3 特定

 目的は、分かった。その為の手段も、予想がついた。

 ――場所も、特定した。


 大量の本の中で、檜山正樹はぐっと頭を上げた。長く同じ姿勢でいたせいで、体の節々が痛む。が、今は無視した。

 手を伸ばす。そこにあったスマートフォンを掴み、電話をかける。数秒も経たぬ内に、清涼な女性の声が返事をしてくれた。

 そして、やりとりすること数秒。


『――目的が外科手術!? しかも、二人を一つにするってどういう……!』

「そう読めたんだから仕方ないでしょう。いいから最後まで聞いてください」


 電話口の丹波に、檜山はスマートフォンを耳から離して対応していた。彼女の声は大きいのだ。

 苦情を入れると、こちらの電話の音量を下げるよう言い返された。向こうでどうこうする気は無いらしい。


『でも、なんでそんなことを』


 戸惑う丹波の声を聞きながら、檜山は手元に置かれた短編集から『朝と、夜と、君の歌』が掲載された頁をめくる。そこに書かれている文字をなぞり、忌々しそうに呟いた。


「――好きなものと好きなもの。たとえ全く違う色でも、混ぜてしまえば一つのものとして飲めてしまう」

『え?』

「以前僕は、帆沼呉一は檜山正樹を救いたいが為に慎太郎を誘拐したと言いましたよね。思うに、彼は僕が愛情を向けた先を一つにしようとしている。僕の愛した慎太郎君の臓器や骨や部位を取り出し、同じく僕の愛した帆沼君自身に取り込むことで、一人の人間を作り上げようとしているんです」

『で、でも、正樹さんに愛されてるってのは帆沼呉一の思い込みよね?』

「はい。彼は、彼が作り上げた僕の虚像に献身しているだけです』

『……頭が痛くなるわ。で、さっきの推理の根拠は本に書かれてあったの?』

「いえ、本に書かれていたのは単なる思想ですよ。それをもとに、僕が考えを述べています」

『……つくづく理解し難いわね……』

「そりゃごもっともです。僕としても、莉子さんがまだ僕を正気扱いしてくれるのがありがたい限りですよ」


 檜山はため息をつき、手にした本を遠くへやる。電話の向こうにいる女性は、躊躇いがちに尋ねた。


『……帆沼呉一は、本を書いた時からこの計画を立ててたの?』

「いや、本に書かれているのはあくまで思想でしかありません。ですが計画自体は鵜路さんの事件よりも前でしょうね。VICTIMSには、慎太郎君が彼から借りた漫画と同一の文言が使用されていましたから」

『また慎太郎君か。っていうかあなたも気づきなさいよ。だいぶ帆沼呉一から匂わせられてたんじゃない』

「ですね。……実際、多少なりとも連想したことはあったんですよ。しかし僕にとっての彼は、思い出すこと自体キツい相手でして」

『そっか、あなた一度彼の事件に巻き込まれてるのよね』


 ――本当は、それだけではないのだが。

 そう喉まで出てきた言葉を、檜山は慌てて飲み下した。

 こめかみが痛む。目を閉じ深呼吸して、心を落ち着けようとする。

 ――これは事件には関係無い話だ、今は持ち出すべきではない。


「……では次に、慎太郎君が囚われている場所について話します」

『それも分かったの?』


 「はい」と檜山は頷き、帆沼が新人賞を受賞した『アガルタの人』、そして中編『押しつけた鉄の熱』を手に取った。


「慎太郎君と帆沼君がいるのは、とある山中の廃施設です。今から地図を送りますので、莉子さんは部隊の手配をお願いします」

『……確認だけど、間違いないのよね?』

「それは言い切れません。僕がしているのは謎解きではなく、“帆沼呉一が僕に向けたメッセージを読み解くこと”です。勿論、当てずっぽうというわけでもありませんが」


 こめかみの痛みが強くなる。にも関わらず、檜山は体に刻まれた火傷の痕を無意識に押さえていた。


「……その場所は以前、忌まわしき炎の神を崇めるカルト教団の施設でした。汚染された世界はいつか神聖なる炎により浄化され、選ばれた人々は楽園へ導かれる。その忠誠を示す為に、時に信者は神にその身を差し出さねばならなかった」

『炎の神に身を差し出す? ……まさか檜山さん、あなたの火傷って』

「ああもうそこまでで。とにかくそういうわけです。非人道手術をするにしても僕を精神を抉るにしても、この施設ほど適切な場所も無いんですよ」

『……分かったわ、それじゃあ、上に要請が通り次第すぐに突入して……』

「いえ、それはやめてください」

『なんでよ』

「向こうが何の対処をしていないはずはありません。突入の準備が整ったらまずは莉子さんが前に立ち、包囲したことを告げてください」

『宣戦布告するってこと? でもその間に逃げられたり、慎太郎君に危害を加えられたりでもしたら……』

「施設はかなり特殊な構造をしていて、基本逃げ場は一箇所しかありません。そして慎太郎君は帆沼呉一と一つとなる身であり、傷つけられる心配は無いでしょう。……それより僕が危惧しているのは、慎太郎君とは違う人質を使ってくることです」

『人質?』


 不思議そうにした丹波だったが、すぐに思い当たったらしい。まもなくしっかりとした声が返ってきた。


『なるほど、戸田君ね』

「はい」

『でも、彼もVICTIMSに取り込まれている一人ないの? だったら正樹さんが対応した方がいいんじゃ?』

「僕は僕ですることがありますから。ここは莉子さん主導で動いてもらわねばなりません」

『私が……』

「はい。……彼のことなら、僕よりあなたの方が知っているでしょう。そしてあなたの説得は感情ど直球ストレート型だ。剥き出しの感情をぶつけられることほど、心を動かす術もありません」

『なるほど。紛れもなく正論ね』


 途端に自信満々になった丹波である。シンプルな人だ。

 問題無しと判断した檜山は、次の要求に移った。


「加えてもう一つ。もし可能であれば、ここ一週間から半年ほどの間で消息が不明となった外科医を探してほしいのです」

『簡単に言うわね……。だけどいいの? あんまり時間は無いんでしょ?』

「そりゃ早いに越したことは無いのですが。一応僕としては、三日から四日ほどの猶予はあると踏んでいます」

『えっと、その理由もまた本?』

「いえ、もっと不明瞭なものです」


 檜山は、ちらりと打ち捨てられたソーセージのパッケージに視線を落とした。


「……僕が帆沼君なら、手術で一つになる日に向けて、極限まで相手と体を同じものにしておこうと考えるからです。効果の程は知りませんが、そこは精神的な儀式とでも言いましょうか。同じ時間に寝起きして、同じ場所で過ごして、同じものを食べて……。で、食べたものが消化されて排泄されるまで、8時間から24時間かかる。加えて手術の為の断食の期間も含めると、Xデーまで三日から四日はかけるかなと」

『要するに想像?』

「ええ、まあ」

『そんならめちゃくちゃ急いで探すわよ! じゃ、また連絡するわ! アンタは寝るなりご飯でも食べるなりしてなさい!』


 せっかちな丹波は、そう言うなり電話を切ってしまった。残された檜山は、長く息を吐いて天井を見上げた。

 ……彼女にああは言われたが、自分も急がなければならない。その為には、今からすることが……。


「檜山ーーーーーーっ!!!!」


 しかし、ここで毎度お馴染み突然の訪問者である。ドアを蹴破らんばかりの勢いでやってきたつかさは、脱いだ靴を丁寧に揃えずかずか上がり込んできた。


「オイコラまた来てやったぞ! ソーセージだけ食わしてたらダメって母さんに言われてな、ほら、おにぎり! ツナと昆布と梅干しと、あとは……」

「あー……ありがとう」

「喋んな。空気が汚れる」

「僕の声にそんな特殊効果は無い」


 疲れ切った檜山の目に映る制服姿のつかさが、いつか自分に笑いかけてくれた同居人の彼と重なる。ふと手を伸ばそうとして、かろうじて思いとどまった。


 ――『オレは、ここにいたいですから』。


 脳内で、慎太郎の声が蘇る。今は幻聴にも似た響きに、胸が締めつけられる。

 どれほどに救われ恐れたか知れないのは、いつも無理矢理封じ込めてきた感情だ。けれどせめて彼にとっては害の無い人間でありたくて、なんとか笑みを張り付けていた。

 ……今となっては、それも正しかったのか分からないが。


「浸んな、自分の世界に」

「へぶっ」


 しかし、つかさに軽く背中を叩かれて少しばかり目が覚めた。眼鏡の位置を直している間に、少年はぶっきらぼうにおにぎりを突き出す。


「ほれ、食え」

「……ん」

「食えねぇもんある?」

「いや、無い」

「ねぇのかよ、クソッ。梅干しとか言えよ、そこは」


 ……食べさせる気だったんだろうな。絶対にそうだろうな。

 けれどやはりつかさは根は礼儀正しいもので、檜山の隣に正座すると「いただきます」とおにぎりを食べ始めた。


「で、兄さんの進捗は?」

「……居場所は掴めたと思う」

「マジかよ。どこ?」

「教えない。君絶対首突っ込むだろ」

「はぁーん? 決めつけですか? この俺に決めつけですかと」

「じゃあ君のお父さんには伝えとく」

「せめて母さんにして」

「……真面目に話すけど、あんまり君には行ってほしくない場所なんだよな」


 声のトーンを落として、檜山は言う。そしてそれを察せないつかさではなく、不満げに唇を尖らせた。


「……なら父さんに伝えといて。説得して聞き出すから」

「僕を説得しようとは思わないのか」

「檜山と話すより父さんと話す方がまだマシだから。……あと」


 最後のご飯粒までしっかり食べて、つかさは立ち上がった。


「お前、どうせ何かすることあるんだろ」

「……」

「俺は絶対に兄さんを助けたい。その為なら、多少嫌でも檜山に協力するよ」

「……ありがとう」

「何回も礼言うな。キモッ」


 言いたいだけ言って、ついでにぬるめのお茶が入った水筒を置いて、つかさは現世堂を出て行った。檜山はしばらく無言でおにぎりを咀嚼していたが、半分ほど食べたところで動きを止める。

 そして、ばたんと横に倒れた。極限状態だった檜山はつかさの訪れに多少気が緩んだらしく、ぐっすりと眠っていた。

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