を再開した。

 窓から覗いた空は、晴天。友人に会うには絶好の日和だ。

 ――オレは今日会えるだろう彼のことを思い、人知れず頬を緩ませた。

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